2025年8月31日「イエス・キリストの家族」
2025年8月31日 花巻教会 主日礼拝説教
『平和を受け継ぐ者に――戦争証言・使命・祈り』
この度、日本キリスト教団出版局より、奥田知志先生編『平和を受け継ぐ者に――戦争証言・使命・祈り』という本が発行されました。雑誌『信徒の友』に掲載された戦争証言と平和に関する記事を再編集し、本にしたものです。私がインタビュアーを担当した三田照子さんの旧満州からの引き揚げの記事も収録されています。
三田照子さんは花巻教会の教会員でいらっしゃいました。照子さんにインタビューを行ったのは、いまからちょうど10年前、戦後70年の年でした。若い世代が戦争を経験した方にインタビューを行い、自分の言葉で記事にするという企画で、私は照子さんにお話をお伺いしたのです(2015年8月号掲載)。照子さんはインタビューから2年後の2017年に天に召されました。99歳でした。
同書では、第1章では「広島 原子野から立ち上がる」の証言、第2章では「長崎 平和の鐘を鳴らし続ける」、第3章では「沖縄 キリスト者として生き抜く」、第4章では「引き揚げ いのちの旅路」、第5章では「国内 銃後の守りの陰で」の証言が収められています。
敗戦から80年、ウクライナやガザではいまこの瞬間も人々の命と尊厳が傷つけられ、失われ続けている中、照子さんの戦争証言をはじめ、ぜひ皆さんにも同書を読んでいただきたいと思っています。そうしてご一緒に、この地に平和を実現するために自分にできることを考えたいと思います。
三田照子さんの戦争証言
旧満州は、現在の中国東北部にあたる地域です。1932年、日本の軍事独裁体制のもとで建設されました。1941年、照子さんはお連れ合いの善右ヱ門さんと結婚を機に、旧満州の吉林市(きつりんし)に移り住みました。「日本と中国が心を合わせ、理想の国をつくろうという夢を抱いて満洲へ渡った」と照子さんは当時のことを語っておられます。
「日中の架け橋たらむと夢馳せて血をたぎらせし我が若き日よ」。照子さんの詠んだ歌です。照子さんと善右ヱ門さんは中国の青年のための無料夜学塾(聖焔塾)を開き、また中国においても真の友が与えられました。「満州国が中国の人々から土地を略奪して建設された」ということを照子さんが知ったのは、戦後のことでした。
照子さんはインタビューの中で、このように語っておられます。《戦争中、日本人がどれほどひどい罪を犯したのかを知らなかった。戦後、さまざまな記事や手記を読むことを通して、自分たちが加害者であったということを知った。日中の架け橋になろうとしていたけれど、そのような事実を知らないでいたこと、考えないでいたことを神におわびしたい。そして中国人にもおわびしたいという気持ちが強くなっていきました》(『平和を受け継ぐ者に――戦争証言・使命・祈り』、108頁)。
照子さんたちの旧満州での生活は、敗戦の直前、1945年8月9日のソ連の満州への侵攻を機に一転します。満州に住む日本の人々は、この日を境に難民状態となりました。
お連れ合いの善右ヱ門さんは神社の広場に難民救済所をつくり、難民となった同胞のために不眠不休で尽力されました。このとき照子さんは妊娠7ヶ月、ご長男の望さんをお腹に宿していました。
家も食料も失い、長い苦難の旅で弱り切った人々は、次々と命を落としてゆきました。照子さんがこのときの情景、気持ちを詠んだ短歌です。
「隙間なく広場を埋めし邦人の乞食の群れに声あげて泣く」
「戦とは国敗れしとはかくまでも底に落ちゆくことを我知る」
日本人女学校の校庭に掘られた千個の墓穴はすぐに埋まり、その後人々のご遺体は後ろの砲台山に放置されていきました。山は毎日捨てられるご遺体で埋め尽くされていったそうです。日本へ引き揚げ(帰還)をする過程においても、多くの方々の命が失われました。
照子さんはそのように、戦争によって多くの人の命が簡単に失われてゆく光景を目の当たりにされ、戦後は引き揚げの経験の語り部として、戦争の悲惨さと平和の尊さを語り伝える活動に尽力されました。
