今週の礼拝メッセージ
2025年1月19日 花巻教会 主日礼拝説教
聖書箇所:エゼキエル書2章1節‐3章4節、ヨハネの黙示録10章8-11節、マタイによる福音書4章18-25節
阪神・淡路大震災から30年
一昨日の1月17日、阪神・淡路大震災から30年を迎えました。震度7が史上初めて観測されたこの大地震では6434名の方々が命を失いました。住宅の全半壊はおよそ25万棟に及びました。いまも多くの方々が深い悲しみや苦しみを背負いつつ、生活をしておられます。被災した方々を覚え、これからも共に祈りを合わせてゆきたいと思います。
阪神・淡路大震災が発生した1995年1月17日、私は小学5年生でした。当時私は大阪南部の富田林市というところに住んでいました。震源地からは離れており、直接的な被害はありませんでしたが、その日のことは深く心に刻まれています。
地震が発生した午前5時46分、多くの人はまだ寝ていました。あるいは、朝食の準備をしていました。突然の強い揺れと、ガタガタという大きな音。私は、「すぐ近くで壊れた洗濯機が回っている」というよく分からないイメージで目が覚めました。夢うつつの状態ですぐには何が起こっているのかよく分かりませんでしたが、まもなく地震だと気づきました。
家族全員の無事を確認した後、テレビをつけると、アナウンサーの方が地震発生のニュースを読み上げていました。この地震発生直後のニュースでは、「現在のところ、地震による被害は確認されていません」という内容のアナウンスが読み上げられていたと記憶しています。テレビ局もまだ被害の実態をまったく把握できていなかったのでしょう。
地震の影響が気にかかりながらも、とりあえずその日は学校に登校しました。家に帰ってテレビをつけると、地震による被害状況が少しずつ報道され始めていました。翌日から、テレビや新聞を通して、現実とは思えないような、甚大なる被害の状況を目にしてゆくこととなりました。皆さんもその映像や写真を鮮明に記憶していらっしゃることと思います。
こちらのスクラップ記事は、当時、私が新聞から切り抜いたものです。地震発生から2日後の1995年1月19日の朝日新聞に掲載されていた写真です。写真に付されているタイトルを読んでみたいと思います。「中央部がくの字に陥没した道路」(神戸市兵庫区)、「不通になっている阪急電鉄の線路の上を歩いて避難する人たち」(芦屋市内)、「破裂した水道管から路上にあふれた水をくんでいる」被災者たち(芦屋市南宮町)、「寒風が吹く避難先の小学校の校庭で、二日目の夜を過ごす住民たち」(神戸市灘区)。
こちらは1月20日付の朝日新聞の切り抜きです。「激しい炎を上げて燃える建物」(神戸市中央区三宮町)、「煙を上げて燃える三菱倉庫ポートアイランド営業所の倉庫」(神戸市中央区港島)、火災が発生し、煙に包まれる三宮中心街の高層ビル。阪神・淡路大震災では火災による被害も甚大であったことを改めて思わされます。阪神・淡路大震災では、火災でおよそ7000棟の建物が全焼したとのことです。
ちなみに、この時点では、朝日新聞では「兵庫県南部地震」と表記されています(地震発生同日、気象庁が命名)。他の新聞やテレビでは「阪神大震災」とも表記され、朝日新聞も1月23日から「阪神大震災」と使用し始めるようになったとのことです。その後、淡路島北部も地震による被害が甚大であることを受け、2月14日に災害名を「阪神・淡路大震災」とすることが閣議で了解されました(参照:Wikipedia『阪神・淡路大震災』)。
震災「以前」以後」
1995年は3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件も発生しました。私たち日本に住む者にとっては、1995年は深く記憶に刻まれる年になりました。私自身、阪神・淡路大震災以降は、震災「以前」「以後」という観点で物事を捉えるようになりました。あれが起きたのは震災以前、あのことが起きたのは震災以後、という風に1月17日を基準に過去の出来事を捉えるようになりました。
それは、2011年3月11日、東日本大震災が起こった時もそうでした。東日本大震災と原発事故以降、私たちは2011年3月11日を一つの基準として、過去の出来事を捉えるようになりました。この二つは、私たちの世界の見方を変化させるほどの、本当に大きな出来事となりました。
