説教紙面 今週のメッセージ

 2018520日 花巻教会 ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝説教

 聖書箇所:使徒言行録2111

「聖霊が一人ひとりの上に」

 

 

使徒言行録2111節《五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、/突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。/そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。/すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。/さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、/この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。/人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。/どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。/わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、/フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、/ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

 

 

 

ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝

 

 本日はペンテコステ礼拝をご一緒におささげしています。イエスさまが復活された後、お弟子さんたちに聖霊が降ったことを記念する日です。

 

「ペンテコステ」はギリシャ語で「50」を意味する言葉です。これは、ユダヤ教のお祭りである五旬祭に由来しています。過越し祭の安息日の翌日から50日目に行われるお祭りです。キリスト教会にとって重要であるのは、その五旬祭当日が、イエスさまの復活を記念するイースターから、ちょうど「50(ペンテコステ)」日目であるということです。ちょっと計算してみましょう。今年はイースター礼拝が41日(日)でした。それから50日後は……ちょうど本日、520日(日)になりますね!

 

 イースターから50日後の今日、不思議な出来事が起こりました。一つとなって集まっていた弟子たちの上に、聖霊(神の霊)が降ったのです。この出来事を記念する日が、ペンテコステです。

 

こちらの講壇のお花は、ペンテコステをイメージして活けてくださっています。一番上のグローリオーサリリーという赤い花は天から降り注ぐ聖霊を表わし、下のガーベラやバラは聖霊に満たされた人々を表現しているそうです。また石の器は教会を表わしています(参照:『信徒の友 2016.5』「礼拝で捧げるフラワーアレンジメント」)

 

改めて、ペンテコステの場面がどのようなものであったか、振り返ってみましょう。

 

その日、突然、激しい《風》が吹いてくるような音が天から聞こえ、家中に響きわたりました。花巻も昨晩、風が強かったですね。そうして、《炎のような舌》が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった、と聖書は記しています。この炎のような、舌のような不思議なものが、聖霊が降ったことのしるしです。

 

この場面を描いた絵を観てみましょう(スクリーンの画像を参照)。エル・グレコが描いた聖霊降臨の絵です。一人ひとりの頭の上に小さな《炎のような舌》が描かれています。

 

聖霊が降って、どうなったのでしょうか。聖霊が降った弟子たちは、さまざまな国々の言葉で話し出した、と聖書は記します。弟子たちの多くはパレスチナのガリラヤという地域の出身でしたので、そのガリラヤ地方の言葉ではない言葉を話し出した、ということになります。

 

周囲の人々はびっくりし、「何事か」と集まってきました。大勢のユダヤ教徒の人々は、そこで自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまいました。

 

911節のところではさまざまな地名が出て来ます。これらは当時知られていた国々のリストです。いわば、世界中の国々のリストですね。祭りのために、各国からエルサレムに集まっていた人々は、そこで自分の故郷の言葉が話されているのを聞き、驚きました。自分がよく知っている言葉、自分が分かる言葉が――。

 

 

 

バベルの塔の物語 ~言葉の混乱

 

 このペンテコステの場面とよく対比されるものとして、旧約聖書の創世記のバベルの塔の物語があります(創世記1119節)。バベルの塔と町の建設を、神さまが人々の言葉を混乱させることにより中止させた、という物語です。ブリューゲルの絵が有名ですね(スクリーンの画像を参照)。

 

 人々は天まで届く塔のある町を建てようとしていました。その作業を中止させるために神さまが用いた手段が、人々の「言葉を混乱させる」ということでした。互いに互いの言葉が聞き分けられないようにすること。というのは、そのときまで、人々は同じ一つの言葉を話していたからです。

 

確かに、周囲にいる人たちが知らない言語を話し出したら、びっくりしますよね。お互い何を話しているのか分からなくなったら、意思の疎通ができず、大混乱に陥ってしまいます。「言葉が混乱する」ことによって人々の関係が引き裂かれ、町の建設は中止となりました。さらに人々が一つの場所から全地に散らされてゆくこととなりました。

 