照子さんと善右衛門さんは、旧満州での終戦前夜から引き揚げまでの体験を綴った共著『光陰赤土に流れて』(1972年発行)も出版されています。こちらも当時のことを知る上で大変貴重な資料です。
「人間を愛すること」
『光陰赤土に流れて』の新版のあとがきで、照子さんはこのように述べておられます。《私共夫婦は生い立ちから性格から非常にちがっていた。宗教も思想も同じとは言えなかった。それにもかかわらず物の見方、価値観は最初からあまりちがわなかった。私共の生活が合わないと感じたことは一度もなかったし、信頼と尊敬を持ち寄って暮せたのは共通のポイントである“人間を愛すること”を持っていたからではなかっただろうか》(三田善右ヱ門『光陰赤土に流れて 終戦直下・満州の記録』、新版、2000年、三田照子さんの『あとがき』より)。
照子さんと善右ヱ門さんが大切にしていた共通のこと、それは、「人間を愛すること」でした。ここでの「人間」とは、自分と関係のある、身近な人々だけを指しているのではないでしょう。また、同じ日本人だけを指しているのでもないでしょう。国を超え、違いを超え、あらゆる垣根を超え、「同じ人間として」、目の前にいる一人ひとりを愛する、という意味であると私は受け止めています。
難民救済所で不眠不休で働いていた善右衛門さんのお姿を振り返り、照子さんは私にこのようにもお話ししてくださいました。「一番弱い人を一番助けねばならない。死にかかっている人を一番に助けねばならない。中国人か日本人かということも彼には関係なかったと思う」。どんな人の命もたった一つしかない。中国人であっても何人であっても助けよう、という思いでいた。それが「人間として当たり前のこと」であると、自分たちは了解していた。
また、照子さんと善右ヱ門さんは、アジアの国々に深い想いをもっていらっしゃいました。10年前のインタビューにおいて、照子さんは日本の現状を嘆いて、このおようにおっしゃっていました。《なぜ今、アジアを第一にしないのか。一番日本に仲良くしてもらいたいのは、中国と韓国。それを主人も最期まで言っていた。『アジアの海よ、安かれ』と。決して戦争はしないで、一番仲良くあってほしい》(『平和を受け継ぐ者に――戦争証言・使命・祈り』、110頁)。
お連れ合いの善右ヱ門さんは、「きょうだいは民族の始まり」とおっしゃっていたそうです。中国人、韓国人、日本人はもともとは兄弟で、それが民族に分かれて行った、アジアの諸民族はもとをたどれば、みなきょうだいなのだ、と。
隣人愛の精神 ~隣人を「自分と同じ人間として」大切にすること
『平和を受け継ぐ者に――戦争証言・使命・祈り』という本について、三田照子さんの戦争体験について、お話ししました。また、照子さんと善右ヱ門さんが大切にしていた共通のことは「人間を愛すること」であったことを述べました。この精神はまさに、聖書が伝えている隣人愛の精神です。
隣人愛という言葉は、聖書の《隣人を自分のように愛しなさい》という教えに由来しています(旧約聖書レビ記19章18節)。イエス・キリストも最も重要な掟として、「神を愛する」教えと共に、この「隣人を愛する」教えを取り上げられました。私はこの《隣人を自分のように愛しなさい》という教えを、隣人を「自分と同じ人間として」大切にするという意味として受け止めています。
国を超え、立場や考え方の違いを超えて、どのような人も、自分と同じ人間として尊重すること。なぜなら、相手も同じ一人の人間――神さまの目に大切な、同じ一人の人間であるからです。隣人愛の教えはこのことを私たちに伝えてくれています。極限状態のさ中にあって、照子さんと善右衛門さんが実践していたのも、まさにこの隣人愛の精神であったのだと思います。
この隣人愛の教えは、国を超え時代を超えすべての人に共通する教えであると同時に、実際に実行するのはなかなか難しいことでもあるかもしれません。私たちは日々の生活の中で、自分に近しい人、自分と関係のある人なら大切にするけれども、自分と関係のない人であれば無関心になることが多いように思うからです。
