2015年5月24日「聖霊が一人ひとりの上に」

 2015524日 聖書箇所:使徒言行録2113

教会学校と合同

 

聖霊が一人ひとりの上に

 

ペンテコステ

 

本日は、ペンテコステを記念する礼拝をささげています。ペンテコステは「聖霊降臨日」とも呼ばれます。イエスさまのお弟子さんたちに聖霊が降った出来事を記念する日です。聖霊とは、神さまの霊の別名です。

 

「聖霊」と聴くと皆さんはどのようなイメージが浮かぶでしょうか。

「鳩」をイメージする人もいるかもしれません。イエスさまが洗礼を受けるとき、聖霊が鳩のように降った、ということが福音書に書かれています。

 

また、ペンテコステという出来事の際には、激しい風が吹いてくるような音が聞こえ、炎のような舌が一人ひとりの上にとどまった、と書かれています(使徒言行録214節)。聖霊は、「風」や「火」のイメージで表現されることがあるのですね。

 

 

 

精霊と聖霊

 

日本に住んでいる人で間違えやすいのは、「精霊」という言葉で考えてしまうことですね。「精霊」は、自然的な霊を指します。妖精とか、草木に宿る霊。また、先祖の霊など、人間の魂をあらわすことがあります。

 

一方で、教会で礼拝しているのは、「聖霊」です。「せい」という感じが違いますね。人間や自然の霊ではなく、神さまから遣わされる霊が、「聖霊」です。

 

聖霊は、目には見えません。でも確かに働いていてくださっています。わたしたちに働きかけ、わたしたちといつも共にいてくださるのが、聖霊なる神さまです。

 

 

 

聖霊が一人ひとりの上に

 

ペンテコステの出来事において、《炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった》3節)ということが聖書に記されています。その場にいたお弟子さんたち一人ひとりの上に、聖霊が現れて下さったのですね。

 

弟子のリーダーであったペトロだけに聖霊が降ったのではなく、その場にいたお弟子さんたち一人ひとりに聖霊が与えられた。神さまは、聖霊を「私たち一人ひとりに」お遣わしになって下さっている、ということを本日は大切に覚えたいと思います。

 

 私たちにはそれぞれ、違いがあります。それぞれに個性があり、長所があります。この世界には誰一人として、「あなた」と同じ人間は存在していません。

 私たちはそれぞれ違う人間であるからこそ、豊かさが生じます。自分の得意なことを活かして、支え合ってゆくことができます。

 

たとえばお友達とキャンプに行ったとしましょう。ある人たちは釣りが得意だから、川に魚を釣りに行く。ある人たちは火を起こすのが得意だから火を起こす。ある人たちは力仕事が得意だから、テントを張る。それは私たちそれぞれに違いあるからこそ、できることです。みんながみんな釣りに行ってしまったら、いつまでも火を起こすことはできないし、テントを張ることはできません。そのように、私たちにはそれぞれ、長所があり、個性があります。違いがあります。その違いを活かして、互いに助け合うことができます。

 

 聖書は、私たちにそのような違いあるのは、聖霊の働きによる、ということを伝えています(コリントの信徒への手紙一12411節)。神さまは私たち一人ひとりに聖霊を送って下さり、それぞれに大切な役割を与えて下さっている、というのですね。

 

 

 

一つの体と役割分担

 

「役割分担」という言葉があります。神さまは聖霊によって、私たちに役割分担を与えて下さっています。そうして私たちが独りぼっちで生きてゆくのではなくて、助け合って生きてゆくことができるようにしてくださいました。

 

 聖書は、私たちが聖霊によって結ばれて、「一つの体」を形づくっている、と語ります。不思議な表現ですね。その一つの体とは、キリストの体です。私たちは聖霊によって結ばれて、イエス・キリストという大きな一つの体を形づくっている、というのです(コリントの信徒への手紙一121231節)

 

 私たちの目から見ても、なかなかそのようには見えません。何だかそれぞれが勝手に好きなことをして、バラバラになってしまっているように見えることもあります。

 しかし、神さまから見ると、私たちはそれぞれが自分の役割を果たしながら、「一つの体」を形づくっている。神さまの目からご覧になると、この世界はそのように見えている。

 

 であるなら、もし私たちが互いに互いを「あなたは要らない」と言って否定し合うのなら、それはおかしなことであるということになります。

 

 聖書はユニークなたとえを用いています。たとえば、目が手に向かって「あなたは要らない」とは言えないでしょう、と。また、頭が足に向かって、「あなたたちは要らない」とも言えないでしょう、と。

 確かにそうですよね。それぞれの体の部分は、それぞれに大切な役割を担っているのですから。互いに「あなたは要らない」と体の部分が言いあうのだとしたら、それはまことにおかしなことになってしまいます。

 

 

 

互いをかけがえのない存在として

 

 そのように、神さまの目から見ると、この世界には必要のない人、というのは存在しません。一人ひとりが、聖霊によって、神さまから大切な役割を与えられています。

 

私たちの目から見ると大きな仕事をしてなさそうに見える人が、実は体全体において大切な役割を果たしてくれている、ということもあります。ある人がただその場にいてくれるだけで、その場の雰囲気がなごやになったり、その場にいる人々の気持ちが近くなったり、ということも起こります。何か素晴らしい才能だとか得意だとか、ということだけではなく、その人にしかできない、何かその人の存在からにじみ出てくるような大切な役割を、神さまは私たちそれぞれに与えて下さっているように思います。

 

 本日はペンテコステ。一人ひとりに、神さまからの聖霊が降ったことを覚える日です。ここに集った皆さん一人ひとりの内にも、いま聖霊が共にいてくださり、大切な役割を与えて下さっている、ということを心に留めたいと思います。そうして、私たちが互いをかけがえのない存在として受け止めあい、支え合ってゆくことができますようにと願います。