2019年10月20日「地の塩、世の光として」

20191020日 花巻教会 主日礼拝説教

聖書箇所:マタイによる福音書51316

 

地の塩、世の光として

 

 

マタイによる福音書51316節《あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。/あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。/また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。/そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである

 

 

 

台風19

 

 台風19号によって甚大な被害がもたらされています。80名もの方の命が失われ、いまだ行方不明の方もおられます。土砂崩れや河川の氾濫により住居を失い、避難所で困難な生活をしておられる方も多数おられます。どうぞ悲しみ、苦しみの中にいる方々の上に主の慰めがありますように、また必要な支援がいきわたりますようにと切に祈ります。

 

 これからも自然災害はやってくることでしょう。皆さんもそれぞれ確認しておられることと思いますが、ハザードマップを日ごろから確認しておくことの重要さをこの度私たちは改めて知らされています。自宅の付近に大雨で土砂崩れする可能性のある場所はないか、河川が氾濫した場合、自分の住む近辺はどれくらい浸水する可能性があるのかなど、あらかじめ確かめておくことが重要です。花巻市のハザードマップによると、もし北上川が氾濫した場合、その付近は最大510メートルの浸水の恐れ、この花巻教会の付近でも最大50センチくらい浸水する可能性があるとのことです。いま困難の中にある方々のために祈りを合わせると共に、私たち自身も改めて防災の意識を高めてゆきたいと思います。

 

 

 

あなたがたは地の塩である

 

 いまお読みしました聖書箇所は、「地の塩、世の光」という表現でよく知られている箇所です。イエス・キリストは「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」と語ってくださいました(マタイによる福音書51316節)

 

「地の塩」というのは少し不思議な表現ですね。このお話において、塩がどのようなものとしてイメージされているのか、まず確認しておきたいと思います。

 

  私たちは料理をするとき、ほとんど毎回のように塩を使います。塩は私たちが料理の味付けをするために欠かせないものです。また、塩は食べ物の腐敗を防ぐために用いられます。イエス・キリストが生きておられた時代のパレスチナにおいてもそれは同様で、塩は大切な生活必需品でした。つまり、ここでは塩というものは「なくてはならないもの」「かけがえのないもの」としてイメージされているのですね。

 

 イエス・キリストの《あなたがたは地の塩である13aという言葉は、塩が私たちの生活に欠かせないものであるように、あなたがた一人ひとりには、この世界において、かけがえのない大切な役割が託されている、とのメッセージが込められているのだと受け止めることができます。かけがえのない、とは、替わりがきかない、ということです。あなたの替わりになる人は、本来、世界中のどこにもいません。

 

 と同時に、続けて次の言葉が語られます。《だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう13b。ここでは、塩から塩気が流れ出して、失われてしまった状態がイメージされています。「塩に塩気がなくなる」ことへの注意が語られているのですね。

 

 この表現が何を意味しているのか、様々な受け止め方ができるかと思いますが、本日は、本来かけがえのない役割をもっている私たちが、周囲に合わせすぎてしまい、その固有の役割と使命――固有の持ち味――を見失ってしまっている状態を指すものとして受け止めてみたいと思います。

 

 先ほど申しましたように、《あなたがたは地の塩である》という言葉には、私たち一人ひとりには、かけがえのない役割が託されているとのメッセージが込められています。私たちが周囲に合わせすぎて自分の持ち味や自分らしさ、自分の役割と使命を見失うことのないよう、そのことへの注意が語られているのではないでしょうか。

 

あなたには、あなたにしかできない大切な使命がある。だから、どうぞ勇気をもって、自分の人生を歩んでいってください――そのようにイエス・キリストはいま、私たちを励ましてくださっています。「みんなが同じでなければいけない」との同調圧力が強い私たちの社会にあって、このイエス・キリストの言葉は私たちに勇気を与えてくれるものですね。

 

 

 

あなたがたは世の光である

 

あなたがたは世の光である14aも、やはり共通のメッセージが込められています。自分の持ち味、自分らしさ、自分にしかできない大切な役割を遠慮して引っ込めておくのではなく、はっきりと人々の前に輝かしなさい、とイエス・キリストはお語りになっています。

 

あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。/また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである》。

 

 ろうそくの光は家の中を照らすためにあります。ろうそくに火をつけたのに、わざわざそのろうそくを下に隠す人はいませんよね。ろうそくは、燭台の上に置きます。そうすれば、家の中のものすべてを明るく照らし出します。

 

そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい》。あなただけがもっているその光を、隠すのではなく、誰かを照らす、この世界を照らす光として、はっきりと人々の前に輝かしてください――イエス・キリストは共にいて、いま、そう私たちを励ましてくださっています。そのあなたの行いを見て、人々は神さまを知るようになるのだ、とも語られています。

 

 私たちの存在にともされた光、私たちに与えられている大切な使命と役割、それはほかならぬ、神さまが与えてくださっているものであるのです。

 

 神さまの目から見て、私たち一人ひとりはかけがえのない=替わりがきかない存在であり、それぞれに神さまから大切な役割と使命が与えられています。

 

 

 

地の塩、世の光として

 

 最後に、本日の言葉が、「あなたがたは地の塩である」「世の光である」と、現在形で語られていることに注意したいと思います。努力すればいつか「地の塩、世の光になれる」、と未来のこととして語られているのではなく、あなたはいますでに「地の塩、世の光である」と語られているのですね。あなたはいま、地の塩、世の光なのだ、と――。このメッセージを最後にご一緒に心に留めたいと思います。

 

 本日はこれから、洗礼式が執り行われます。神さまがこれまでのHさんの人生を支え、またこの洗礼までの準備の時を守り導いてくださったことを感謝いたします。Hさんが地の塩、世の光として、いま、そしてこれからも、自分のかけがえのない使命と役割を果たしてゆくことができますように。夢に向かって、力強く歩んでゆけますよう願っています。