またそれは、2020年に発生した新型コロナウイルスのパンデミックにおいても、同様でしょう。私たちはこの数年間、「コロナ前」「コロナ後」という観点で、物事を振り返るようになっているのではないでしょうか。
この他にも、この30年間、大きな災害や事件がたくさん発生しています。昨年の1月1日には能登半島地震が発生しました。災害や事件の当事者である方々にとって、その出来事は、忘れることのできない、絶えず思い出さずにはおられないものであると思います。当事者以外の人々にとってはその出来事は年月と共に風化するものであっても、当事者の方においてはいつまでも風化することはあり得ず、忘れることもあり得ないものです。
深い悲しみを負った方にとって、その悲しみは完全に癒えるものではありません。癒えることのない悲しみを抱えながら、それでも、懸命に生きている多くの方々がいらっしゃいます。皆さんもまたそれぞれ、固有の悲しみを抱えておられることと思います。悲しみを背負いながらそれでも懸命に生きている一人ひとりとして、これからも、互いに祈りあい、支えあってゆけることを願います。パウロはローマの信徒への手紙の中で語っています。《喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい》(12章15節)。
弟子への招き
メッセージのはじめに、ご一緒にマタイによる福音書4章18-25節をお読みしました。イエス・キリストが漁師であったペトロとアンデレ兄弟、ヤコブとヨハネ兄弟を弟子へと招いてくださる場面です。
本日の聖書箇所は、イエスさまがガリラヤ湖という湖のほとりを歩いておられる場面から始まります。イエスさまはペトロとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になりました。先ほど述べましたように、彼らは漁師でした。
ペトロたちが行っていた網の打ち方は、おそらく湖に向かって網を投げるやり方であったと考えられます。周囲に重りがついた網を水の底に沈め、付近に泳いでいる魚を中に招き入れながら、岸に引き上げるやり方です。イエスさまはペトロとアンデレがちょうど湖に向かって網を投げ入れるのを御覧になっていたのでしょう。イエスさまは二人に近づき、そしておっしゃいました。《わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう》(19節)。
突然の言葉に、ペトロとアンデレはどう思ったでしょうか。福音書は、二人の内面については記していません。《二人はすぐに網を捨てて従った》(20節)と記すのみです。これが、イエスさまとペトロたちの初めての出会いであり、そして、二人がイエスさまの弟子へと招かれた瞬間でした。
それから、イエスさまはヤコブとその兄弟ヨハネが父親と一緒に舟の中で網の手入れをしているのをご覧になりました。イエスさまは同じく、ヤコブとヨハネをお呼びになりました。《わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう》。この二人もすぐに、舟と父親をその場に残して、イエスさまに従いました。
《人間をとる漁師にしよう》 ~人々を神の国に招き入れる漁師に
《人間をとる漁師にしよう》というイエスさまの呼びかけ。この言葉には、「いまあなたたちが網を投げ、魚を網の中に招き入れようとしたように、これからは、人々を神の国に招き入れる漁師にしよう」というメッセージが込められています。
神の国(マタイ福音書では《天の国》と表記されることもあります)は、神の国はギリシア語の原語では「神のご支配」とか「神の王国」とも訳すことのできる言葉です。神の力、神の権威、また神の願いが満ち満ちている場所というニュアンスでしょうか。神の国とは、神さまの願いが実現されている場であると本日はご一緒に受け止めたいと思います。
聖書が語る根本的なメッセージの一つ、それは、神さまの目に、私たち一人ひとりの存在が、価高く貴い、ということです(イザヤ書43章4節)。神さまの目に大切な一人ひとりが、かけがえのない存在として重んじられ、大切にされること――これが神さまの願いであると言えるのではないでしょうか。その神さまの願いが、イエス・キリストを通して実現されている場、それが神の国であるのだと受け止めることができます。
この神の国はいままさに、地上に近づいている。イエスさまと共に、地上に到来しようとしている。神の国の到来のために、私と共に働いて欲しいとイエスさまはペトロたちを招いてくださったのです。
