2025年8月24日「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」
2025年8月24日 花巻教会 主日礼拝説教
聖書における蛇
先ほど読んでいただいたマタイによる福音書10章16-25節の冒頭に、《蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい》という言葉がありました。本日のメッセージのタイトルにもしています。今年の干支は「乙巳(きのと・み)」、十二支では「巳年(へびどし)」であることを覚えていらっしゃったでしょうか。8月も終わりになり、今年が巳年であることを忘れてしまっていましたね。
聖書には、さまざまな場面で蛇が登場します。皆さんはどの聖書の場面を思い浮かべるでしょうか。蛇が出てくる聖書箇所の中で最も有名なのは、創世記の「蛇の誘惑」の場面でありましょう(創世記3章)。神さまが「食べていけない」と命じた《善悪の知識の木》の実を、エバに食べるように誘惑したのが蛇です。
聖書において、蛇はどちらかと言うと否定的な存在として登場します。「危険な生き物」の代表として登場したり(マルコによる福音書16章18節)、悪魔やサタンの象徴として登場したりします(ヨハネの黙示録12章9節)。
けれども、蛇は否定的な存在として登場するだけではありません。イエスさまの言葉で、蛇が良い存在として語られているものがあります。先ほどご一緒にお読みした、マタイによる福音書10章16節《蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい》です。すべての命を慈しまれたイエスさまは、もちろん、蛇の存在も大切に思っていたことと思います。意外と、イエスさまは蛇好きだったのかも……!?
《蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい》
《蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい》。では、ここでの《蛇のように賢く》とはどういう意味なのでしょうか。
それを考える前に、まず後半の「鳩のように素直に」という部分について考えてみたいと思います。「鳩のように素直に」という言葉は、比較的分かりやすいですね。世界的に、鳩は平和の象徴とされています。また鳩には柔和というイメージもあります。古代のイスラエルにおいて鳩は「心の鳥」と考えられ、「柔和、無邪気、純潔な貞操のシンボル」とされていたようです(参照:『新共同訳聖書辞典』)。
「素直に」と訳されている言葉は、原語のギリシア語では「混じりけのない」という意味を持ち、「純粋な」とも訳すことができる言葉です。これらのことを踏まえると、「悪に染まっていない」と表現することもできるでしょう。イエスさまが弟子たちに向かって、「鳩のように、悪に染まらず、純真であれ」と呼びかけるということは、違和感なく納得できるものです。
解釈が難しいのは、前半の「蛇のように賢く」の部分でありましょう。先ほど述べましたように、聖書において蛇は否定的な存在として登場することが多いからです。
有名な創世記の「蛇の誘惑」の場面では、蛇はエバに向かって、木の実を食べると目が開け《神のように善悪を知るものとなる》のだということを伝えます(創世記3章5節)。「善悪を知るようになる」ことが、ここでは「賢くなる」ことであると言われているのですね。
「賢く」と訳されている語は、「分別のある、思慮深い、賢明な」などの意味をもつ言葉です。「注意深い」と訳すこともできるでしょう。これらのことを踏まえると、イエスさまがおっしゃろうとしていることが、少しずつ分かって来きます。イエスさまは「人を誘惑したり、だましたりするために、ずる賢くあれ」とおっしゃっているのではありません。そうではなく、イエスさまはここで、「善悪を分別し、忍び寄る悪をはっきりとしりぞけることができるように、賢明であれ」とおっしゃっているではないでしょうか。
《かくされた悪を注意深くこばむこと》
このイエスさまの言葉を読むときに私が思い出すのは、詩人・谷川俊太郎さんの『生きる』という詩の一節です。昨年、谷川さんは92歳で天に召されましたが、私も谷川俊太郎さんの詩が大好きで、十代の頃からずっと愛読してきました。
《…生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと》
(『谷川俊太郎詩集 続』、思潮社、2002年、694、695頁)。
私たちは生きてゆく中で、たくさんの美しいものに出会ってゆきます。美しいものは私たちの心を澄んだものにし、豊かなものにしてくれます。「生きる」ということは、谷川さんの詩にあるように《すべての美しいものに出会うということ》、そうして「自分の心を育んでゆく」ということです。
と同時に、私たちが生きてゆく中で出会うのは美しいものばかりではありません。汚いもの、醜いもの、すなわち私たち人間社会が生み出す「悪」にも出会ってゆきます。「生きる」ということは、美しいものに出会い「心を育んでゆく」ことであると同時に、谷川さんが詩に記すように、《かくされた悪を注意深くこばむこと》、そのようにして「自分の心を守ってゆくこと」でもあります。
