2018年11月25日「キリスト、油注がれた方」

20181125日 花巻教会 主日礼拝説教

聖書箇所:サムエル記下515

 

キリスト、油注がれた方

 

 

 

サムエル記下515節《イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。/これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」/イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。/ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。/七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した

 

 

 

教会創立110周年記念講演会 ~「宮沢賢治とクリスチャン」

 

 私ども花巻教会は今年、創立110周年を迎えました。花巻教会が創立されたのは1908年の7月。以来、110年の間、多くの方々に支えられながら歩んでこられましたことを、心より感謝申し上げます。

 

昨日は花巻教会創立110周年を記念する講演会を行いました。講師に雜賀信行さん(雜賀編集工房、クリスチャン・プレス編集長)をお招きし、「宮沢賢治とクリスチャン」を主題にお話しいただきました。教会関係者の方々や地域の方々もたくさん足を運んでくださり、感謝です。そして、ご多忙の中、講師を務めてくださった雜賀信行さんに心より感謝いたします。

 

講演会ではオープニングとして、花巻ユネスコ ぺ・セルクルの皆さんに、賢治さんゆかりの曲を合唱していただきました。『星めぐりの歌』『ポラーノの広場の歌』『精神歌』の3曲です。美しいハーモニーによって、賢治さんの世界に一気に連れて行っていただいたような心地になりました。花巻ユネスコ ぺ・セルクルの皆さんにも感謝いたします。

 

 講演会では、宮沢賢治と花巻のクリスチャンのつながりについてお話しくださいました。雜賀さんは2015年に『宮沢賢治とクリスチャン』(雜賀編集工房)という本を出版されています。この本を執筆するにあたりこの教会にも取材に来てくださいました。花巻に住んでいた当時のクリスチャンの方々、花巻教会の信徒の方々もたくさん本の中に登場しています。これまで賢治関連の本ではあまり言及されることはありませんでしたが、雜賀さんのご本によると、賢治さんは幼い頃よりキリスト教が身近な環境にあり、少なからぬ影響を受けて来たということです。この度の講演会では特に、賢治さんが親しくしていた斎藤宗次郎さんと島栄蔵さんという花巻の二人のクリスチャンについてお話ししてくださいました。

 

 

 斎藤宗次郎さんは内村鑑三の弟子で、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』のモデルになっているのではないかと言われている人です。島栄蔵さんは花巻教会員で、教会の草創期を支えて下さった信徒の方です。賢治さんは島さんに連れられて、少なくとも花巻教会に二度来たことがあるそうです(雜賀信行氏『宮沢賢治とクリスチャン 花巻篇』、101頁)。賢治さん自身は日蓮宗の信仰を持っていました。しかし、宗教の違いを超えて、このお二人との間に深い魂の交流があった、お互いに影響を与え合っていたことを雜賀さんはお話しくださいました。

 

 

 

 

自分のためだけではなく、他者のために懸命に生きるという姿勢

 

雜賀信行さんのお話をお聞きしながら、私もまるで当時の花巻の地に降り立って、そこをご一緒に歩いているような気持になりました。もちろん、当時私たちはまだ生まれていなかったわけですが、雜賀さんの語りを通して、会場に集った皆さまも、まるで当時の花巻の空気が吸っているような心地になったのではないでしょうか。そして賢治さんや、花巻教会草創期の信仰の先達たちと出会うことができたような、そのような気持ちになられたのではないかと思います。私自身、斎藤宗次郎さんや島栄蔵さんのお人柄に触れ、その生き方に触れ、大きな励ましを与えられました。

 

雜賀さんは賢治さんの最も有名な詩である『雨ニモマケズ』に聖書の言葉の影響が見られるという解釈も紹介くださいました。交流のあった斎藤宗次郎さんや島栄蔵さんの生き方を思い起こしつつ、《サウイフモノニ/ワタシハナリタイ》と賢治さんは綴ったのではないかとお話しくださいました。

 