ちなみに、「混乱させる」ことをヘブライ語では「バラル」といいます。ここから、この町は「バベル」と呼ばれるようになったのだ、と創世記は記します。

 

 

 

ペンテコステの物語 ~教会の誕生

 

 このバベルの塔の物語とペンテコステの物語は、似ているようで、まことに対照的です。バベルの塔の物語では、言葉が混乱し、互いに「分からない言葉」を話し始めます。結果、人々の関係が引き裂かれ、バラバラになってしまいました。

 

 ペンテコステの物語では、弟子たちがさまざまな国の言葉を話し始めた点は似ていますが、集まって来た人々にとって、それらが「よく分かる言葉」であった点が異なっています。結果、人々が一つに結び合わされてゆくということが起こってゆきました。

 

聖霊に満たされた弟子たちが語っていたのは、イエス・キリストがどういうお方か、ということでした。イエスさまの言葉と振る舞い、そのご生涯について、イエスさまの十字架の死について、イエスさまの復活について――。その真理に触れた人々は、深く心を打たれます。その結果、それまでバラバラになっていた人々が、一つに結び合わされてゆくということが起こってゆきました。聖霊に満たされ、イエスさまについて語る言葉が、人々を一つに結びあわせていったのです。

 

このようにして誕生したのが教会です。ペンテコステは教会の誕生日と言われます。

 

 

 

「言葉が伝わらない」という悲しみ

 

「言葉が混乱している」、「言葉が伝わらない」という点において、いまの私たちの社会もバベルの塔の物語と似たような状況にあるかもしれません。たとえ同じ言語を話していたとしても、互いの考えや想いが伝わらない、ということがあります。すれ違うということがあります。そのことによって、さまざまな場面で対立や分裂が起こっています。

 

また、お互い言葉が通じ合っていたはずなのに、ある日を境に言葉が通じなくなり、想いが通じ合わなくなるということもあるでしょう。自分の言葉が伝わらない。または、相手の言っていることが分からない……。互いに「言葉が伝わらない」というのは、私たちにとって大変辛く、悲しい経験です。大昔に書かれたバベルの塔の物語に何か切実なものを感じるのは、私たちがいまも同様の経験をしているからかもしれません。

 

 そうしている内に、時に、互いに心が冷えていってしまうということが起こります。頑なになっていってしまう。対立したまま、断絶したまま、動けなくなってしまうことが起こってゆきます。

 

 

 

愛に根ざした言葉を発し続けてゆく務め

 

 聖霊なる主は、そのような私たちのために、共に働いてくださるお方です。私たちがバラバラになったままでいるのではなく、再び一つに結び合わされてゆくために。私たちが悲しんだままでいるのではなく、喜びを取り戻してゆくために。

 

ペンテコステの出来事において、弟子たち一人ひとりの上に《炎のような舌》がともされました。この《舌》という語は、原文のギリシャ語では、《言葉》という意味ももっている語であるそうです。言い換えれば「炎のような言葉」です。この「炎のような言葉」が、断絶されていた人々と、再び出会う道を切り開いてくださいました。

 

聖霊が与えてくださるこの「炎のような言葉」は、神さまの愛の言葉に他なりません。イエスさまを通して表された、神さまの愛の言葉です。聖霊は私たち一人一人に、この愛の言葉を届けてくださっています。

 

この神さまの愛の言葉に出会うとき、冷え切っていた私たちの心は再びあたたかくされてゆきます。頑なだった心は再び柔らかにされてゆきます。この神さまの愛の言葉に根ざすとき、私たちの発する言葉は、少しずつ「伝わる言葉」へと変えられてゆくでしょう。

 

言葉が混乱し、そのことにより対立や断絶が生じている現状の中にあって、愛に根ざした言葉を発し続けてゆくこと。再び一つに結び合わされることを願って、言葉を発し続けてゆくこと。ペンテコステによって誕生した私たち教会には、この務めが与えられています。このことは私たちだけの力ではなく、聖霊なる主の助けによってこそ、成し遂げられてゆくのだと信じています。

 

 最後に、コロサイの信徒への手紙の一節を引用いたします。

これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです(コロサイの信徒への手紙314節)