《わたしについて来なさい》 ~イエスさまの「後ろ」を歩む
イエスさまの呼びかけでもう一点注目したいのは、前半の《わたしについて来なさい》という招きの言葉です。この言葉を原文に即して訳し直しますと、「わたしの後ろについて来なさい」となります。原文では、「後ろに」という言葉が入っているのですね。
イエスさまの「後ろ」を歩むとは、自分自身の利益のみを求めて生きるのではなく、神の国を第一として生きることを意味しています。言い変えますと、自分だけではなく周りの人もまた大切にされるあり方、一人ひとりがかけがえのない存在として重んじられ、大切にされる在り方を求めて歩んでゆくことです。それが、イエスさまの歩まれるその「後ろ」を共に歩んでゆくことであると本日はご一緒に受け止めたいと思います。
イエスさまと出会う「以前」「以後」
《わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう》。このイエスさまの呼びかけに、ペトロたちはまっすぐに応えました。イエスさまのその「後ろ」を共に歩む生き方へと、その一歩を踏み出しました。
先ほど、災害や事件などの大きな出来事を経験すると、私たちはその出来事を基準としてものごとを捉えるようになると述べました。それは悲しい出来事だけではなく、喜ばしい出来事においても起こり得ることでしょう。ペトロたちにとって、イエスさまと出会った「以前」と「以後」では、人生がまったく違って見えたのではないでしょうか。イエスさまと出会い弟子へと招かれた本日の聖書箇所は、まさにペトロたちにとって、「以前」「以後」で人生がはっきりと区切られる、最も大切な出来事であったことと思います。
私たちもイエスさまの弟子として
《わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう》――イエスさまの招きの言葉は、過去のある時に語られた言葉であるだけではなく、いまを生きる私たちにも語られているものであると受け止めることができます。イエスさまはいま、私たち一人ひとりと出会ってくださり、ご自身の弟子として共に働くようにと招いてくださっています。
イエスさまの「後ろ」に従うは、必ずしも私たちが現在取り組んでいる事柄を放棄することを意味しているのではありません。ペトロたちは網を捨ててイエスさまに従いましたが、私たちにはそれぞれ生活の場があるのであり、必ずしもそれを放棄してイエスさまに従うことが求められているわけではありません。重要なのは、先ほど申しましたように、「神の国を第一とする」、すなわち、一人ひとりを大切にするその姿勢でありましょう。それぞれの生活の場において、一人ひとりを大切にするあり方を実践してゆくことが大切であるのだと思います。
またそして、一人ひとりを大切にすることの中には、もちろん、自分を大切にすることも含まれています。私たちが自分自身を大切にすることも、神の国を実現する上で、なくてはならないことです。私たちがキリストの弟子として、自分を大切にし、隣人を大切にし、神さまを大切にする道を共に歩んでゆくことができるよう願うものです。
ガザでの戦争が、ようやく停戦の合意に至ったことが報道されました。今日の午後から停戦が始まります。この停戦が一時的なものではなく、恒久的なものとなるよう切に願うものです。戦争が始まってからのこの1年3ヶ月、どれほどたくさんのかけがえのない命が失われ、その生活が破壊され続けてきたことでしょうか。
神の目に大切な一人ひとりが、かけがえのない存在として重んじられ、大切にされること、この神さまの願いが実現されている場が神の国であると述べました。パレスチナの現実は、この神の国からいかに遠くかけ離れていることでしょう。パレスチナをはじめ、私たちの近くに遠くに、神の国の福音がないがしろにされ、見失われている現実があります。私たち人間がイエスさまの「後ろ」に従うのではなく、身勝手な理由でイエスさまの「前」を歩こうとし(マタイ福音書16章23節)、神の国の実現を妨げ続けている現状があります。
《わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう》、このイエスさまの呼びかけを今一度私たちの心に受け止め、一人ひとりの生命と尊厳が尊重される世界を求めて、自分にできることを行ってゆくことができますように、聖霊の導きを祈り求めたいと思います。