2017年5月14日「十二人を派遣する」
2017年5月14日 花巻教会 主日礼拝
聖書箇所:マタイによる福音書10章1-15節
「十二人を派遣する」
マタイによる福音書10章1-15節《イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。/十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、/フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、/熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。/
イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。/むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。/行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。/病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。/帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。/旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。/町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。/その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。/家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。/あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。/はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」》
宮沢賢治『雨ニモ負ケズ』
昨年の末、岩手在住の詩を書いている若い友人たちと集まる機会がありました。その中で、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』が話題に上りました。ある友人は、この詩の中で、《行ッテ》というところが心に残っていると言いました。皆さんもよくご存じの次の部分です――《東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ/南ニ死ニソウナ人アレバ/行ッテコワガラナクテモイイトイイ/北ニケンカヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイイ…》(中村稔編『新編 宮沢賢治詩集』、角川文庫クラシックス、1997年、328‐329頁)。
私も友人が言いたいことはよく分かる気がしました。私自身、この《行ッテ》という言葉がずっと心に残っていたからです。短い言葉ですが、この言葉に賢治さんの万感の想いが込められているように感じていました。
自分のところに来てもらうだけではなく、苦しんでいる人、困っている人のところに自ら赴かんとする。それはまさに賢治さんが生涯をかけてやりたいと願っていたことであったでしょう。自身は裕福な家庭にありながらそこにとどまろうとせず、《行ッテ》、農民の人々と共に生きようとする。
と同時に、行った先々で拒絶されるという辛い経験もしたことでしょう。自分のやろうとしていることが理解されず、悲しい思いをすることもあったでしょう。それでもなお、苦しんでいる人のところにわが身を投じようとした。自分は何もできずに無力であっても、苦しんでいる人のそばにいようとした。《…ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/ソウイウモノニ/ワタシハナリタイ》(同、329頁)。
ご存じのとおり、この詩は死後に発見された手帳の中に記されていたものです。本来はタイトルもついてはおらず、冒頭に「11月3日」と日付がついているだけです。文章が終わった次の頁には大きな文字で「南無妙法蓮華経」と記されています。賢治さんはこの詩を誰かに読んでもらうつもりもなく、病床で書かずにはいられなかったからただ手帳に書き留めただけであったのかもしれません。しかしそれだけに、人々の心に直接的に訴えかける力をもった文章となっており、賢治さんの詩の中でも最も有名な詩となりました。
この詩のモデルは、花巻在住のキリスト者斎藤宗次郎氏だという説もあります。賢治さんはこの詩に書いているような人間に「なりたい」と願っていたけれども、しかし現実には「なれなかった」――そう感じていたのかもしれません。この詩で描くようには、現実には十全に生き切ることはできなかった、という悔いのような感情も、私はこの詩から感じます。この詩が書かれたのは亡くなる2年前。すでに賢治さんは病いの床についていました。もはや、苦しんでいる人々のところに《行ッテ》、何かをする体力も残されていなかった時期でした。布団に横たわりながら、迫りくる自身の死を予感しながら、それでも、「そういう者にわたしはなりたい」と願い続けていた。その切なる祈りは、賢治さんの死後もともし火のように燃え続け、読む人々の心に、仏教の言葉でいうと「慈悲」の心を呼び起こし続けているのだと思います。
《行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい》
宮沢賢治さんの『雨ニモ負ケズ』のお話しをしましたのは、本日の聖書箇所にも同じ《行って》という言葉が記されていたからです。イエス・キリストが12人の弟子たちを派遣する場面です。
