2015年7月5日「死と復活の予告」

201575日 聖書箇所:マルコによる福音書103234

「死と復活の予告」



創立記念礼拝


本日は、花巻教会の創立記念礼拝をささげています。花巻教会はバプテスト教会として、1908年(明治41年)721日に創立されました。今年2015年で創立107周年となります。私は牧師としては11代目の牧師となります。これまでの107年の歩みが主と多くの人々によって支えられましたことを感謝するとともに、これからの歩みのために共に祈りを合わせてゆきたいと思います。


 


戦争の時代


107年の歴史の中で、花巻教会はさまざまなことを経験してきました。その間には戦争の時代もありました。


花巻教会の記念誌には、戦前・戦中の教会の様子についての記録がいくつか残されています。たとえば創立80周年記念誌の年表には《1939723日 防空演習中、すっかり暗い中で夕の礼拝を守る》とあります。当時牧師をしておられたのは3代目の牧師である鈴木 實先生でした。


1941128日、遂に日本は太平洋戦争に突入してゆくわけですが、それに伴い、花巻教会の諸集会の出席者もだんだんと少なくなっていったようです。そのときの牧師は4代目の若松守二先生でした。当時を回想した文章の中に、「特高警察が礼拝に出席して、若松牧師の説教を聞いたりしていたこともあった」という言葉もあります(奥山清氏の文章より)


またその後の年表を見ますと、「1943418日 町下総合防空演習のため礼拝をやむをえず休む」という記述もありました。戦争の影響を受けて、時に教会の礼拝を中止せざるを得ないという状況に追い込まれていったようです。


194586日、広島に原子爆弾が落とされ、89日に長崎に投下されます。花巻教会2代目の牧師であった木村文太郎先生は辞任後、広島バプテスト教会に赴任されていました。木村先生はその広島にて、原爆に立ち会うことになりました。西日本新聞に掲載された木村先生についての記事を少し引用いたします。


《原爆投下の日、家族を青森に疎開させ、ひとり牧師館にいた木村氏は、戦時産業動員で働く人たちのため、宣教牧師としてその朝も都心から三キロ半離れた軍需工場へ出向かいた。ところが、工場の門をはいると同時にあのキノコ雲。木村氏は爆風に吹き飛ばされ、地面にたたきつけられたが、さして異常もなかったので、ただちに医療班に従い、爆心地に走り、それから不眠不休の救済活動が幾日か続いたと言う。「あれ以上の悲惨はありえないし、ことばや文字にも表現できません。…」》(西日本新聞記事より『木村文太郎遺稿集 救いの恵みにあずかって』所収)。木村先生はその後1950年)「ヒロシマ」の牧師として、アメリカで講演されたこともあったそうです。


長崎に原爆が投下された翌日、810日に花巻にも空襲がありました(花巻空襲)。JR花巻駅ロータリーに建設された「やすらぎの像」の裏には、花巻空襲による被害の記録が刻まれています。《昭和20年(1945年)810日ひる/来襲 米軍艦載機グラマン15機/投下爆弾 20個(推定)/機銃掃射 各所/死者 42名/負傷者 約150名/焼失家屋 673戸/倒壊家屋 61戸/資料 花巻市中央公民館発行「忘れまいあの日」より》。


この810日の空襲について、教会の年表には次のように記されています。《花巻町は爆撃と機銃掃射により七割方火災、消防活動が危険で不能、花巻教会は無事》。教会は無事だったようですが、「教会堂の筋向いに爆弾が落ちて会堂の窓ガラスがめちゃめちゃになってしまった」との証言が残されています(中村陸郎氏の文章より)


 


悲惨な経験を踏まえて


 花巻教会もこのように戦争の時代を経験してきました。今年は敗戦から70年目の年でもあります。戦時中も教会を守ってくださった信仰の先達たちに感謝をすると共に、この悲惨な時代を二度と繰り返すことのないように、私たちはいま決意を新たにしたいと思います。


また私たちは戦争において被害者であったと同時に、加害者でもあったことを忘れてはならないでしょう。日本はかつての戦争でアジア諸国に甚大な被害をもたらしました。


花巻教会が属する日本キリスト教団は戦時中、戦争に反対するどころか、むしろ積極的に協力をしました。教会が、イエス・キリストの名によって戦争を肯定するという罪を犯したのです。国家と教会が一体に結びついて、戦争に協力をしました。私たちはその罪責の歴史を忘れることなく、その歴史を踏まえた上で、今日の教会の在り方を問い直し続けねばなりません。


 


人の子は引き渡され……


改めて、本日の聖書箇所をごいっしょに見てみたいと思います。主イエスがあらかじめ、ご自身の受難と十字架の死を予告している場面です。


マルコによる福音書103234節《一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。/「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。/異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。」


ここで主イエスを捕らえる《祭司長たちや律法学者たち》というのは、当時のイスラエルの宗教的な権力者たちのことを意味しています。主イエスを十字架刑に処す《異邦人》というのは、ローマ帝国の権力者たちを意味しています。


当時、イスラエルはローマ帝国に支配下にありましたが、イスラエルの宗教と政治の指導者たちはローマに従順であることで自分たちの保身を図ろうとしていました。宗教と政治とが切り離し難く一体に結びついているのが当時のイスラエル社会の状況でした。


