2020年12月13日「道を準備する者」

20201213日 花巻教会 主日礼拝

聖書箇所:士師記13214

道を準備する者

 

 

士師記13214節《その名をマノアという一人の男がいた。彼はダンの氏族に属し、ツォルアの出身であった。彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがなかった。/主の御使いが彼女に現れて言った。「あなたは不妊の女で、子を産んだことがない。だが、身ごもって男の子を産むであろう。/今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないように気をつけよ。/あなたは身ごもって男の子を産む。その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。」/女は夫のもとに来て言った。「神の人がわたしのところにおいでになりました。姿は神の御使いのようで、非常に恐ろしく、どこからおいでになったのかと尋ねることもできず、その方も名前を明かされませんでした。/ただその方は、わたしが身ごもって男の子を産むことになっており、その子は胎内にいるときから死ぬ日までナジル人として神にささげられているので、わたしにぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないようにとおっしゃいました。」/そこでマノアは、主に向かってこう祈った。「わたしの主よ。お願いいたします。お遣わしになった神の人をもう一度わたしたちのところに来させ、生まれて来る子をどうすればよいのか教えてください。」/神はマノアの声をお聞き入れになり、神の御使いが、再びその妻のところに現れた。彼女は畑に座っていて、夫マノアは一緒にいなかった。/妻は急いで夫に知らせようとして走り、「この間わたしのところにおいでになった方が、またお見えになっています」と言った。/マノアは立ち上がって妻について行き、その人のところに来て言った。「この女に話しかけたのはあなたですか。」その人は、「そうです」と答えた。/マノアが、「あなたのお言葉のとおりになるのでしたら、その子のためになすべき決まりとは何でしょうか」と尋ねると、/主の御使いはマノアに答えた。「わたしがこの女に言ったことをすべて守りなさい。/彼女はぶどう酒を作るぶどうの木からできるものは一切食べてはならず、ぶどう酒や強い飲み物も飲んではならない。また汚れた物を一切食べてはならない。わたしが彼女に戒めたことは、すべて守らなければならない。」

 

                                    

アドベント第3主日礼拝 ~喜びの主日

 

本日はご一緒にアドベント第3主日礼拝をおささげしています。アドベント第3主日は「喜びの主日」とも言われます。今朝は3本のロウソクに火をともしていますが、3本目のロウソクにピンク色のものが用いられることもあるそうです。講壇のお花も今日はピンク色のお花を飾って下さっています。ハッと目が覚めるような鮮やかな濃いピンク、きれいですね。ピンク(バラ色)は私たちの内に何か喜びを喚起させる色である気がします。

「喜びの主日」の喜びとはもちろん、クリスマスの喜びのことを指しています。来週、いよいよ私たちはクリスマス礼拝をおささげします。クリスマスの喜びはもうすぐそこまで近づいています。

 

「喜びの主日」との関わりで、本日の聖書日課ではフィリピの信徒への手紙449節が選ばれています。4節《主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。イエス・キリストにおいて、常に喜んでいることを語りかける御言葉です。

 

 

今年一年を振り返って

 

もちろん、日々の生活の中で、私たちには喜ぶ気持ちが湧いてこない時もあります。困難に直面するとき、愛する人との別れのとき、私たちは深い悲しみを覚えます。

 

今年2020年は新型コロナウイルス国内外での感染拡大により、本当に大変な年になりました。ニュースの多くが新型コロナ関連で埋め尽くされた一年になりましたね。そしてその困難はいま継続中です。感染した方々に主よりの癒しがありますように、医療に従事しておられる方々の上に主の支えがありますように、仕事や生活に困難を覚えている方、不安や苦しみの中にいる方々の上に必要な助けがありますようにと切に祈るものです。

 

また私たち花巻教会は今年、愛する方々を神さまのもとにお送りしました。

326日、H・Kさんが天に召されました。77年のご生涯でした。328日に花巻教会にてご葬儀が執り行われました。

628日、Y・Mさんが天に召されました。86年のご生涯でした。71日に教会にてご葬儀が執り行われました。

1120日、T・Nさんのお母さまのT・Kさんが天に召されました。86年のご生涯でした。1122日に教会にてご葬儀が執り行われました。

そして先日1128日、K・Kさんが天に召されました。91年のご生涯でした。121日に教会にてご葬儀が執り行われました。

 他にも、本日出席していらっしゃる方々の中で親しい方を今年、天にお送りした方がいらっしゃることでしょう。ご遺族の皆さまの上に、ここに集った一人おひとりの上に、神さまからの慰めとお支えがありますようお祈りいたします。

 

 愛する方々を天にお送りし、私たちの心の内には深い悲しみがあります。また、新型コロナウイルスによっていま、世界中の人々が大きな困難の中にいます。もうすぐ到来するクリスマスの喜びをなかなか実感できない、というのがいまの私たちの率直な心境であるかもしれません。

 

 

 

《主において常に喜びなさい》 ~イエス・キリストに結ばれる中で

 