イエスさまがおっしゃった「蛇のように賢い」ことと、「鳩のように素直である」こと。これは対立するものではなく、どちらも生きてゆく上で大切な姿勢であることが分かります。どちらか一方だけではなく、その両方が必要。この二つのことは互いに補い合っているものです。たとえて言いますと、鳩は私たち自身の心です。そして蛇は、その心を守る門番です。心の中に悪しきものが侵入してくるのを防ぐための門番です。
旧約聖書(ヘブライ語聖書)の箴言には《何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある》という格言があります(4章23節)。私たちはまず、自分自身の心を守らねばなりません。その大切な心を守るためには、善悪を見分ける賢さが必要となります。
拒絶や敵意や悪意があるところに
本日のこの言葉はマタイによる福音書の中では、イエスさまが12人の弟子(12使徒)たちを神の国の福音の宣教に派遣する際に語られた言葉として位置づけられています。
宣教の旅において、弟子たちが出会うのは自分たちに好意的な人々ばかりではないでしょう。訪ねた先で、拒絶に出会うこともあるでしょう。敵意に出会うこともあるでしょう。悪意に出会うこともあるでしょう。いや、むしろそのような拒絶や敵意や悪意があるところに、あなたたちはこれから遣わされてゆくというニュアンスで語られています。《わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい》。
このように、本日の聖書箇所では、私たちは生きてゆく中でどうしても敵意や悪意と出会わざるを得ないということが前提となっています。ある意味、非常にシビアな見方です。元来の文脈においては、マタイによる福音書が描かれた当時の、教会が迫害を受けていた状況が反映されていると考えられます。
「悪」は悪の顔をしてやって来ない
「悪」は、はっきりと悪の顔をしては来ないことが多いものです。本日の聖書箇所では《狼の群れ》と表現されていますが、多くの場合、狼は「羊の皮をかぶった狼」として私たちの前に現れるでしょう。イエスさまは別の箇所でこうおっしゃっています。《偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である》(7章15節)。「羊の皮を被った(着た)狼」という慣用句にもなっているイエスさまの言葉です。
悪しき意図を隠し持った人は、「悪人」の顔をして近寄ってはこない。「善人」の顔をして近寄って来る。確かにその通り、と思わされます。悪意をもった人は、一見「いい人」の顔をして私たちに近づいてくるものです。立派な言葉や美しい言葉を並べて、私たちの関心を引こうとすることもあるでしょう。しかしその内に、悪しき意図や悪しき想いを隠し持っている。そのような人々によく気を付けなさい、とイエスさまは注意を促しておられます。
谷川俊太郎さんの詩にも《かくされた悪を注意深くこばむこと》とありました。悪は普段、私たちに気づかれないように、巧みに「隠されている」ものです。そうして素知らぬ顔をして、私たちの日々の生活の中に入り込んでくるのです。「蛇のように賢く」あることの重要性を改めて思わされます。
「わたしがあなたがたを遣わす」
これらのことを踏まえつつ、ご一緒に心を向けてみたいのは、冒頭のイエスさまの言葉です。《わたしはあなたがたを遣わす》。
遣わされてゆく私たちの背後には、イエスさまが共におられます。マタイによる福音書全体が私たちに伝えてくれているメッセージ、それは、「インマヌエル(神は私たちと共におられる)」です。どんな困難の中にあっても、私たちは独りではない。死よりよみがえられたイエスさまがいつも共にいてくださる、その約束の言葉を記して、マタイ福音書は筆を置きます。《わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる》(28章20節)。
本日の聖書箇所も、この「インマヌエル」の約束を思い起こす中で、受け止めるべきものでありましょう。《蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい》――善悪を見分けるまことの賢明さも、心の純真さも、イエスさまが与えてくださるものです。大切なのは、イエスさまが共にいてくださることの力を私たちが信頼し続けることでありましょう。
詩「蛇のように賢く 鳩のように素直に」
今年に入ってから、この《蛇のように賢く 鳩のように素直になりなさい》という本日のみ言葉をもとに、一編の詩を書きました。最後に、私が書いた詩を朗読したいと思います。
「蛇のように賢く 鳩のように素直に」
(初出:季刊詩誌『舟 198号』、2025年2月)
鳩は羽ばたく
青い空を
何ものにも束縛されず 自由に
鳩は心
私たちの心
だから子たちよ
鳩のように素直であれ
蛇は見分ける
善と悪を
羊の皮をかぶった 狼を
蛇は門番
心を護る門番
だから子たちよ
蛇のように賢明であれ
騙され 踏みつけにされる日々
心を護る術もない
縛られ 奪われ続ける日々
心が羽ばたく術もない
しかしそれでも
だからこそ
子たちよ
蛇のように賢く 鳩のように純真であれ
思い浮かべよ
明けゆく空に飛び立つ
鳩のシルエットを
その旅路を護るため
鎌首をもたげる蛇のシルエットを