2018年12月16日「喜びの歌をもって」

20181216日 花巻教会 主日礼拝説教 

聖書箇所:ゼファニヤ書31418 

喜びの歌をもって

 

 

ゼファニヤ書31418節《娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。/主はお前に対する裁きを退け/お前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。/その日、人々はエルサレムに向かって言う。「シオンよ、恐れるな/力なく手を垂れるな。/お前の主なる神はお前のただ中におられ/勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ/愛によってお前を新たにし/お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」/

わたしは/祭りを祝えず苦しめられていた者を集める。彼らはお前から遠く離れ/お前の重い恥となっていた

 

 

 

アドベント第3

 

 今週はアドベント(待降節)第3週です。アドベントは教会の暦で、イエス・キリストがお生まれになったクリスマスを待ち望む時期です。

 

先ほどご一緒に讃美歌242番『主を待ち望むアドヴェント』を歌いました。教会ではアドベントの時期に、毎週一本ずつロウソクに火をともしてゆく風習があります。3番はこのような歌詞でした。3番《主を待ち望むアドヴェント、第三のろうそく ともそう。主の恵み 照り輝き、暗闇を照らす。/主の民よ、喜べ。主は近い》。

 

アドベント第3主日は伝統的に「喜びの主日」と言われます。ここでの「喜び」とはもちろん、イエス・キリストがこの世界にお生まれになった「クリスマスの喜び」のことを指しています。《主の民よ、喜べ。主は近い》――いよいよ、私たちは来週にはクリスマスを迎えます。クリスマスの喜びはもうすぐそこです。

 

 

 

喜ぶことのできない現実を前に

 

「喜び」ということで言えば、先ほど読んでいただいた聖書の言葉に次のものがありました。《いつも喜んでいなさい。/絶えず祈りなさい。/どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです(テサロニケの信徒への手紙一51618節)

 私たちには、イエス・キリストを通して、消えることのない喜びが与えられていることを語っています。励ましを受けるみ言葉です。

 

 と同時に、私たちはなかなか喜ぶことができない気持ちになることもよくあります。また私たちの目の前には、喜ぶことのできない様々な現実があるからです。「喜びなさい」と言われても、どうしたら喜ぶことができるのか、戸惑ってしまう人も多いかもしれません。

 

私たちの近くに遠くに、たくさんの悲しみ、痛みが満ちています。私たちの心の内にあるのは喜びではなく、悲しみであることが多いです。テレビをつけても、耳に入ってくるのは喜ばしいニュースではなく辛く悲しいニュースであることが大半です。

 

先日(12日)、日本漢字能力検定協会による「今年の漢字」を発表されました。その年の世相を表す漢字一字を選ぶという毎年恒例の行事ですね。今年は「災」という字が選ばれました。応募総数193214票で「災」は2858票。今年起こった様々な自然災害を踏まえての「災」、また、仮想通貨流出、財務省決裁文書改ざん、スポーツ界のパワーハラスメント問題など今年起こった人災を踏まえての「災」でもあるそうです。この字が選ばれたのは、2004年以来二度目です。

 

 今年は本当に、たくさんの自然災害がありました。1月から2月にかけては、日本海側で豪雪となり、2月は北陸地方で記録的な大雪となりました。49日には鳥取県西部で最大震度5強の地震、618日には大阪北部を震源とした最大震度6弱の大阪北部地震が発生しました。そして6月末から7月にかけて、西日本豪雨が発生、西日本の広範囲に甚大な被害をもたらしました。いまも懸命な復旧作業が続けられています。また、7月から8月にかけて、命に関わる猛暑が日本全国を、また世界の各地を襲いました。94日には台風21号による災害があり、その直後の96日に、北海道胆振地方を震源とする最大震度7の北海道胆振東部地震が発生しました。

 

これらの自然災害の他に、先ほど少し触れましたように、様々な人災と呼べる出来事がありました。このような大変な状況が目前にある中で、どのように喜んでいたらよいのか分からなくなってしまう、というのも当然のことでありましょう。私たちの目の前にあるのは喜びというよりも、むしろ悲しみであり、様々な痛みです。

 

 

 

現在の沖縄の状況 ~辺野古の海への土砂投入、米軍ヘリの部品落下事故から1

 

 悲しみ、痛みをもって思い起こさざるを得ないのは、いまの沖縄の状況です。皆さんも心を痛めていることと思います。一昨日14日に、政府は辺野古の海への土砂投入を強行しました。新基地建設反対という人々の想いを踏みにじっての強行です。来年224日に行われる辺野古新基地建設の是非を問う県民投票が行われる前に、土砂を投入して埋め立てを既成事実化しておきたいということでしょうか。

 

