2016年3月27日「あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる」

 2016327日 イースター礼拝・教会学校と合同・信仰告白式

聖書箇所:マルコによる福音書1618

「あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる」

 

 

マルコによる福音書1618

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。/そして、週の初めの日のごく朝早く、日が出るとすぐ墓に行った。/彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。/ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。/墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。/若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。/さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる』と。」/婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである》。

 

 

 

1、復活の日の朝

 

本日はイースター礼拝をごいっしょにおささげしています。イースターは、イエス・キリストが復活されたことを記念する日です。

 

先ほどお読みした聖書箇所には、イエスさまが復活された場面が記されていました。

 

それは日曜日の朝のことでした。明け方の、辺りがまだうす暗い中、三人の女性がお墓に向かっていました。女性たちの名前は、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメと言いました。二人目の女性は、イエスさまのお母さんのマリアです。

 

マリアさんたちが向かっていたお墓には、亡くなったイエスさまのお体が収められていました。金曜日の午後3時、イエスさまは十字架の上で亡くなりました。十字架から降ろされたイエスさまのご遺体をお納めしたお墓にマリアさんたちは向かっていました。

 

マリアさんたちは手に香油を持っていました。香油とは、よい香りのする油です。イエスさまの傷ついたお体をそのよい香りのする香油を包んで差し上げたい一心で、マリアたちはお墓に急いでいました。地平線には、夜明けの星が輝いていました。

 

マリアさんたちは気がかりなことがありました。それは、墓の入り口をふさいでいる大きな石のことです。イエスさまのお墓の入り口は大きな石でふたをされていました。非常に大きな石で、とても自分たちの力では動かすことができないものでした。マリアさんたちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていました。

 

さて、お墓に着きました。うつむいていたマリアさんたちが目を上げて見てみると、大きな石はすでにゴロンとわきへと転がしてありました。一体誰が動かしてくれたのでしょう? 不思議に思いながら、マリアさんたちはお墓の中に入りました。すると、白い長い衣をした若者が座っていました。マリアさんたちはびっくり仰天しました。

 

白い衣を着た若者はマリアさんたちに言いました。「驚くことはありません。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜していますが、あの方は復活なさって、ここにはおられません。ご覧なさい。お納めした場所です」。

 

若者に促されてお墓の奥の方を見ると、そこは空でした。横たえられているはずのイエスさまのお体は、そこにはありません。大切なイエスさまのお体は消え去っていました。マリアさんたちは突然の出来事に、びっくり仰天しました。

 

この白い衣を着た若者は、どうやら神さまから遣わされた使いのようでした。つまり、天使ですね。神さまから預かっている大切なメッセージを伝えるため、天使がここにやって来たようです。神さまからのその大切なメッセージとは、「イエスさまが復活なさった」ということです。

 

天使は続けます。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれます』と」。

 

天使は、「復活されたイエスさまとガリラヤでお会いできる」ということを告げました。そしてそのことを男性のお弟子さんたちにも告げるようにと言いました。

 

ガリラヤとは、イエスさまの故郷です。マリアさんたちやお弟子さんたちがイエスさまと出会った場所です。マリアさんやお弟子さんたちはガリラヤでイエスさまの弟子になりました。すべては、ガリラヤから始まって行ったのです。

天使はマリアさんたちに、再びガリラヤへ行くようにと告げます。そこで、復活したイエスさまと会うことができる。

 

マリアさんたちは突然の出来事にぼう然としながら、フラフラとお墓から出ました。明るい朝の光が、マリアさんたちの全身を包み込みます。朝の光の中で、マリアさんたちは体がぶるぶると震えていました。一体何が起こったのか、よく分からなかったからです。強い恐怖がマリアさんたちをとらえていました。マリアさんたちは墓から離れ、そして逃げるように駆け出して行きました。町に戻ってからも、イエスさまが復活されたことを、誰にも言いませんでした。

 

 

2、意外な終わり方

 

これが、マルコによる福音書が記す復活の日の朝の場面です。その終わり方を、ちょっと意外に感じた方もいらっしゃるかもしれません。天使から復活の知らせを聞いて、マリアさんたちは大喜びするのかと思ったら、そうではなかった。マリアさんたちは怖くなって、逃げ去ってしまった。

 

これがもし自分がマリアさんの立場だったら、と想像してみたらどうでしょうか。大きな石が動かされていたり、天使が現れたり、お墓の中が空っぽだったり、そのような自分の理解を超えた驚くべきことが立て続けに起こったとしたら。びっくりしすぎて、ポカンとしてしまう、そして何だか怖くなってしまうというのも当然であるかもしれません。

 

