2019年4月21日「復活の朝、喜びの朝」

2019421日 花巻教会 主日礼拝説教

聖書箇所:ルカによる福音書24112

復活の朝、喜びの朝

 

 

 

ルカによる福音書24112節《そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。/見ると、石が墓のわきに転がしてあり、/中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。/そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。/婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。/あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。/人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」/そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。/そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。/それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、/使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。/しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った

 

 

 

イースター礼拝

 

 イースターおめでとうございます。今朝、イースター礼拝を皆さんとご一緒にささげることができますことをとても嬉しく思います。

イースターはここ数年、ディズニーランドやデパートでも取り上げられ、だんだんと日本でも浸透してきています。改めまして、イースターは、何の日でしょうか? ①タマゴが食べられる日。②ウサギが登場する日。③イエス・キリストが復活したことを記念する日。

もちろん、キリスト教会にとって最も大切なのは③ですね。イースターは「イエス・キリストが復活したことを記念する日」。キリスト教会はこのイエス・キリストの復活を最も大切なことの一つとして信じ続けて来ました。けれども、①と②も間違いというわけではありません。イースターのシンボルとして、タマゴとウサギが登場します。タマゴはイースター・エッグ、ウサギはイースター・バニーとも呼ばれます。

 

 

 タマゴには、「新しく生まれる」というイメージがあります。殻をやぶって、中から新しい命が生まれる。そのイメージと、イエス・キリストが暗い墓の中からよみがえられたイメージとが結び合わされ、伝統的にタマゴがイースターのシンボルとして用いられるようになったようです。講壇のお花にも、今日はタマゴが飾られていますね。

昨日、教会の有志の方々がイースター・エッグ作りをしてくれました。礼拝の後、皆さんにプレゼントしますのでどうぞお受け取りください。

 

  ヨーロッパではウサギもやはり、「新しく生まれる」というイメージがあります。ウサギは春先にたくさん子どもを産みます。新しい命をイメージさせる動物として、ウサギはタマゴと共にイースターのシンボルとして用いられるようになったようです。

 

 

 

「復活」 ~「人を立ち上がらせる力」

 

「復活」という言葉は、原語のギリシャ語ではもともとは「立ち上がる」「起き上がる」という意味をもつ言葉です。イエス・キリストが暗い墓の中から「立ち上がった」。そのことが「復活した」と訳されているのですね。

 

 ヨハネによる福音書の中には、私は復活であり、命である》というイエス・キリストの言葉があります(ヨハネによる福音書1125節)。イエス・キリストの内に復活の命があることを力強く宣言している個所です。イースターの際にもよく読まれる言葉です。

 

 岩手県気仙地方の言葉で聖書を訳した(ケセン語訳聖書)山浦玄嗣さんはこのみ言葉を《この俺にァ、人ォ立ぢ上がらせる力ァある》と訳されています(『イエスの言葉 ケセン語訳』、文春新書、2011年)。「復活」を「人を立ち上がらせる力」と表現されているのですね。このように表現し直してみると、「復活」という言葉も、私たちにとって少し身近な言葉となるかもしれません。

 

先ほどはご一緒に、ルカによる福音書の復活の場面をお読みしました。復活の日の朝、墓に向かった女性たちは天使たちに出会い、主イエスが「復活された」こと――暗い墓の中から「立ち上がらされた」ことを知らされました。この喜びの知らせを聞いた女性たちは、その魂が再び立ち上がらされてゆきました。愛する人を失った悲しみの中から、再び立ち上がらされていったのです。

 

復活の物語とはイエス・キリストが「復活した」物語であると同時に、遺された人々の魂が復活の朝の光の中で「再び立ち上がらせられていった」物語でもあります。

 

 

 

復活の命の力で

 

私たちもまた、時に、もう立ち上がることができないと思うほど、辛い経験をすることがあります。起き上がれないほど、大変な経験をすることがあります。ここにおられる方の中にも、いま、そのように辛い心境でいる方もいらっしゃるかもしれません。

 

そのような私たちに、主イエスは私は復活であり、命である》――「わたしにはあなたを立ち上がらせる力がある」と語りかけてくださっている、そのことを今朝はご一緒に胸に刻みたいと思います。

 

先ほどご紹介した山浦玄嗣さんも、《この俺にァ、人ォ立ぢ上がらせる力ァある》という主イエスの言葉を、震災直後、津波によって破壊された大船渡の街を見つめながら聴いた体験をされたそうです。

 

大きな困難や悲惨さを経てもなお、私たち一人ひとりは「再び立ち上がってゆく」ことができる。「新しく始めてゆく」ことができる。復活の主はいま、私たち一人ひとりにその「よみがえり」の力を与えて下さっています。

 

 本日の礼拝ではこれから、洗礼式が執り行われます。神さまが川嶋潔さんのこれまでのご生涯を支え、そして今朝、洗礼へと導いてくださったことを心より感謝いたします。どうぞいま、川嶋潔さんの心を、ここに集ったお一人おひとりの心を、神さまの復活の命の力で満たしてくださいますようにと願います。