 また、ちょうど1年前、沖縄の宜野湾市の普天間飛行場近辺の緑ヶ丘保育園と普天間第二小学校に米軍ヘリの部品が落下する事故が立て続けに起こりました2017127日と1213日)。花巻教会の皆さんにも、書名にご協力いただきました。緑ヶ丘保育園の保護者の方々は全国から137141筆もの署名を集め、政府に保育園上空の飛行停止などを求め続けていますが、この1年、政府側は「調査中」「適切に対処する」と曖昧な言葉が繰り返すだけで、状況に何の進展も見られないとのことです。《「調整中」と言いながら、何も進んでいない。沖縄に住む人を守る気がないように感じる。行政が動いてくれないと現状は変わらない》(「チーム緑ヶ丘1207」宮城智子会長の訴え。琉球新報、201812826面より)

 

 また、普天間第二小学校の米軍ヘリ窓落下事故から1年になることを受け、琉球新報が実施したアンケートによると、事故後、米軍機などによる訓練の影響や騒音被害が改善したかとの問いに、約95パーセントの人(回答した58人のうち55人)が「変わらない」「悪化した」と答えたそうです(琉球新報、201812131面より)。事故後も変らず、小学校の真上をかすめる危険な飛行が続けられています。琉球新報はアンケートの結果を受けて、《子どもの命を軽視する日米の姿勢をあらためて鮮明にした》と解説しています(同、26面より)

 

沖縄の米軍基地に関して、どれだけ声を上げても、現状が変わってゆかない、むしろ悪化してゆく、という状況があります。まさに辺野古の新基地建設問題はその際たるものの一つです。そのような状況を目の当たりにし続けるというのは、どれほどの悲しみであり、痛みであることでしょうか。本土で生活する私たちはいま一度、沖縄に生きる人々の痛みを知り、自分にできることを模索することが求められています。

 

市民がどれだけ声を上げても聞き入れられず、国が決定したことが強行されてゆくというのは、日本各地でこれから生じる得ることであり、また実際、すでに生じていることでもあります。たとえば、福島の原発事故と放射能被害に関する国の政策がそうでありましょう。故郷を奪われ生活の生業を奪われた人々の無念の想い、事故によっていまも避難を余儀なくされている人々の不安の声を無視した政策が現在も行われ続けています。

 

沖縄に関しても、福島に関しても、そこには「民主主義の軽視」と共に、「人の命と尊厳の軽視」があるように感じます。とりわけ、子どもたちの命がないがしろにされることにつながり得る政策は、決して見過ごすことのできないものです。

 

それぞれ自分の生活のことで大変な状況ではありますが、アドベントのこの時、私たち自身、いま一度他者の痛みを感じとる心を取り戻し、自分にできることを行ってゆけるよう願います。

 

 

 

クリスマスの喜び ~悲しみや痛みを見つめる中で

 

改めて本日の聖書箇所を見てみたいと思います。旧約聖書のゼファニヤ書という預言書の言葉です。本日の聖書箇所にも「喜び」という言葉が繰り返し出て来ました。ゼファニヤ書31417節《娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。…主はお前のゆえに喜び楽しみ/愛によってお前を新たにし/お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる》。

 

 ここで語られている喜びは、悲しいことは忘れていまは楽しくやろう、という意味での喜びではありません。いま目の前にある困難な現実、悲しみや痛みを見つめる中で、これから与えられる喜びが語られています。いまは悲しくても、その喜びの日が必ず来る、主が喜びの歌をもって楽しまれる日が来ることの約束が力強く語られています。

 

 そしてそれは、クリスマスの喜びについても同様ではないでしょうか。聖書が語るクリスマスの喜び、それは悲しいことや痛みを忘れることで与えられるものではなく、悲しみや痛みを見つめる中で与えられるものです。

 

 

 

暗闇の中に輝く光

 

  アドベントやクリスマスによく読まれる旧約聖書のイザヤ書の言葉をご紹介します。《闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。/あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った。/刈り入れの時を祝うように/戦利品を分け合って楽しむように(イザヤ書912節)

 

  ここで語られている「光」を、キリスト教会はこの世に到来したイエス・キリストとして受け止めて来ました。「光」と同時に、このイザヤの言葉で私たちの心に残るのは「闇」や「死の陰の地」などの言葉です。キリストの光は、暗闇の中に輝く光としてイメージされています。

 

これらの表現からも分かることは、イザヤが語る「喜び」と「楽しみ」のビジョンは、いま嘆き悲しんでいる人々に向かって語られているのだということです。いまは喜びたくても喜ぶことができない、楽しみたくても楽しめない、まるで暗闇の中を歩んでいるかのように感じている人々に向かって語りかけられている言葉であるということが分かります。

 

クリスマスの喜びの前提としてあるのは、私たちの悲しみに満ちた現実、痛みに満ちた現実です。すでに喜んでいる人々に対してというより、いまは悲しんでいる人に対して語られているのがこれら聖書のメッセージです。

 

冒頭で触れましたように、今年は「災」という字が選ばれるほど、痛みに満ちた一年でした。またいま沖縄で、人々の命と尊厳がないがしろにされているという状況が起こっています。暗闇の中に輝く光の存在を信じつつ、アドベントのこの時、いま目の前にある悲しみ、痛みに共に目を注いでゆきたいと思います。