2016年12月24日「愛に根ざして」

20161224日 花巻教会 クリスマス・イブ礼拝

聖書箇所:エフェソの信徒への手紙31421

「愛に根ざして」

 

 

エフェソの信徒への手紙31421こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。/御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。/どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、/信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。/また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、/人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。/

 わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、/教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン

 

 

 

クリスマス・イブ礼拝

 

 本日は皆さんとご一緒にクリスマス・イブ礼拝をおささげできますことを心より感謝いたします。

普段花巻教会は日曜日の朝に礼拝をささげていますが、イブの日にはこのように、夕方、ろうそくにあかりを灯して礼拝をささげます。ろうそくまたはペンライトを用いる礼拝を「キャンドルサービス」と言います。今晩は全国の教会で、キャンドルサービスが行われています。

 

日本ではいつしかクリスマス・イブの方が大事な日のようになっていますが、教会にとって大切なのは、もちろん明日のクリスマス当日ですね。

クリスマス・イブの「イブ」とは、「イブニング(evening)」のイブです。クリスマス・イブは日本語にすると、「クリスマスの夕方(夜)」となります。昔ヨーロッパでは夕方から一日が始まるとされ、24日の夕方からクリスマスに入ると考えられていたことに由来する呼び方です。現在は日付が変わるのは夜の12時なので、クリスマス・イブは「クリスマスの前日」という意味で用いられるようになりましたが、元来は「クリスマスの夕方(夜)」という意味の言葉だったのですね。その意味で、クリスマス・イブからすでに、クリスマスは始まっているのだと受け止めることもできます。

 

今年ももうすぐ終わり、年末で何かと慌ただしいですが、ろうそくの火を前に、心を落ち着け、ご一緒にクリスマスのメッセージを受けとめたいと思います。

 

 

 

エフェソの信徒への手紙より

 

 お読みしました聖書の言葉は、新約聖書の中のエフェソの信徒への手紙という書に記されている言葉です。エフェソの信徒への手紙は、そのタイトルからも分かりますように、もともと教会に宛てられた手紙であったものです。伝統的に、パウロという人物が手紙の著者であるとされています。

 

 手紙の中に、次の文章があります。1617節《どうか、御父が、/…信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように》。

 この一文の中で、特に、心を留めたい大切な二つの言葉があります。一つは、《愛に根ざし》という言葉、もう一つは《心の内にキリストを住まわせ》という言葉です。

 

 

 

愛に根ざして

 

一つ目のキーワード、《愛に根ざし》――。ここでは私たちが日々の生活の中で、愛に根をおろしていることの大切さが述べられています。言い換えれば、愛を土台として生きてゆく、ということです。あたたかな気持ち、人を思いやる気持ち、自分自身と他者を大切に想う気持ちを土台として生活してゆくこと。

 

私たちは普段、何に根ざしているでしょうか。どのようなものを土台として生活しているでしょうか。慌ただしい生活の中で、心に余裕がなく、またさまざまな苦労が多い生活の中で、むしろ愛とは対照的なものにつながってしまっていることが多い気がします。それは不安や恐れであったり。または冷たい無関心であったりします。また誰かへの怒りや、嫉妬心であったりします。私たちはそのような、何かあたたかさとは正反対のものを土台とし、日々の生活の原動力としてしまっていることが多いのではないでしょうか。

 

そのような否定的な感情にばかりつながってしまっているとき、私たち自身、非常に辛い気持ちになります。心からは安心感が失われ、体も緊張してリラックスできなくなり、疲れやすくなります。だんだんと体調がすぐれなくなっていってしまうこともあるでしょう。自分自身のためにも、私たちは否定的な感情にではなく、肯定的な感情につながっていることは大切です。

 

しかし、そうは言っても、それはなかなかできることではありません。頭では分かっていても、自分の心と体が言うことを聞いてくれないことが多いものです。

 

また私たちの生きる社会は、私たちを不安にさせる要素に満ちています。新聞やテレビのニュースを見るだけでも、私たちの社会がいかに不安や恐れに覆われてしまっているかということが分かります。