 イスラエルの指導者たちの目には、イエス・キリストの教えは極めて危険なものとして映ったようです。主イエスの教えは、当時の社会の体制をひっくり返すような革新性を秘めていたからです。


当時民衆の間には、ローマ帝国の支配からイスラエルの独立を取り戻そうという機運が高まっていました。人々はそのような主イエスに対して、イスラエルの独立を成し遂げてくれる救世主の役割を期待しました。権力者たちは主イエスにそのような反乱の匂いを嗅ぎ取っていたのかもしれません。


 しかし、主イエスが取り戻そうとしておられたのはイスラエルの「名誉」の回復ではありませんでした。主イエスにつき従っていた人々はやがてそれに気づき、主イエスに失望をしてゆきます。主イエスのそのお考えは周囲の身近な者たち、弟子たちからも理解されることはありませんでした。失望した民衆はやがて、主イエスを支持する側から主イエスを攻撃する側へと一転してゆきます。権力者たちによって捕えられた主イエスを助けるどころか、むしろ一緒になって侮辱し、攻撃する側に回っていってしまったのです。


主イエスが取り戻そうとしておられたのがイスラエルの「名誉」の回復ではないのだとしたら、主イエスが取り戻そうとしておられたのは、何か。それは、私たち一人ひとりに与えられている神さまからの「尊厳」です。これが、主イエスの革新性の根幹にある事柄です。


 


神さまからの生命と尊厳を第一に


「尊厳」とは、言い換えると、私たち一人ひとりの「かけがえのなさ(代替不可能性)」ということです。神さまの目から見て、「私たち一人ひとりの存在がいかにかけがえなく貴いか」ということをイエス・キリストの福音は私たちに伝えて下さっています。


「かけがえのない」ということは、「決して替わりがきかない」ということです。私たちは神さまの目から見て、替わりがきかない存在である。であるのだとしたら、誰一人失われてよいという存在はいないでしょう。たとえ国家や民族のためであったとしても、宗教のためであったとしても、誰かがその犠牲になったり、殺されたりしてよいということにはなりません。


 主イエスは民族や国家よりも一人ひとりの個人を大切にされました。律法よりも人間の命を大切になさいました(マルコによる福音書316節)。それは当時の価値観と社会の在り方を180度ひっくり返すものでした。政治と宗教の指導者たちが脅威を感じたのもある意味もっともなことであるといえるでしょう。


私たちが常に立ち還るべきはこのイエス・キリストの福音です。私たちはこの福音にこそ根ざし、そこからいまこの現実を正しく見つめ、発するべき言葉を発してゆきたいと願います。


 


ナショナリズムの台頭の中で


安全保障法制についてのニュースが日々報道されています。現在自民党と公明党の与党は、安保法制の衆議院の通過を求めています。その内容はイエス・キリストの福音とは相容れないものである、ということは明白です。


政治家の方々が国家の安全保障を追及してゆくのは政治家の責務として当然といえば当然です。しかし問題は、いまの政治の中心にいる方々が、国家に一種の「宗教的な」価値を置いているところです。国家にこそ最大の価値があり、国民は国家に仕えるべき存在であるという転倒した論理がそこには横たわっています。いわゆる「国家主義」の立場に立っているということができますが、このナショナリズムがかつての戦争において世界を悲惨な方向へ導いたことを想えば、私たちの国はいま極めて危うい状況にあります。極端なナショナリズムには、国民が国家のために犠牲になることをよしとする考えを内在しているからです。


この「国家主義」と真逆であるのが、「立憲主義」という考え方です。立憲主義は、「国民が国家権力を縛るために憲法を制定する」という考え方であり、近代以降の国際社会の根本的なルールとなっているものです。いまの日本政府はこのルールから逸脱しようとしているということになります。現在私たちの国の「立憲主義」の危機的状況にあるというゆえんです。政治家は立憲主義に固く立って法律を定めてゆくことが最大の責務であり、その立場をないがしろにするということは、いわば責務を放棄していることと同然となります。いわんや政治家が国家主義の立場を前面に打ち出してゆくということはあってはならないことでしょう。かつての悲惨な戦争の反省がまったく踏まえられていないと言わざるを得ません。


イエス・キリストの福音は一人ひとりの人間に最重要の価値を置き、その生命と尊厳が保障されるべきことを語っています。国家や宗教のために人間が犠牲になってもよいということには決してつながりません。イエス・キリストの福音は、立憲主義や私たち市民社会の「土台」を形成してゆくもの、ということができるでしょう。


 


主はいま生きておられる


主イエスの言葉は当時人々に理解されず、ローマ帝国に反抗する危険人物として、もしくは神を冒涜する者として権力者たちに捕えられ、十字架刑によって殺されることになりました。主イエスの神の国の運動はその意味で中途で終わってしまったということになります。しかし、本日の聖書箇所の最後で、主イエスはおっしゃっています。《そして、人の子は三日の後に復活する》――。


イエス・キリストは十字架の死の三日の後に、神ご自身によって復活させられました。その事実は、イエス・キリストの福音の真理が決して滅びることはないということを私たちに伝えています。


主イエスはいま生きておられます。私たちと共にいてくださり、私たちに福音という神の力を与えて下さっています。私たち一人ひとりに神さまからの尊厳の光がともされるようにという主の祈りは、いまも私たちと共にあります。この主イエスの祈りに、私たち自身の祈りを合わせてゆきたいと願います。