2022年12月25日「天に栄光、地には平和」

20221225日 花巻教会 クリスマス礼拝説教

聖書箇所:ミカ書513節、テトスへの手紙21115節、ルカによる福音書2120

天に栄光、地には平和

 

 

 

クリスマス礼拝

 

本日は皆さんとご一緒にクリスマス礼拝をおささげできますことを感謝いたします。

花巻も一昨日は大雪となり、一面雪景色の中でのクリスマスとなりました。この1週間、各地で大雪による影響、被害が生じています。いま困難の中にある方々の上に必要な支援が行き渡りますように、神さまからのお支えがありますよう祈ります。皆さんもお車の運転や除雪作業にはくれぐれもお気を付けください。

 

 

 

クリスマスのメッセージ ~この地上に平和を

 

クリスマスの大切なメッセージの一つとして、「平和」があります。神の子・救い主なるイエス・キリストは、私たちの世界に平和をもたらすべく、この世界に来て下さったのだとキリスト教は受け止め続けてきました。

 

先ほどお読みしたルカによる福音書の中に、次の言葉がありました。《すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカによる福音書21314節)

夜通し羊の群れの番をする羊飼いたちの前に天使が現れ、イエス・キリストが誕生したことを告げる場面での言葉です。突然の天使の出現に驚く羊飼いたちの頭上で、天使たちの大群は高らかに歌いました。《いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ》。

前半部では「天の神さまに栄光がありますように」と謳われ、後半部では「この地上に平和がありますように」と謳われています。私たちの間に、私たちの生きるこの世界に平和がありますようにと謳われているのです。

 

この地上に平和を――。これは、キリスト教徒であるか否かを超えた、すべての人に共通のクリスマスのメッセージであると言えるでしょう。クリスマスは私たち人類が平和への祈りを新たにする日でもあると受け止めています。

 

 

 

今年の漢字は「戦」

 

2022年も終わろうとしています。今年も、様々な出来事がありました。先日発表された今年の漢字は「戦」でした。当然のことながら、この漢字が選ばれた理由としてウクライナでの戦争があります(サッカー・ワールドカップの日本の善戦も含まれているでしょう)。

 224日に始まったロシアとウクライナの戦争は、いまだ停戦には至っていません。戦闘により、いまも多くの人が傷つき、また、国内外へ避難を余儀なくされる状況が続いています。平和への祈りはこの一年、私たちにとってより切実なものとなっています。一刻も早く、停戦の合意へと至るよう、これ以上かけがえのない生命が傷つけられ失われることがないよう祈るものです。

また、私たちの近くに遠くに、平和ではない状況があります。この一年、私たちの社会でも様々な悲しい出来事、悲惨な出来事がありました。

 

 

 

平和とは、一人ひとりが大切にされること

 

平和とは、一人ひとりが大切にされること――そのように私は受け止めています。もちろん、平和ではない状況の最大のものは、戦争です。戦争ほど私たちの生命と尊厳を軽んじ傷つけるものはありません。

と同時に、国と国との間に戦闘行為が生じていない場合でも、平和ではない状態というのは起こり得ます。たとえ戦争は起こっていなくても、私たちは普段、様々な場面において平和ではない状況に直面していると言えます。

そのことを踏まえますとき、平和とは戦争がない状態を意味するだけではなく、より積極的に、「一人ひとりが大切にされること」を意味する言葉であると受け止めることができます。もしも誰かが大切にされず、その尊厳が軽んじられている現実があるならば、そこには平和はありません。一人ひとりの生命と尊厳とがおびやかされている現実があるならば、そこでは平和は見失われてしまっています。

 

 

 

聖書が語る愛 ~相手の存在をかけがえのないものとして重んじ、大切にしようとすること

 

そこで本日は、聖書が語る愛についてご一緒に思い起こしてみたいと思います。愛は、原文のギリシア語ではアガペーと言います。聖書が語るアガペーなる愛は、私なりに表現すると、「相手の存在をかけがえのないものとして重んじ、大切にしようとすること」です。

 

 聖書は、第一に、神さまが私たちを愛してくださっていることを語っています。私たち一人ひとりの存在をかけがえのないものとして重んじ、大切にしてくださっていることを語っています。そして神さまは私たちを愛するゆえ、独り子であるイエス・キリストを私たちのもとにお送りくださいました。

 ヨハネによる福音書316節《神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである》。クリスマスにもよく読まれる御言葉です。

神さまはその独り子をお与えになるほどに、私たち一人ひとりを愛しておられる。かけがえのない存在として重んじてくださっている。聖書はそのことを私たちに伝えています。クリスマスは、その神さまの愛が世界にあらわされた日です。

 

 

 

「互いを軽んじる」連鎖を断ち切る

 

 愛とは、相手の存在をかけがえのないものとして重んじ、大切にしようとすることであると述べました。愛が他者を重んじることであるとすると、その反対は、他者を軽んじることです。愛の反対は、相手の存在を軽んじることであると言えるのではないでしょうか。

 私たちは人から「重んじられている」と感じることができたとき、とても嬉しく思うものです。とても嬉しく、誇らしい気持ちも湧いてくるものです。反対に、私たちは人から「軽んじられている」と感じるとき、とても悲しく思います。侮辱されたように感じ、自尊心が深く傷つけられます。

 

 ヘブライ語の「軽んじる」という語には「呪う」という意味もあるそうです。他者を軽んじるという行為は、それほどまでに、相手に深刻な影響を与えるものである。相手の存在の内に呪いを植え付けるものである。だから、他者を軽んじる言動は決してしてはならないとの古代イスラエルの人々の認識が示されているように思います。

 私たちのいまの社会においては、残念ながら、他者を軽んじる言動が様々な場面で見られます。私たち自身、時にそのような振る舞いをしてしまうことがあるかもしれません。そのような中で、互いに軽んじ、軽んじられるという連鎖が生じてしまうこともあるでしょう。「互いを軽んじる」連鎖をいかにして断ち切ってゆくか――。いまを生きる私たちにとって、切実な課題です。互いを軽んじ傷つけあうのではなく、互いを重んじる愛と平和の道を歩むよう、私たちは神さまから招かれています。

 

 

 

《地には平和、御心に適う人にあれ》

 

 クリスマスの大切なメッセージの一つとして、「平和」があること、またそのことと関連して、聖書が語る愛についてお話ししました。

 神さまが私たちをかけがえのない存在として重んじて下さっているように、私たちも互いを重んじ、大切にすること、それが神さまの願いです。

 

クリスマスの夜、天使たちは歌いました。《いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ14節)。天使の歌の後半部《地には平和、御心に適う人にあれ》の《御心》とは、この神さまの願いのことを指しています。神さまが私たちをかけがえのない存在として重んじてくださっているように、私たちも互いを重んじ合うこと。この神さまの願いをしっかりと心に留め、日々の生活の中で、この社会の中で、実践しようとする人、それが《御心に適う人》であるのだと本日はご一緒に受け止めたいと思います。私たち一人ひとりには、イエスさまの後に従って、この地に愛と平和とを実現する役割が与えられています。

 

 

ここに集った皆さんの上に、またご事情によってここに集うことが叶わなかった皆さんの上に、神さまの愛と平和が共にありますようお祈りいたします。