2015年12月20日「天に栄光、地には平和」

 20151220日 クリスマス礼拝・教会学校と合同

聖書箇所:ルカによる福音書2121

「天に栄光、地には平和」

 

 

クリスマス ~キリストを礼拝する日

 

今日はごいっしょにクリスマス礼拝をささげています。クリスマスは、イエスさまがお生まれになったことを祝い、礼拝をする日です。

クリスマス(Christmas)という単語は、「キリスト(Christ)」と「ミサ(Massa)」とが組み合わさってできている言葉です。「ミサ」は礼拝という意味です。「キリストの礼拝」、つまり、クリスマスという語には「キリストを礼拝する」という意味があるのですね。その意味する通り、私たちはいま、この世界に誕生されたイエスさまを礼拝するために教会に集まっています。

 

これまで2000年近く、クリスマスが来るたび、イエスさまに礼拝がささげられ続けてきました。では、一番はじめにイエスさまを礼拝したのは誰だったでしょうか……? いまお読みしました聖書箇所では、それは羊飼いたちであったと記されています。羊飼いは、羊の世話をする仕事をしている人のことですね。羊飼いたちは天使のお告げを聞き、ベツレヘムに向かい、飼い葉桶に寝ているイエスさまを探し当てました。

 

 改めて、羊飼いたちの前に天使たちが現れた場面を見てみましょう。その夜、羊飼いたちはいつものように野宿をしながら、羊の群れの番をしていました。夜も遅くなっても、羊飼いたちは目を覚ましていました。羊たちの様子を見守る必要があったからです。一晩中羊の群れの番をするというのは、大変な仕事であったことでしょう。

 

すると、彼らの前に天使が現れました。もちろん羊飼いたちはびっくり仰天しました。恐れを感じる羊飼いたちに、天使はこう告げました。ルカによる福音書21012節《恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。/今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。/あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである》。

 

 さらにそこに、天使の大群が加わって、賛美をします。1314節《すると、突然、この天使に天の大群が加わり、神を賛美して言った。/「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」》。

 

天使たちのお告げを受け、羊飼いたちは急いでベツレヘムへ向います。そして天使の言葉通りに、飼い葉桶に寝ているイエスさまに出会ったのです。これが、初めてのクリスマスの礼拝となりました。

 

 

初めてのクリスマス

 

 初めてのクリスマス礼拝の様子を想像してみましょう。ルカによる福音書には、イエスさまは家畜たちが一緒にいる土間で生まれたと記されています。いわゆる馬小屋と呼ばれているところですね。宿屋には父ヨセフと母マリアが泊まる場所がなかったからです。神さまの子どもであるイエスさまが、立派なお城ではなく、立派なホテルでもなく、馬小屋でお生まれになりました。そして馬たちのエサを入れる飼い葉桶にイエスさまは布にくるまれて寝かされていました。当時の飼い葉桶は、石を削って造られていたと考えられます。冷たい石の飼い葉桶に赤ん坊のイエスさまは眠っていたのですね。

 

 救い主の誕生とは思えないほど、何だか悲しいような、さびしいような場面です。そこに羊飼いたちがやって来て、初めてのクリスマスの礼拝がささげられたのです。

 クリスマスというとにぎやかなイメージやきらびやかなイメージがありますが、初めてのクリスマスはこのようなものだったということを、私たちは心に留めておく必要があるのではないでしょうか。

 

 

 

羊飼いたちの悲しみ

 

 イエスさまを初めて礼拝したのが羊飼いたちであった、というところにも大切なメッセージがあります。羊飼いという職業は、当時は人々からあまり立派な職業であるとは思われていなかったようです。旧約聖書の中では羊飼いは良いイメージで記されていますが、イエスさまが生きておられた時代では、人々から見下される職業になっていたようです。

 

羊飼いというのは本来素晴らしい仕事なはずですが、いつのまにか人々から馬鹿にされたり、差別されたりする職業になっていたのですね。その理由の一つには、いつも羊の世話をしなければならないので、なかなか神さまを礼拝することができなったということが関係しているのかもしれません。旧約聖書には安息日の掟というものがあり、毎週礼拝に行くことが守るべき決まりとされていました。安息日の掟を必ず守るべきだという人々からすると、羊飼いたちはそれを守らない「罪人」であるように思えたのでしょう。しかしそれは見当違いの批判ですよね。仕事の都合上、羊飼いたちは礼拝に行きたくても行くことができなかったのですから。

