2014年12月21日「この聖き夜に」

20141221日花巻教会 クリスマス礼拝・教会学校と合同

聖書箇所:ルカによる福音書217

「この聖き夜に」

 


讃美歌「この聖き夜に」

今日はみんなでクリスマスをお祝いする礼拝をささげています。クリスマスは何の日でしょう? そう、イエスさまのお生まれになった日ですね。クリスマスは私たちにとってとてもうれしい日です。喜びの日です。イエスさまが私たちにところへ来てくださった日だからです。

教会学校の皆さんにとっては、ごちそうが食べられる、プレゼントがもらえるということでも、うれしい日だと思います。私も子どもの頃、クリスマスがとっても楽しみでした。


 クリスマスの讃美歌も、歌っていると心がウキウキしてくるような、クリスマスの喜びがいっぱいに表現されている歌がたくさんあります。わたしもクリスマスの讃美歌が大好きです。

 先ほどごいっしょに「この聖き夜に」という讃美歌を歌いました。この曲もクリスマスの讃美歌ですが、歌いながら少し不思議に思ったからもしれません。クリスマスには似合わないような、何だか悲しいようなメロディーの曲だからです。1番はこのような歌詞になっています。《この聖き夜に、われらに代わりて 苦しみ負うため、御子は生まれたもう。キリエレイソン》。2番はこのような歌詞です。《この夜 世界は よろこび祝えど、馬小屋の御子の ゆくては十字架。キリエレイソン》。

 少し言葉が難しいですが、1番の歌詞では、クリスマスのこの聖なる夜に、私たちに代わって苦しみを背負うため、イエスさまはお生まれになってくださった、ということが歌われています。「キリエレイソン」というのはギリシャ語のお祈りで、「主よ、私たちを憐れんでください」という意味です。

2番の歌詞では、このクリスマスの夜に世界中は喜び祝っているけれど、馬小屋の飼い葉おけのなかで眠るイエスさまのゆくてには、十字架が立っている、ということが歌われています。

教会学校の皆さんも、イエスさまがご生涯の最後に十字架におかかりなった、ということを知っていることと思います。イエスさまは十字架にかけられ殺されるという悲しい最期を遂げられました。この讃美歌を作った人は、イエスさまがその後私たちのために受けて下さる苦しみを想って、赤ん坊のイエスさまを前に、喜びよりもむしろ悲しみを感じているのですね。


 

ナチスによる迫害の中で

 この讃美歌の歌詞を書いたのは、ヨッヘン・クレッパーという人です。20世紀のドイツを代表する讃美歌詩人ですが、この讃美歌の歌詞を書いているとき、ヨッヘン・クレッパーさん自身が、とても悲しい気持ちでいたようです。本当はみんなで楽しくクリスマスお祝いしたいところだったのだけれど、馬小屋のイエスさまに十字架のイエスさまのお姿を重ね合わさないではいられないような、辛い心境でいたのですね。


 なぜクレッパーさんがそんなに悲しく辛い気持ちでいたのかというと、クレッパーさんが生きていた当時の時代状況が関係しています。クレッパーさんが生きていたのは20世紀前半のドイツでした。20世紀の前半は、第一次世界大戦、第二次世界対戦という大きな戦争が行われた時代です。特にドイツでは、1930年以降、アドルフ・ヒットラー率いるナチスが台頭し、ユダヤ人への大規模な迫害が行われた時代でもありました。ナチスによって非常に多くのユダヤの人々が迫害され殺されたということを、教会学校の皆さんも歴史の授業で聞いたことがあるかもしれません。

クレッパーさんが結婚した女性とそのお嬢さんはユダヤ人でした。クレッパーさんは自分たちの命の危険を感じるような状況の中にいたのであり、だからこそ、悲しく、辛い気持ちでいたのですね。そのような中で書かれた詩が、「この聖き夜に」です。クレッパーさんは悲しい気持ちで胸が張り裂けそうになりながら、「キリエレイソン」、「主よ、私たちを憐れんでください」と懸命にイエスさまにお祈りをしていたのだと思います。


 

悲しむ私たちのもとに

 クリスマスは私たちにとって、喜びの日です。でもそれは、「悲しいことはいまは忘れて楽しくやろうよ」という意味での喜びではありません。私たちの心の中にある悲しみをはっきりと見つめる中でこそ見えてくる喜びが、クリスマスの喜びです。イエスさまは、私たちのこの悲しみを喜びへと変えて下さるために、わたしたちのもとへ来てくださいました。「神さま、助けて下さい」と叫ぶ私たちのために、来てくださいました。