確かに、『雨ニモマケズ』と聖書のメッセージには共通するものがあると思います。それは、自分のためだけではなく、他者のために懸命に生きようとするという姿勢です。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く姿勢。聖書には、イエス・キリストがそのような生き方をされたことが記されています。

 

 

 

賛美歌『馬槽のなかに』と『雨ニモマケズ』

 

先週、高校のチャペル礼拝で、『馬槽のなかに』(『讃美歌21280番)という曲を高校生の皆さんに紹介しました。作詞者は由木康氏、作曲者は安部正義氏。日本で作られた代表的な賛美歌の一つで、私も大好きな賛美歌です。この賛美歌の特徴は、イエス・キリストの「生き方」にスポットを当てている点です。イエス・キリストがいかに他者を想い、他者のために生きようとされたか。誕生から最後の十字架の死の瞬間まで、それが謳われてゆきます。

 

チャペル礼拝のメッセージにあたり、改めて歌詞を見ていると、そばにいた妻が「『雨ニモマケズ』みたいだね」と言いました。確かにそう言われてみると、賢治さんの『雨ニモマケズ』に通ずるものがあるなと思いました。たとえば2番の次のような歌詞です。2番《食するひまも うちわすれて、/しいたげられし ひとをたずね、/友なきものの 友となりて、/こころくだきし この人を見よ》。最後の《この人を見よ》の《この人》とは、イエス・キリストのことです。

 

皆さんもよくご存じのように、『雨ニモマケズ』にはこのような一節があります。《アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノノ/小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ/

東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ/北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ…》。

 

また、『馬槽のなかに』の3番はこのような歌詞です。3番《すべてのものを あたえしすえ、/死のほかなにも むくいられで、/十字架のうえに あげられつつ、/敵をゆるしし この人を見よ》。イエス・キリストはそのように他者のために懸命に生きましたが、生前、その努力が報われることはありませんでした。様々な誤解や妬みや誹謗中傷を受け、最後には、十字架刑によって殺されてしまうこととなりました。十字架刑に処せられたとき、イエス・キリストは《父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです》と語ったといわれます(ルカによる福音書2334節)

 

このイエス・キリストのお姿も、何か『雨ニモマケズ』と通ずるものがあるかもしれません。『雨ニモマケズ』の詩の部分の最後は、次のように締めくくられます。《ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ》。

 

 

 

《サウイフモノニ/ワタシハナリタイ》

 

ご紹介した賛美歌『馬槽のなかに』と賢治さんの『雨ニモマケズ』はもちろん、直接的な関係があるわけではありません。しかし、改めて『馬槽のなかに』という賛美歌について調べていると、不思議な共通項があることが分かりました。

 

『馬槽のなかに』を作詞した由木康先生は牧師であり、日本を代表する賛美歌作詩者の一人です。クリスマスの賛美歌『きよしこの夜』を訳詞したのも、由木康先生です。調べてみると、由木康先生が生まれたのは1896年で、賢治さんが生まれたのと同じ年でした。由木先生と賢治さんは同い年、まさに同じ時代を生きていたお二人でした。

 

 由木先生が『馬槽のなかに』の原型になる詩を作詩したのは1923年、まだ27歳であったときです。由木先生は東京で牧師をしておられました。若い牧師であった由木先生は当時、最新の神学の影響を受けて、イエス・キリストが神の子であることについて、想い悩んでおられたそうです。ご自身の信仰が揺らいでいた時期であったのでしょうか。そのような中、一人の人間として生きたイエス・キリストのお姿に心が向かうようになり、他者のために生涯をささげた、一人の人間であるイエスのそのお姿を通してこそ、神さまの愛が啓示されていることを確信するようになったとのことです。その確信の中で生まれたのが、この『馬槽のなかに』です(参照:日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌21略解』、1998年、183頁)

 

 1923年、賢治さんが何をしていたかと言えば、上京し、弟の清六さんに童話の原稿を託して、出版社に出版してもらうようお願いをしています。結果としては、出版は叶いませんでした。

 