先日のベルリンで大型トラックがクリスマス市に突入したテロ事件を受け、ヨーロッパ各国では厳戒態勢の中でクリスマスを迎えているそうです。多くの人の心の内にあるのは、クリスマスの喜びよりも、むしろ不安や恐れ、悲しみでありましょう。

日々、辛いニュース、悲しいニュースが絶えることがない中で、また自分自身も忙しさの中で心に余裕がない中で、愛に根ざしていること、あたたかな気持ちにつながっていることは、至難の業のようにも思えます。聖書に出てくるような信仰の篤い人々ならできるのかもしれないけれど、自分にはできない、とてもその力がない、と思ってしまいます。

 

 

 

心の内にキリストを住まわせ ~「内住のキリスト」

 

 そのような私たちにとって、大切なメッセージを伝えてくれていると思うのが、二つ目のキーワードです。《心の内にキリストを住まわせ》――。私たちの心の内にキリストが住んでくださるという意味の言葉です。

 

 あまり聞きなれない表現であるかと思いますが、「内住のキリスト」という言葉がございます。「内住」というのは「内に住む」と書きます。つまり、「私たちの内に住んでおられるキリスト」という意味ですね。

 

 普段皆さんは、イエス・キリストはどこにいらっしゃるものとしてイメージしてらっしゃるでしょうか。ある人は、歴史の教科書の中にいる、とイメージしてらっしゃるでしょう。クリスチャンである人なら、イエス・キリストを信仰の対象としていますので、復活していまは天におられると捉えていらっしゃるでしょう。また、遠く離れたところではなく、いつも私たちのすぐそ近くにおられるのだと受け止めておられる方もいらっしゃることと思います。そのいずれも、とても大切な視点です。聖書にも、そのいずれにも該当する言葉が記されています。

 

 聖書はこれら視点に加え、さらに、「内住のキリスト」という視点があることを私たちに伝えています。私たちの存在の「内に」、復活されたキリストが住んでおられる、宿っておられるのだという視点です。ただ、これまでの歴史において、この「内住のキリスト」はあまり語られてこなかった、ということがあります。

 

 私たちの「内に」、キリストがおられる、とイメージしてみると、どうでしょうか。自分なんかの内に、キリストはいらっしゃるはずがない、と思ってしまう方もおられるかもしれません。また、そのようなことはまったく実感できない、という方もおられるでしょう。

 

 しかし、聖書が語るのは、私たち一人ひとりの内に、キリストがおられるのだ、ということです。「キリスト」という言葉を使わないのなら、何か「大いなる存在」が、私たちの内に宿っている、ということもできるでしょう。

 

 その大いなる存在は、いつも私たちの心の内にいて、私たちに語りかけています。「わたしは、あなたを、愛しています」と。

 

先ほど、「愛に根ざす」ということがいかに私たちにとって難しいか、ということを述べました。もし私たちの内がからっぽだったら、もしくは否定的な想いしか蓄えられていないのだとしたら、確かに愛に根ざすということは難しいでしょう。けれども、私たちの内にキリストがおられるのだとしたら。愛に根ざすということは、私たちにとって、不可能なことではなくなります。他ならぬ、私たちの内に、キリストが宿っているのですから。愛に根ざすとは、私たちの内に生きておられるキリストの愛に根ざす、ということです。

 

私たちの心の内の不安や恐れより、さらに深いところに、キリストはおられます。

耳を澄ますと、自分の存在の内から、キリストの愛の言葉が聴こえてくるでしょう。「わたしは、あなたを愛しています」という声が。

 

 

 

一人ひとりが、キリストを宿す者として

 

かつて、一人の若い女性が、キリストを宿す器として選ばれました。イエス・キリストの母マリアです。天使はマリアの前に現れて言いました。《おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる》(ルカによる福音書128節)――

 

  2000年前は、それはマリア一人に託された使命でありました。それはいま、私たち一人ひとりに託された使命となっています。私たち一人ひとりが、私たちの内に宿ってくださっているキリストを大切に守ってゆくのです。見失ってはならないその光を、その命を、その愛を。その愛は、いますでに私たちの心の内に芽吹いています。クリスマスを迎える今、一人ひとりの内に、キリストの光が、キリストの愛がともされています。

 

 最後に改めて、エフェソの信徒への手紙の言葉をお読みいたします。1617節《どうか、御父が、/…信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように》。