主イエスは弟子たちにこうおっしゃいました。7-8節《行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。/病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい》。
ここでもやはり、苦しんでいる人、困っている人のところに「自ら赴く」ことが語られています。待っているだけではなく、「行って」、自分にできることをなそうとする。それはほかでもない、主イエスご自身が生前になさってくださったことでした。
主イエスは、当時の社会の中で疎外され、痛みを感じて生きていた人々を訪ね歩いてくださいました。レプラを患う人(新共同訳《重い皮膚病を患っている人》、8章1-4節)、「異邦人」(8章5-13節)、病いを持つ人(8章14-17節)、「悪霊に取りつかれた」とみなされている人(8章28-34節)、中風の人(9章1-8節)、「徴税人」また「罪人」と呼ばれていた人々(9章9-13節)、目の見えない人(9章27-31節)、言葉を発することができない人(9章32-34節)……。主イエスはこれら人々のもとに「行って」、神の国の福音を伝え、その痛みをいやし、魂を立ち上がらせていってくださいました。
憐れみ ~痛みを痛みとして感じとること
「わたしがしたように、行って、あなたがたも人にしなさい」――そう主はわたしたちを招いてくださっています。その招きを自覚しつつ、しかしわが身を振り返ると、いかに「行って」、何事かすることが少ないことかと思わされます。そのことの大切さを想いつつ、現実にはほとんど実行できていない。
いや、それどころか、「自ら赴く」ことの大切さ自体を忘れてしまっていることがあるように思います。忙しさの中で、自分の心に余裕がない中で……。そのような私たちであるからこそ、自分の心を神さまの憐れみに向け直すことが大切であるのだと思います。仏教で言うと、仏の慈悲の心、キリスト教で言うと、神の憐れみの心に。
「憐れみ」とは、別の言葉で言い返ますと、「痛みを痛みとして感じとること」であり、「人の痛みをわが痛みとすること」です。そこには他者の痛みはもちろん、自身の心の痛みも含まれます。自分の心の痛みを感じ取ってあげることもまた、大切な愛の行為の一つです。
本日の聖書箇所の直前に、このような文章がありました。9章35-36節《イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。/また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた》。
主イエスは目の前にいる人々が弱り果て、うちひしがれている様子を見て、深く憐れまれました。この部分を岩波訳聖書は《彼は群衆を見て、彼らのことで腸のちぎれる想いに駆られた》と訳しています。主イエスの「憐れみ」とは、はらわたがちぎれる想いでの「痛みの共有」であることが表されています。主イエスは私たちの痛みをご自分の痛みとしてくださっている方であるのです。苦しむ人々の傍らへ「自ら赴く」――そのように主イエスを駆り立てているものは、この神の「憐れみ」でありました。どれだけ激しく拒絶を受けようとも、主イエスは人々のもとに赴くことをお止めにはなりませんでした。その拒絶の先に、十字架の死が待ち受けているのであっても。
主の憐れみを携え、それぞれの生活の場に
「行って」、神の国の福音を伝えるということ。それは、主イエスの12人の弟子たちのように、最低限の持ち物を携えて宣教の旅に出る、ということをだけ指すのではありません。私たちそれぞれの生活の場においてもまた、それを実行してゆくことができます。
礼拝後、私たちはそれぞれの生活の場に戻ります。教会ではそれを「派遣」と捉えています。
礼拝堂から、それぞれが再び生活の場に主に「遣わされて出て行く」のだという捉え方です。
私たちは礼拝において主の憐れみにつながり、それを自らの心に沁みわたらせます。主は私たちの痛みを、我が痛みとして感じ取ってくださっています。この主の憐れみは私たちの頑なになっていた心を、再び柔らかにしてくださいます。「痛みを痛みとして感じとる心」を取り戻してくださいます。主の憐れみを心の内に携え、私たちはまた生活の場へと遣わされてゆきます。
すべての人の心に、「痛みを痛みとして感じとる柔らかな心」は宿されています。ただし、それが頑なになってしまい、自他の痛みに無感覚になっていることが多いのです。私たちは、心の奥深くに宿されたこの神の「憐れみ」につながり、それを私たちの日々の振る舞いの動力としてゆかねばならない、と改めて思わされています。
《行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。/病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい》――私たちはそれぞれ、主の呼びかけを受け、それぞれの生活の場に遣わされてゆきます。もちろん、他者の痛みを感じとることは簡単なことではありません。自分が経験したことがない痛みを真に理解することは、私たちにはできないことなのかもしれません。けれども、その痛みに少しでも想いを馳せようとすることはできます。行って、互いの痛みを学び合う(9章13節)ことはできます。互いに痛みを分かち合い、そばにいようとすることはできます。その振る舞いが、私たち自身の痛みを少しずついやしてゆくことにつながってゆくのでしょう。互いの魂を、再び立ち上がらせてゆくことにつながってゆくでしょう。その振る舞いの中で、神の国は、少しずつ私たちの間に実現されてゆきます。
主の憐れみを内に携え、それぞれの生活の場に派遣されてゆきたいと思います。