2015年12月24日「飼い葉桶の中の救い主」

 20151224日クリスマス・イブ礼拝

聖書箇所:ルカによる福音書2121

「飼い葉桶の中の救い主」

 

 

家畜小屋で生まれたイエス・キリスト

 

本日はごいっしょにクリスマスをお祝いし、礼拝をすることができますことを心より嬉しく思います。クリスマスはイエス・キリストの誕生を記念する日です。

 

イエス・キリストが「馬小屋で生まれた」と聞いたことがある方もいらっしゃることと思います。先ほど読んでいただいたルカによる福音書がその由来となっています。

 ルカによる福音書267節《ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、/初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである》。

 

この箇所を読みますと、必ずしも「馬小屋」と指定して書かれているわけではないということが分かりますが、教会では伝統的には「馬小屋」というふうに捉えられてきたのですね。

 

当時の一般の人々の家屋というのは、入り口から続く土間が、家畜の小屋を兼ねていたそうです。居住スペースである座敷から二、三段の階段を下りたところに土間があり、そこに牛や羊などの家畜を休ませていたそうです。座敷が人でいっぱいだったので、マリアとヨセフと赤ん坊のイエス・キリストは家畜たちがいる土間で夜を明かしたのだということが考えられます。または、当時は洞窟が家畜小屋に使われていたことがあったということで、イエス・キリストがお生まれになったのは洞窟だったのではないか、という説もあります。いずれにせよ、人が寝起きする座敷ではなく、牛たちがいる家畜小屋でイエス・キリストは誕生した、ということになります。

 

家畜がいっしょにいるスペースでは、なかなか体も休まらなかったことでしょう。小屋には家畜や家畜のためのエサのにおいがしていたことでしょう。生まれたばかりの赤ん坊がいるのには、衛生的にも決して適した場所ではなかったでしょう。

 

キリスト教ではイエス・キリストを「救い主」と捉えているわけですが、クリスマス物語においてはその救い主が立派な宮殿ではなく、家畜小屋でお生まれになったと記されているところが心に残りますね。

 

 

 

石の飼い葉桶に

 

 ルカによる福音書は、家畜小屋で生まれたイエス・キリストを「飼い葉桶に寝かせた」と記しています。「飼い葉桶」というのは、牛や馬のエサとなる草を入れておく桶のことです。母マリアはイエス・キリストを布にくるんで飼い葉桶に寝かせた、と聖書は記しています。ちょうど赤ん坊を寝かせるのにぴったりな大きさだったからでしょうか。当時の庶民の家屋では、座敷と土間の境目に飼い葉桶が置かれていたそうです。

 

飼い葉桶というと、私たちには何となく木製のイメージがあるかもしれません。西欧の絵画などの影響ですね。

 しかし、当時の飼い葉桶というのは、おそらく石をくりぬいて造られたものであったと考えられます。石灰岩などのやわらかい石を長方形に切りとり、真ん中をくりぬいて、飼い葉桶として用いていたのですね。

 

 木製の飼い葉桶と石の飼い葉桶では、イメージも少し変わってくるかもしれません。石の飼い葉桶は硬く、ひんやりして冷たかったことでしょう。石の飼い葉桶に赤ん坊を寝かすという状況は、木製の飼い葉桶よりもさらに、私たちにさびしさや悲しさというものを感じさせる気がします。

 

 

 

石のお墓に

 

 そもそもなぜ、イエス・キリストは飼い葉桶に寝かされたのでしょうか。家畜のエサを入れる飼い葉桶というものは決して清潔なものではありません。また石なので硬く、ひんやりして冷たかったことでしょう。赤ん坊にとって、あたたかな母の胸で抱かれているのと、正反対な環境です。そこに命のあたたかさ、ぬくもりというものはありません。

 

 けれども、その石の飼い葉桶にイエス・キリストがあえて、横たわって下さったというところに、ルカによる福音書のメッセージがあるのだと考えられます。

 