マリアさんたちは強い恐れにとらわれてしまっていたので、天使が告げた肝心のメッセージ――「イエスさまが復活なさった」という知らせをしっかりと受けとめることができませんでした。「復活されたイエスさまとガリラヤでお会いできる」というメッセージの意味も、理解することができませんでした。マリアさんたちはその後、ゆっくりと時間をかけて、その言葉の意味することを理解していったのでしょう。

 

それは、私たち一人ひとりもまた、そうなのではないでしょうか。「イエスさまが復活なさった」ということを誰かから聞いても、もしくは聖書で読んでも、すぐにそれを受け入れ理解することができる人は少ないのではないでしょう。多くの人は、ゆっくりと時間をかけて、少しずつ、そのことを理解し受け入れてゆくのではないかと思います。復活というのはそれほど、私たちの理解を超えた驚くべき出来事であるからです。

 

 

 

3、悲しみがあまりにも深く

 

マリアさんたちが天使たちのメッセージを理解できなかった理由がもう一つあるように思います。それは、マリアさんたちの悲しみがあまりに深いものであった、ということです。愛するイエスさまを失ったマリアさんたちの悲しみと失望は、天使の言葉も届かないほど、深かったのです。

 

マリアさんたちは愛するイエスさまが死んでしまったことにより、深い悲しみの中にいました。「すべては終わってしまった」という絶望の中にいました。その悲しみと失望は、動かすことのできない大きな石のように、マリアさんたちの心をふさいでいました。

 

マリアさんたちの脳裏からには常に、十字架におかかりになっているイエスさまのお姿が焼き付いて離れませんでした。イエスさまのお苦しみとその死を決して忘れないことが、遺された自分の唯一の使命であるとも思っていたかもしれません。

 

 マリアさんたちの心は、天使の言葉によってさえも、動かされることはありませんでした。マリアさんたちの心を動かし、マリアさんたちの魂を立ち上がらせることができるのは、誰の言葉でもない、ただイエスさまの言葉だけです。

 

 

 

4、よみがえられたイエスさまご自身が

 

 本日の聖書箇所では、マリアさんたちはよみがえらえたイエスさまご自身とはいまだ出会ってはいません。マリアさんたちは、「イエスさまが復活なさった」ことを天使から伝え聞いただけです。よみがえられたイエスさまご自身がマリアさんたちの目の前に現れてくださるとき、初めて、マリアさんたちの魂は立ち上がるでしょう。どのような言葉も届かなかったマリアさんたちの魂が起き上がるでしょう。

 

かつてガリラヤで、イエスさまがマリアさんの名前を親しく呼んでくださったように、復活されたイエスさまが再びマリアさんの名前を呼んでくださるとき。マリアさんは初めて、イエスさまが復活されたことを、全身で、心の底から理解するでしょう。マリアさんの悲しみは喜びへと変えられ、頬を伝う涙は、喜びの歌へと変えられてゆくでしょう。

 

天使は、「復活されたイエスさまとガリラヤでお会いできる」という約束の言葉を贈りました。マリアさんたちはその後ガリラヤにて、再びイエスさまと出会うことができたでしょうか。きっと再び出会うことができたことと思います。そして、復活されたイエスさまと「共に生きる」という新しい生き方を始めて行ったことでしょう。イエスさまがかつてガリラヤで示して下さった愛の道を、今度はマリアさんたち自身が、歩んでゆくのです。

 

よみがえられたイエスさまと共に。よみがえられたイエスさまは、もうどこにも行きません。イエスさまはいつもマリアさんたちと共にいてくださいます。

 

 

 

5、ここガリラヤで

 

 マルコによる福音書は、私たち一人ひとりに、ガリラヤへ来るようにと招いています。よみがえられたイエスさまと再び出会える場所、ガリラヤ。復活のイエスさまと共に生きる場所、ガリラヤ。私たちにとってのガリラヤとは、どこでしょうか。それは他でもない、私たちそれぞれが懸命に生きている「この場所」です。それぞれが悲しみ、悩み、苦しみながら生きる「この場所」。互いに傷つけあいながら、それでも、互いを愛そうとして生きる「この場所」。「ここ」が、私たちにとってのガリラヤです。

 

よみがえられたイエスさまは、いま、ここに共におられます。たとえ目には見えなくても、イエスさまはいま生きて、共に働いてくださっています。これまでも、いまも、これからも、変わることなく。

 

 本日はこの後、上野花さんの信仰告白式がもたれます。上野花さんのこれまでのご生涯を、イエスさまはいつも共にいて、支えてくださいました。これからも、共に歩んでくださることを私たちは信じます。どうぞ、ここに集ったお一人ひとりが、ここガリラヤで、共に生きてゆくことができますように。

 

イエスさまの復活の命の光の中で、ここガリラヤから、共に「神の国」を実現してゆくことができますよう願います。