 

羊飼いの人々は仕事の内容の大変さに加え、人々から馬鹿にされ、仲間はずれにされているという悲しみをいつも心に感じながら生活していたことと思います。でもその悲しみを誰にも訴えることができない。誰もその悲しみに耳を傾けてくれない。

 

そのような羊飼いの前に、クリスマスの夜、天使たちが現れました。安息日の掟をしっかり守り毎週欠かさず礼拝に行っていた人々の前にではなく、安息日の掟を守ることが出来ずいつものように羊の番をしていた羊飼いたちの前に。そしてその羊飼いたちが、誰よりも先にイエスさまの誕生を祝い、礼拝をすることになったのです。

 

 神さまは羊飼いのことを、よく知っていてくださったのですね。この羊飼いたちのように、社会から隅に追いやられ、人々から冷たくされ悲しい想いをしている人々のために、イエスさまはこの世界にやってきて下さったのだということを伝えて下さいました。

 

 羊飼いたちは、救い主がお生まれになった喜びを、人々に知らせました。これまで自分たちに冷たくし言葉をかけてくれることもなかった人々に、自分からクリスマスの喜びを伝えて行ったのです。

 

 

 

神さまの願い

 

 私たちはいま、イエスさまを礼拝するためにここに集っています。クリスマスは「キリストを礼拝する」という意味でした。一方でたとえばいまこの瞬間も、お仕事の都合で礼拝に来ることが出来ない人々がいます。またさまざまな事情で礼拝に行きたくても行くことができない人々もいます。神さまはそのような人々のことをいつも忘れず、共にいてくださるということをクリスマスの物語は伝えています。

 

 また礼拝に来ることができても、心の中は悲しい想いや辛い想いでいっぱいだという方もいらっしゃるかもしれません。クリスマスだから喜ばなくてはいけないと思いつつ、なかなか喜びがわいてこない。そのような私たちのことも、神さまはよくご存知です。神さまは悲しむ人々のことをいつも忘れず、共にいてくださるということをクリスマスの物語は伝えています。

 

私たちはそれぞれ、生きてゆく中でさまざまな悲しい想い、辛い想いをします。それは子どもも大人も同じですね。どうしても心から悲しい想いが離れない、そのような経験をすることがあります。私たちは自分の力ではその悲しみを拭い取ることは難しいものです。神さまは、そのような私たちのためにこそ、イエスさまをお送りくださいました。クリスマスを喜ぶ気持ちになれない、私たちのために。私たちの悲しみ、苦しみ、涙があるところに、イエスさまは共におられます。暗い馬小屋は、私たちの悲しみや苦しみの象徴であるということができるでしょう。

 

私たちの悲しみが喜びに変わること。私たちの涙が喜びの歌に変わってゆくこと。それが、神さまの願いであり、イエスさまの願いです。イエスさまは、この私たちの悲しみを喜びに変えるために、私たちのところに来てくださいました。いま、イエスさまは私たちと共におられます。私たちの目には暗く悲しい場所に見える馬小屋が、いま、喜びの光が溢れ出る場所に変わってゆきます。

 

 

 

天に栄光、地には平和

 

 羊飼いたちを前に、天使の大群は歌いました。14節《いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ》。

 ここでは羊飼いたちが、神さまの《御心に適う人》であると言われています。御心に適う人、つまり、神さまの願いをしっかりと聴き取り、実行することができる人である、ということですね。どうして羊飼いたちがここで《御心に適う人》と言われているのでしょうか。それは、羊飼いたちが生きることの悲しみ、痛みをよく知っている人々であったからだと思います。身をもって、それを経験している人々であったからだと思います。そのように悲しみを身をもって経験している人であるので、イエスさまが私たちのもとに来てくださったことの大切さが分かったのでしょう。私たちの悲しみが喜びに変わるようにという神さまの切なる願いを感じとることができたのでしょう。

 

天使たちは羊飼いたちを前に、《地には平和》と歌いました。私たちの生きるこの世界に、平和が実現しますように、と歌いました。私たちは、悲しみを身をもって経験しているから、隣にいる人の悲しみを思いやるということができるようになってゆきます。私たちが互いの悲しみを想いやり、互いに大切にし合うとき、そこに少しずつ「平和」が創り出されてゆきます。

 

ここに集った皆さん一人ひとりの上に、また、ここに集い得ない一人ひとりの上に、クリスマスの恵みが共にありますように。