 皆さんもそれぞれ、ふだんの生活の中で、さまざまな悲しいこと、辛いことに出会うことと思います。自分自身のこと、大切な家族のこと、お友達のこと、またこの日本の国のこと、世界のこと……。時には、辛くて仕方がない、「主よ、私たちを憐れんでください」と叫ばずには言われない、そのような時もあります。イエスさまは、そのような私たちのために、この世界にお生まれになって下さいました。


 

よみがえりの朝

 ヨッヘン・クレッパーさん自身は、妻と娘の一人が強制収容所へ送られる直前、彼女たちと共に自ら命を絶ちました。非常に悲しいことです。1942年のことでした。クレッパーさんが残した歌詞は、いまも多くの人の心を打ち続けています。「キリエレイソン」「主よ、私たちを憐れんでください」という祈りが、いまも多くの苦しみの中にある人々の祈りとなっています。

「この聖き夜に」の最後の5番の歌詞はこのように記されています。《よみがえりの朝、はじめて われらも み顔を仰ぎて 心より歌わん 主にホサナ》。この最後の5番で初めて、明るい歌詞が出て来ます。《よみがえりの朝》とは、イエスさまが復活された朝のことです。

イエスさまは十字架におかかりなって亡くなられた三日後、復活なさいました。そうして、「死は終わりではない」ということを、私たちに伝えて下さいました。この復活のイエスさまを仰ぎ見る時、私たちは悲しみを通り越して、喜びを歌うことが出来るだろう、神さまを賛美することができるだろうとクレッパーさんは祈りの言葉をつづります。「ホサナ」というのは神さまを賛美する言葉です。クレッパーさんはこの復活の光を、自分の最後の希望としていたのでしょう。


イエスさまは、私たち自身は目の前が真っ暗だと思っても、それでも見えてくる光をもたらすために、私たちのもとへやってきてくださいました。それがクリスマスの光であり、十字架の向こうから差し込んでくる復活の光です。決して消えることがないこの光を知らされているからこそ、クリスマスは私たちにとって喜びの日となります。たとえ私たちが死の陰の谷を行くときも(詩編23編)、この光は消え去ることはありません。クレッパーさんご家族もいまは、この光の中で安らいでいることと信じます。


 

人間の悪

私たちはそのように信じながら、同時に、私たちはクレッパーさんご家族が経験したような悲しい出来事が、もう二度と起こることがないようにという祈りを新たにすることが大切でしょう。クレッパーさん家族を死に追い詰めたもの、それは他でもない人間の悪です。

馬小屋の飼い葉桶に眠るイエスさまの向こうには、十字架が立っています。イエスさまを十字架の死に追い詰めたのも、他でもない私たち自身の罪と悪です。十字架を覆う暗さは、私たち自身の抱える暗さでもあります。

イエスさまは、その私たちをゆるしてくださいました。そして、私たちに復活の光をもたらしてくださいました。夜が明けて太陽の光が一筋射しこんでくるように、十字架の向こうからこの世界に復活の光が射しこんできています。

 


イエスさまの願いを私たちの願いに

イエスさまが私たちに願って下さっているのは、私たちが悲しむことではなく、喜ぶことです。私たちが恐れを抱くことではなく、平安でいることです。私たち一人ひとりが、幸せに生きてゆくことです。イエスさまはご自身の命を懸けて、私たち一人ひとりの幸せを願ってくださいました。そしていまも願い続けて下さっています。クリスマスのいまこの時、イエスさまの愛の光は私たち一人ひとりの顔を照らし出しています。

このイエスさまの願いを、私たち自身の願いとしたいと思います。私たちの世界にはいまもたくさんの悲しいことが起こり続けています。私たち人間が、互いに傷つけあい、互いの存在を否定し合うような悲しいことが二度と起こることがないようにと願います。イエスさまを十字架の死に追いやるような悲しい出来事が、もう二度と起こることがありませんように。そして、私たちが互いをまことに大切にし合い、一人ひとりが喜びをもって生きてゆける世界を創りだしてゆくことができますように。

クリスマスの今日、その祈りをごいっしょに新たにしたいと思います。