2016年10月23日「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」

20161023日 花巻教会 主日礼拝

聖書箇所:マタイによる福音書61924

「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」

 

 

𠮷川文子先生召天

 

皆さんにもすでにお伝えしています通り、1019日(水)の午前630分、𠮷川文子先生が神さまのもとに召されました。84歳でした。突然の知らせに、花巻教会の皆さんも、驚きと深い悲しみの内にいることと思います。𠮷川先生のご遺族の皆さま、花巻教会の皆さま、𠮷川先生につらなるすべての皆さまの上に主よりの慰めがありますようお祈りいたします。

 

𠮷川文子先生は1973年から1995年まで、主任担任教師として花巻教会を牧会くださいました。また95年に菊池丈博先生が赴任されてからは、97年までは担任教師として教会をお支え下さいました。計24年の長きに渡り、花巻教会のためにお働き下さいました。

 

昨日22日(土)、𠮷川先生のご葬儀が日本基督教団高幡教会で執り行われました。教会を代表して、私と下川原さんと山崎さんが出席してまいりました。ご葬儀には山元克之先生も出席くださっていました。

 

𠮷川先生はこのところ入居しておられた未来倶楽部府中で食事がとれなくなり、先々週の木曜日から病院に入院されていたようです。入院中も食事がのどを通らず、お体が弱まり、19日に主のもとに召されました。朝5時に病院の看護婦さんが見回りに来た時には異常はなかったそうですが、6時半の見回りの時にはもう既に息を引き取られていたそうです。

 

私たちは昨日の12時半頃、納棺式が終わる頃に教会に到着しましたが、棺の中の先生のお顔を拝見すると、とても安らかな、少し微笑んでいるような表情をしてらっしゃいました。高幡教会の牧師の浅原一泰先生によりますと、天に召された直後は、より笑ってらっしゃるような表情を浮かべておられたとのことです。「笑顔で私を待ってくれたかのような、そう思わずにはいられなくなるような、実に優しいお顔でした」と浅原先生は述懐しておられました。苦しむことのない、安らかな最期であったとのことです。

 

 花巻教会の皆さんも、昨日は𠮷川先生のご葬儀を覚え、花巻より祈りをささげてくださっていたことと思います。ご葬儀に出席することを願いながら、ご事情により出席が出来なかった方もたくさんいらっしゃることと思います。昨日、ご葬儀の後に高幡教会の浅原先生に、「ご葬儀の説教で語られたことを、明日の花巻教会の主日礼拝の説教の中で参照させていただきたいのですが宜しいでしょうか」とお聞きすると、ぜひそうしてくださいとおっしゃってくださり、葬儀説教の原稿まで下さいました。浅原先生のご厚意に感謝しつつ、昨日のご葬儀の説教の中で取り次がれたメッセージを皆さまにもご紹介したいと思います。

 

 

 

𠮷川先生の歩み

 

𠮷川文子先生は1932726日、旧満州の奉天でお生まれになりました。青山学院高等部を卒業後、都立高等保母学院に進まれました。その後養護施設や企業の寮母として働かれました。

 

1962年のイースターに、用賀教会にて橋本ナホ牧師より洗礼を受けられました。そして同年、日本聖書学校に入学されました。

 

神学校を卒業後、まず初めに愛媛の松山番町教会に担任教師として赴任され、次に東京の聖ヶ丘教会の担任教師として赴任されました。担任教師は、主任担任教師を支える役割を担います。1973年からは、主任担任教師として、私たち花巻教会に着任くださいました。先ほども述べましたように、1995年まで主任担任教師、1997年まで担任教師としてお働き下さいました。

 

昨日行き帰りの新幹線の中で、下川原さんと山崎さんから𠮷川先生の思い出をいろいろと伺うことができました。私自身、生前の𠮷川先生とお会いすることはできませんでしたが、それらお話を伺いながら、𠮷川先生のお人柄に触れることができました。𠮷川先生がいかに花巻教会を愛し、教会の方々一人ひとりに全身全霊で向かい合っておられたかを知ることができ、感謝でした。

 

𠮷川先生はお車を運転なさらなかったので、教会の皆さんを訪問する際は歩いて訪問をされていたと伺いました。教会員のどなたかが連絡がなく礼拝を休むと、その後に訪問をしてくださったとのこと。長い距離もいとわず、教会員の皆さまを足繁く訪ねられていたとお聞きしました。

 

花巻教会の旧会堂は礼拝堂と牧師館とがつながっている構造になっていましたが、𠮷川先生は誰がいつ訪ねて来てもいいように、いつも準備をしておられたとお聞きしました。夜お休みになられる際も、どなたが来てもすぐに教会に出ていけるような服装で横になられていた。またお風呂に入られるとき、いつ電話が来ても出られるように、電話をひっぱってきて、浴室のすぐそばに置いてらっしゃった。それらエピソードを通し、𠮷川先生がいかに教会のためにご自分をささげていらっしゃったか、ということを感じました。

 