 由木先生が作詞した詩はその後、1931年に発行された賛美歌集『讃美歌』に採用されます。54年度版の『讃美歌』が発行されるまで、多くの教会で使用された賛美歌集です。以降、この賛美歌は多くの人々に親しまれ、今日に至っています。そして奇遇にも、その同じ年の1931年の113日に、賢治さんは『雨ニモマケズ』を病床で手帳に書き留めています。由木先生、賢治さん共に35歳の時です。

 

 賢治さんが賛美歌『馬槽のなかに』を実際に知っていたかは分かりません。たとえば、島栄蔵さんからこの『馬槽のなかに』を教えてもらっていた可能性もゼロではないかもしれません。島さんは花巻教会で賛美歌指導もされていて、教会の皆さんに新しい賛美歌を指導しておられたそうです(雜賀信行氏『宮沢賢治とクリスチャン 花巻篇』、98頁)。おそらく、1931年版の『讃美歌』を用いて、指導してくださっていたのでしょう。少し年上の親しい友人であった賢治さんに対しても、島さんが新しい讃美歌を教えていた可能性もあるかもしれない、とも思いますが、実際のところは私たちには分かりません。

 

少なくとも言えることは、同じ時代を生きていた青年たちが、聖書が指し示すイエス・キリストの生き方に深く共鳴していたことです。そして、《サウイフモノニ/ワタシハナリタイ》と願い、懸命にそのような生き方――自分のためだけではなく、他者のために懸命に生きるようとすること――を実行しようとしていたことです。そこには様々な困難や挫折が伴ったことでしょう。時には誤解や誹謗中傷も伴ったことでしょう。またその努力は報われること少ないものであったことでしょう。しかしその切なる想いは決して消えることなく、ともしびのように燃え続け、いまもたくさんの人々の心を、後世の私たちの心を励まし続けています。

 

 

 

《この人を見よ》 ~私たちの生き方を通して

 

『馬槽のなかに』は次の4番で締めくくられます。4番《この人を見よ、この人にぞ、/こよなき愛は あらわれたる、/この人を見よ、この人こそ、/人となりたる 活ける神なれ》。

 

《この人》とは、先ほど申しましたように、イエス・キリストその方のことです。《この人を見よ》と由木康先生は呼びかけます。この一人の人間であるイエスの内に、神の愛は現れている。この人を見よ、この人こそ、人としてお生まれになった、まことの神、救い主である、と。

 

「イエス・キリスト」の「キリスト」は名前ではなく、「救い主」を意味する言葉です。「イエス・キリスト」は、「イエスはキリスト、救い主である」と告白している表現であるのですね。キリストはヘブライ語ではメシア。元々は「油注がれた者」という意味の言葉です。古代イスラエルでは、王さまや大祭司が任命される際に、高価な油を頭に注ぎかける風習があったことに由来しています。本日の聖書箇所でもダビデが王となり、長老たちから油を注がれる場面が出て来ました(サムエル記下53節)

 

 聖書はイエス・キリストを「神の子、救い主」として信仰しているわけですが、その神の子なるキリストは、高い所から私たちを見下ろしている方ではありません。私たちと同じ一人の人間としてお生まれになってくださり、同じ一人の人間として生きてくださった方です。私たちと同じように悩み、苦しみ、痛みを共にしてくださっている方です。《食するひまも うちわすれて、/しいたげられし ひとをたずね、/友なきものの 友となりて、/こころくだきし この人を見よ》……。

 

 他者のために懸命に自分ができることをしようとするとき、私たちは知らずしらず、このキリストを指し示す者となっているではないでしょうか。《この人を見よ》――。私たちの生き方を通してこそ、神さまの愛の光は、周りの人々に確かに伝えられてゆくのだと信じています。

 

 これまで無数の人々によってともされ、いまも私たちの内にともされ続けている愛のともしびを、これからも掲げてゆきたいと願います。その光がより集まって、もっともっと、私たちの社会が明るく、輝くものなってゆきますように。暗闇を照らすともしびとして、ここに集ったお一人ひとりが、かけがえのない役割を果たしてゆくことができますようと願います。