 先ほどフィリピの信徒への手紙44節《主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい》をご紹介しました。この御言葉は今年の6月に天に召されたY・Mさんの愛唱聖句でもありました。

フィリピの信徒への手紙は、たとえいまは私たちの心は悲しみで満たされているのだとしても、それでもなお、尽きることのない喜びがあることを伝えてくれています。それは、神さまの内にあることから来る喜び、イエス・キリストに結ばれていることから来る喜びです。この喜びは、私たち自身ではなく、復活の命であるキリストより湧き出でています。

復活の命である主イエス・キリストに結ばれているからこそ、わたしたちは、いつも喜んでいることができます。たとえいまは、悲しみの内にあるのだとしても――。悲しみが喜びに変えられる時が来ることを信じ、この心を神さまの方へ、未来へと向けることができるのだと本日はご一緒に受け止めたいと思います。

 

 

 

洗礼者ヨハネ ~道を準備する者

 

アドベント第3主日に取り上げられることの多い人物として、洗礼者ヨハネがいます。洗礼者ヨハネは、イエス・キリストが公の活動を始めるより先に、ヨルダン川にて人々に「悔い改めの洗礼(バプテスマ)」を授ける活動をしていた人です。

スクリーンに映していますのは、グリューネバルトが描いた洗礼者ヨハネの絵です(イーゼンハイム祭壇画の一部です)。独特な外見をしていますね。ヨハネはらくだの毛衣を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べものとして生活をしていました(マルコによる福音書16節)

 

新約聖書においてはこの洗礼者ヨハネはイエス・キリストの「先駆者」として位置づけられています。これから到来されるまことの救い主の「道」を整え、準備する者として遣わされた人物として受け止められているのです。そのことは、本日の聖書日課であるマタイによる福音書11章において、主イエスご自身が語っておられます。10節《『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ》。

ヨハネはまさにクリスマスが間近のアドベント第3主日に取り上げられるにふさわしい人物であると言えるでしょう。

 

 

 

洗礼者ヨハネの最後の問い

 

 本日の聖書日課であるマタイによる福音書11章をもう少しご一緒に見てみたいと思います。

この場面において、洗礼者ヨハネは牢につながれた状態にありました。ガリラヤ領主ヘロデを批判したことによって怒りを買い、投獄されてしまっていたのです。その後、ヨハネはヘロデの策略によって命を奪われてしまうこととなります。

牢の中で、ヨハネはある一つのことについて考え続けていました。それは、自分たちにまことの喜びをもたらしてくださる救い主が遂に来てくださったのか、それとも、まだであるのか、ということでした。ヨハネは、ナザレのイエスという人物こそ、その救い主なのではないかと考えていました。しかし、もしかしたらそうではないかもしれない……という一抹の不安もあったようです。

 

目前に死が迫っていることを予感する中で、ヨハネは弟子たちを主イエスのもとへ送って、こう尋ねさせました。《来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか3節)。これは洗礼者ヨハネの生涯最後の問いでもありました。

主イエスはお答えになりました。《言って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。/目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音が告げ知らされている。/わたしにつまずかない人は幸いである46節)

 

 ここで、主イエスははっきりと「喜びの日」が到来していることを宣言しています。《目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音が告げ知らされている》――。そうして、ヨハネが願った通り、確かに自分こそが人々が待ち続けてきた救い主であるとお答えになったのです。

 

 弟子たちからその知らせを受け、ヨハネは心の底から安堵を覚えたのではないでしょうか。ヨハネ自身は、「喜びの日」が訪れている様子を直接に目にはしていません。しかし、暗い牢の中で、その喜びの光景は確かに、ヨハネの心の目に見えていたのではないでしょうか。自分の死を目前にしつつ、けれども、心に湧き上がってくるこの深い喜びと平安を静かに噛みしめたのではないか、と想像します。

 

 

 

すでに喜びは芽吹いている

 

 本日はアドベント第3主日礼拝――「喜びの主日」の礼拝をご一緒におささげしています。たとえいまは私たちの心の内にあるのが悲しみであるのだとしても、いまは涙を流し続けているのだとしても、必ず喜びのときが訪れることを信じ、ごいっしょにこのアドベントの時を過ごしてゆきたいと思います。

 

またそして、すでに喜びは私たちの内に芽吹いていることをも、ご一緒に心に留めたいと思います。悲しみのただ中からも、すでに喜びは芽吹いています。暗い牢の中で、洗礼者ヨハネが確かな喜びと平安を見出したように――。それは、神さまの内にあることから来る喜び、いまイエス・キリストに結ばれていることから来る喜びです。この喜びは、復活の命であるキリストより湧き出でています。

小さな芽のようであるけれども、失われることのない喜びが、いま、私たちの内に芽吹いています。私たちは心の目を通して、その芽吹きを見ることができます。

 

この静かな喜びを共に胸にともしつつ、ご一緒にクリスマスのときを待ち望みたいと願います。