また、自分と違いがある人々は、自分には関係のない人々とみなしてしまい、無関心になってしまうこともあるでしょう。それどころか、その違いを受け入れることができず、相手との間に「敵意」という壁を築いてしまう。そのような不寛容で排他的な傾向が私たちの社会においてますます強くなってきています。
イエス・キリストの家族
本日の聖書箇所マタイによる福音書12章43-50節では、イエス・キリストの家族が登場します。話したいことがあって、母と兄弟たちがイエスさまに会いに来られたのです。母マリアと兄弟たちが外に立って待っているのを見たある人が、イエスさまに、《御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます》(12章47節)と伝えました。するとイエスさまはその人に答えて、《わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか》(48節)とおっしゃいました。そして弟子たちの方を指して、《見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。/だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である》(49、50節)とおっしゃいました。
もちろん、イエスさまがご自分の家族をないがしろにされていたわけではなかったでしょう。と同時に、ご自分の家族だけを、大切にされていたわけでもありませんでした。当時の価値観においては、自分の家族のことを優先にすることが良しとされたでしょう。この場面においては、人々に対する話を止めて、自分の家族と話をすることが当然のこととされたでしょう。しかしイエスさまは、そうはなさいませんでした。なぜなら、イエスさまは、目の前にいる一人ひとりを、同じ一人の人間として――神さまの目に大切な、同じ一人の人間として大切にしてくださっていたからです。隣人愛の精神です。
また、あらゆる立場の違いを超えて、いま一番ご自分の助けを必要としている人、弱い立場にある人に真っ先に向かい合うこと、それも隣人愛の精神に基づくものです。イエスさまはその姿勢を貫くことがご自分の責務であるとお考えになっていたのではないでしょうか。
神の願いを宿す人はみな、イエス・キリストの家族
イエスさまのまなざしは、天の神さまのまなざしにつながっているものです。神さまは私たち一人ひとりを、かけがえのない=替わりがきかない、価高く貴い存在として見つめてくださっています。イエスさまはこの真理を私たちに伝えてくださっています。
神さまから見て、一人ひとりがかけがえなく大切であるように、私たちもまた互いを大切にすること――これが、神さまの願いです。
この神さまの願いを実行しようとする人はみな、イエスさまの家族なのだとイエスさまはおっしゃってくださいました。神さまの願いを心に宿し、この願いを実現しようとする人はみな、イエス・キリストの家族である。そしてこの神さまの願いは、私たち一人一人の、すべての者の心の奥底に宿されているものです。
イエスさまはこの大切なメッセージをその場にいた人々に伝えるため、「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいます。誰でも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです」とおっしゃってくださいました。
壁を築くのではなく、橋を架ける
イエスさまはあなたを人種や国籍では判断せず、職業や社会的な身分でも判断せず、これまでの実績でも判断せず、性別でも判断せず、性的志向でも判断せず、年齢でも判断せず、心と体の状態でも判断されません。ただ、あなたをあなたとして、あるがままに受け止めてくださっています。あなたという存在を、世界にただ一人の、かけがえのない=替わりがきかない存在として受け入れてくださっています。
イエスさまが私たちを神に愛された一人の人間として大切にしてくださっているように、私たちも互いを同じ一人の人間として、同じ神に愛されている人間として尊重し合ってゆくことができますように。互いの間に壁を築くのではなく、橋を架けてゆくことができますように願います。