2022年10月2日「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」

2022102日 花巻教会 召天者記念礼拝説教

聖書箇所:詩編2316節、ヨハネの黙示録2114節、ルカによる福音書234243

あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる

 

 

召天者記念礼拝

 

本日は、天に召された方々を覚えて、召天者記念礼拝をおささげしています。今朝、愛する方々を覚えてこの礼拝に集ったお一人おひとりの上に、神さまの慰めがありますようお祈りいたします。

 

この1年、私たち花巻教会はF・Nさんを神さまのもとにお送りしました。昨年の11月に召天、87歳でした。1114日に当教会にてご葬儀を執り行いました。ご遺族の皆さまの上に、F・Nさんにつながるお一人おひとりの上に、神さまの慰めとお支えがありますようお祈りしております。

 

冒頭でお読みしたルカによる福音書234243節はF・Nさんの愛唱聖句でもあった聖書の言葉です。

そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。/するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた》。

イエス・キリストが十字架におかかりになったとき、隣で同じく十字架刑に処せられていた男性と交わされた言葉です。男性が《イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください》と願うと、イエスさまは《はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる》とおっしゃいました。

このイエスさまの言葉にある通り、F・Nさんもいま、イエスさまと共に、神さまのもとで平安が与えられていることを私たちは信じています。また、天に召された愛する方々も、神さまのもとで平安が与えられていることを信じています。

 

召天者記念礼拝をおささげしています今日、このことをご一緒に思い起こし、私たちの共なる希望としたいと思います。

 

 

 

愛唱聖句、愛唱賛美歌

 

 先ほど、愛唱聖句と申しました。愛唱聖句とは、その人が特に親しみ、大切にしている聖書の言葉のことを言います。ここに集った皆さんにもそれぞれ、ご自分の人生の支えとなってきた大切な聖書の言葉があることと思います。自分にとっての愛唱聖句は何か、折々に触れ思い巡らしてみることは、私たちにとって豊かな時間となるのではないでしょうか。

たくさんありすぎて、選ぶことができないという方もおられることでしょう。また、一度選んだ後に愛唱聖句が変化する、あるいは、新たに加わることもあると思います。もちろん、愛唱聖句は変わっても、新たに付け加わってもまったく構わないものです。現時点での、自分にとっての愛唱聖句を選んでおくことで良いのでしょう。そしてできればそれを、ノートや紙にメモをして、大切に保管しておいていただければと思います。

 

愛唱聖句と共に、愛唱賛美歌という言葉もあります。愛唱賛美歌とは、自分が特に親しみ、大切にしている賛美歌のことを指します。皆さんにもそれぞれ、思い出深い賛美歌があることでしょう。愛唱聖句、愛唱賛美歌の背後にはそれぞれの人生の歩みがあります。F・Nさんの愛唱賛美歌は讃美歌2157番『ガリラヤの風かおる丘で』であったとお伺いしています。

この度発行された『花巻教会だより』(第28号)ではちょうど、3名の方から愛唱賛美歌について文章を寄せて頂きました。皆さんの文章を拝読し、愛唱賛美歌の背後にはそれぞれの人生の歩みがあり、かけがえのない思い出、愛する人々の関わりがあることを改めて思わされました。愛唱賛美歌について思い巡らすことは、ご自分のこれまでの人生の歩み――その愛と恵み――を振り返ることにもなるのではないでしょうか。

愛唱賛美歌も一度選んだ曲と変わっても、新たに付け加わっても、まったく構いません。「ああ、こんな素晴らしい賛美歌があるんだ」と新たに知ることもあるでしょう。愛唱聖句と共に、ぜひ愛唱賛美歌もノートや紙に書き留めておいていただければと思います。

 

 

 

葬儀での賛美

 

キリスト教ではご葬儀の際、礼拝の中で故人の愛唱聖句を読み、愛唱賛美歌を共に賛美する慣習があります。先日のエリザベス女王の国葬でも、女王の愛唱聖句に基づいた賛美歌、愛唱賛美歌が歌われていましたね。愛唱賛美歌を選ぶ際、「これを自分の葬儀で賛美してほしい」との観点から選ぶ方も多いことでしょう。