𠮷川先生は教会に集う子どもたち、若い人々に対しても、深い愛を注いでおられた、とお聞きしています。

𠮷川先生はあるとき浅原先生に、花巻教会に集まる子どもたちについてお話をされたことがあったそうです。子どもたちの中には、体の弱い心配な子もいたが、《でもその子達一人一人が神様の作品と私は確信をもってそう思えるのです、と顔を輝かせながら先生は話しておられた》とのことでした。

 

 𠮷川先生は牧師を隠退されてから3年半ほど、東京の「にじのいえ信愛荘」に入居、その後、にじのいえを出られ、団地でお一人で生活をされました。その頃、2001年の暮れから、高幡教会の礼拝に出席されるようになったとのことです。15年あまり、先生は高幡教会で教会生活を送られました。浅原先生が補教師であった頃は、𠮷川先生が聖餐式の司式を担当されたこともあったとお聞きしました。

 

 団地での一人暮らしを止め妹の紀子さんの家へお住まいになった後、最後のご生涯の日々は東京の府中市の「未来倶楽部府中」で過ごされました。その頃はお体のお具合の都合により毎週礼拝に出席することはできなかったそうですが、妹の紀子さんと共に、ご都合のつく週に、高幡教会の礼拝に出席されていたとのことです。施設では、静かな祈りと読書の生活を続けておられたそうです。

 

その静かな日々の中で、いつも花巻教会のことを覚え、祈ってくださっていました。花巻が懐かしい、またぜひ花巻をまた訪ねたい、皆さんとお会いしたいと強く願っておられました。

 

 

 

「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」

 

 天に召される2週間ほど前、山崎さんが施設にいらっしゃる𠮷川先生をお尋ねくださいましたが、ちょうどその頃、妹の紀子さんにも𠮷川先生からお電話があり、「あなたには本当にお世話になった」とおっしゃられたそうです。高幡教会の浅原先生は、𠮷川先生はご自分が主のもとに召される時が来たことを気づいておられたのではないか、と述べてらっしゃいました。

 

 𠮷川先生は以前より、自分の葬儀の際は、浅原先生にお願いしたいとおっしゃっていたそうです。以前より前もって、ご自分の葬儀に読んでほしい聖書箇所、歌ってほしい讃美歌もお知らせくださっていたとのことでした。昨日のご葬儀の中で読まれた聖書箇所も、先生自ら葬儀のために選ばれていた箇所であったとのことです。

 

 先生がお選びになった聖書箇所は、次の三つです。旧約聖書より、詩編12112節。新約聖書より、コリントの信徒への手紙一215節、コリントの信徒への手紙二12910節。

 昨日葬儀の礼拝の中で読まれたこの三つの聖書箇所を、改めてこの場でもお読みしたいと思います。

 

 詩編12112節《目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。/わたしの助けはどこから来るのか。/わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから》。

 

 コリントの信徒への手紙一215節《兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。/なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。/そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。/わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。/それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした》。

 

 そして、コリントの信徒への手紙二12910節。2013年度、2014年度と花巻教会の年間主題聖句ともなっていた御言葉です。《すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。/それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです》。

 

 これら聖書の御言葉はまさに𠮷川先生ご自身の信仰告白であり、𠮷川先生が牧師として何を大切に生きてらっしゃったかが凝縮されて示されている御言葉であると思います。《自分をひけらかすことなく、むしろ己の弱さと真摯に向き合い、人の弱さにおいてこそ鮮やかに示されるキリストの強さを証しし続ける。それが𠮷川文子先生の伝道者スピリットであったのではなかったか》と浅原先生は葬儀説教の中で述べておられました。「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」――この福音の言葉は、遺された私たち一人ひとりに対する、先生の最期のメッセージでもあるでしょう。

 

 葬儀説教の中で、浅原先生はコリントの信徒への手紙二318節も読んでくだいました。《わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです》。

 

 𠮷川先生がそのご生涯を通じて指し示し続けてくださった、目には見えないけれどもまことに大切なもの――すなわち、「福音」に、私たちもまた目を注ぎ続けてゆきたいと願います。

 

 

 

決して過ぎ去らず、失われることのないもの ~神の国の福音

 

以上、昨日の葬儀説教で語られたことを紹介させていただきました。いまは主のもとで平安を得ている𠮷川先生のこれまでのお働きに改めて心より感謝すると共に、皆さまの上に主の慰めがありますよう祈ります。

 

 私たちが生きるこの世界では、かたちあるものは姿を変え、目に見えているものはいつか見えなくなってしまうものです。しかし、この世界には過ぎ去らないものがあります。目には見えないけれども、過ぎ去らないもの。決して失われることのないもの。本日の聖書箇所で言いますと、《虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない》もの(マタイによる福音書620節)。それが、イエス・キリストによって示されている神の国の福音です。私たちはこの福音の中で生かされ、支えられています。

 

 決して過ぎ去らず、失われることのないこの福音の恵みに、いまは天におられる𠮷川先生と共に、目を注ぎ続けてゆきたいと願います。