 布にくるまれたイエス・キリストが石の中に横たわっている。この光景を思い浮かべてみると、皆さんは何を連想されるでしょうか。ルカによる福音書が記された当時の読者は、「お墓」をイメージしたのではないかと思います。布にくるまれて墓穴に横たわる死者のイメージです。

 

 私たちが想像する日本のお墓というのは、墓石があって、その下にお骨が埋まっている、というものですよね。新約聖書が記された時代のパレスチナのお墓というのは、岩壁を削って造られた、洞窟のようなものでした。

やわらかな石灰岩の岩を削って長方形の空間をつくり、真ん中をさらに長方形にくりぬいて、その墓穴に亡くなった方の体を安置していたのですね。パレスチナには火葬するという風習はなく、死んだ方の体を布で包んで安置しておくというやり方がなされていました。お墓の入り口は、普段は大きな石でフタをされていたようです。

 

 イエス・キリストも十字架刑で亡くなった後、そのように石の墓穴に葬られたことをルカによる福音書は記しています。

さて、ヨセフという議員がいたが、…この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、/遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた》(ルカによる福音書235053節)。

 

 布にくるまれて石の墓穴に「横たわる」イエス・キリストのお姿と、布にくるまれて石の飼い葉桶に「横たわる」赤ん坊のキリストのお姿とが、ルカによる福音書においては重ね合わされています。

 

 

 

復活の命の光

 

「生まれたばかりの赤ん坊が眠る飼い葉桶にお墓のイメージを重ねあわせるなんて、ひどいなあ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。受け取りようによっては、「不謹慎」な表現ですよね。

 

 しかしルカによる福音書はこのイメージを、「深い信仰をもって」記しているのだと思います。決して軽率な想いでこのような表現をしているのではなく、信仰の結晶として、これら表現がつむぎだされているのですね。

 

 福音書は、墓に葬られたイエス・キリストが三日目に復活したことを語ります。イエス・キリストは三日目の朝、暗い穴からよみがえられた。そして、「死は終わりではない」ことの希望を私たちに与えて下さった。キリスト教はこのことを希望として、この2000年間歩み続けてきました。

 

 私たちは生きてゆく中でさまざまに辛い経験、悲しい経験をします。その中で、最も悲しい経験の一つ、それが死に直面する経験ではないでしょうか。自分自身の死、また、愛する人の死。死に直面するとき、私たちは日常のあたたかさから、突然切り離されたような気持になります。目の前にあるのは、まるで石のように硬く、冷たい、「死」という現実です。私たちは暗い墓穴に放り込まれたように、光を見失ったような気持になります。

 

 イエス・キリスト御自身もまた、この暗い墓穴に葬られました。イエス・キリストを愛していた婦人たちは悲しみの底、失望の底に放り込まれました。

 しかしイエス・キリストはこの暗い墓穴からよみがえられました。墓穴の中は、空になっていました。暗い墓穴の中に、復活の命の光が輝き出でました。

 

 ルカによる福音書2356節‐248節《婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。/そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。/見ると、石が墓のわきに転がしてあり、/中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。/そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。/婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。/あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。/人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」/そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した》。

 

 

 

クリスマスの喜び、復活の命の喜び

 

 石の飼い葉桶の中のイエス・キリストは、この復活の光を私たちに指し示して下さっています。死を通り過ぎて与えられる、復活の命の光です。

 

 これがクリスマスの光であり、十字架の向こうから差し込んでくる復活の光です。決して消えることがないこの光を知らされているからこそ、クリスマスは私たちにとって喜びの日となります。たとえ私たちが死の陰の谷を行くときも(詩編23編)、この光は消え去ることはありません。石の飼い葉桶に眠る御子、この方は私たちに復活の喜びを与えるため、いま、私たちのもとにお生まれになってくださいました。

 

 クリスマスの夜、天使は羊飼いたちに告げました。ルカによる福音書21012節《天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。/今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。/あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」》。

 

 クリスマスの喜び、復活の命の喜びが今日ここに集ったお一人お一人にもたらされますよう願っています。