 

花巻教会では「天国への遺言」という用紙を用意しています。宜しければ、ぜひこちらをお用い下さい。もちろん皆さまにはこれからも末永くお元気でいてほしいですが、万が一(?)の時のためのものです。愛唱聖句と賛美歌について思い巡らすことは、すでに述べましたように、これまでの人生を振り返ることにつながります。また同時に、いまの自分の在り方を見つめること、そしてこれからの自分の生き方を考えることにもつながると思います。

 

エリザベス女王は生前、何十年も前から教会や様々な方と協議を重ねて、御自身の葬儀での賛美歌や奏楽曲を選んでいらっしゃったそうです。国葬の会衆賛美では、私たちもよく知っている『主はわがかいぬし』(讃美歌21120番。詩編23編に基づく)も歌われていました。エリザベス女王の愛唱聖句の一つは、ローマの信徒への手紙8章であったそうです(参照:『エリザベス女王の国葬と音楽〜受け継がれる伝統と新たな響きが女王の想いを映し出す』、https://ontomo-mag.com/article/column/queen-elizabeth-funeral/。《わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、/高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです(ローマの信徒への手紙83839節)

どんなものも、イエスさまによって示された神さまの愛から私たちを引き離すことはできないことを力強く宣言する御言葉です。激動の女王のご生涯を、この御言葉が支えてきたことを思います。皆さんの中にも、この言葉に支えられてきた方がいらっしゃることでしょう。

 

 

 

どんなものも、神の愛から私たちを引き離すことはできない

 

エリザベス女王の愛唱聖句でもあったローマの信徒への手紙8章では、死さえも、神の愛から私たちを引き離すことはできないと語られています。私たちの目からすると、死によって、愛する人々と遠く引き離されてしまったように思えます。けれども、神さまの目からすると、そうではない。神さまの愛に結ばれる中で、私たちはいまも、すぐそばで結び合わされている、そのことを聖書は私たちに伝えています。

死によって、確かに、私たちと愛する人々との間に、物理的な距離ができてしまったかもしれません。もはや私たちは愛する人の体に触れ、その声を聞き、その笑顔を間近で見ることはできません。しかし神さまの愛は、そのような物理的な距離を超え、いまも私たちを結び合わせてくださっています。たとえ目には見えなくても、互いに互いを固く結び合わせて下さっているのです。神の愛の内においてはもはや、私たちの間には隔たりも距離もありません。

 

 

 

《あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる》

 

 改めて、本日の聖書箇所であるルカによる福音書234243節をお読みしたいと思います。

そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。/するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた》。

 イエスさまと一緒に十字架にはりつけにされた男性は、死を目前にしながら、《イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出して下さい》と言いました。するとイエスさまは、《はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる》とおっしゃってくださいました。 

 

 イエスさまは、私たちの存在を決して忘れることはありません。イエスさまは私たちの人生を、私たちの存在を、いつも覚えていてくださいます。私たちが経験してきた喜び、悲しみ、その一つひとつを、イエスさまは覚えていてくださいます。いつも私たちと共にいてくださいます。そして私たちがこの生涯を終えた時、私たちの存在を忘れることなく、神さまのもとへ――復活の命の光のもとへ共に伴ってくださるでしょう。

はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる》――。このイエスさまの宣言は、福音書に登場する男性に対してだけではなく、いつか死を迎える私たち一人ひとりに対して語られているのだとご一緒に受け止めたいと思います。《あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる》――。この約束の言葉が響く中で、復活の命の光のもとで、私たちはまた愛する方々とも再会することができるのだと信じています。

 

 

召天者記念礼拝をおささげしています今朝、この復活の命の約束を思い起こし、私たちの共なる希望としたいと思います。ここに集ったお一人お一人の上に、神さまの慰めとお支えがありますようお祈り申し上げます。