2018年11月4日「わたしは雲の中にわたしの虹を置く」

2018114日 花巻教会 主日礼拝説教 

聖書箇所:創世記9817 

わたしは雲の中にわたしの虹を置く

 

 

聖書における虹 ~①平和のしるし

 

いまお読みしました聖書箇所には、「虹」が出て来ました。つい最近、虹を見たという方も多いのではないでしょうか。雨上がりの青空にかかる虹。虹を見たら、私たちは嬉しくなってしまうものですよね。虹を見たら嬉しくなる、祝福を感じる、というのは世界共通の感覚であると思います。

 

聖書において「虹」は、「弓」を意味する言葉です。矢を放つための弓ですね。旧約聖書では「虹」を表すのに「弓」と言う言葉が使われています。確かに、虹と弓は形が似ています。旧約聖書が書かれた時代においては弓が最も一般的な武器であったようで、旧約聖書にも「弓」という言葉がたくさん出て来ます。

 

一方で、虹と弓とは、確かに形は似ていますが、イメージとしてはずいぶんと異なるものですよね。弓は古代世界においては武器として用いられているものですので、虹の平和なイメージとは結びつかないような気もします。ある人が、この点について示唆深いことを述べていました。旧約聖書において虹は武器である弓を表すと同時に、その弓がもはや引かれることがないということを表しているのだ、とW・ブルッグマン『現代聖書注解 創世記』、向井考史訳、日本基督教団出版局、1986年、156157頁。ジョージ・メンデンホールの解釈の引用)。すなわち、古代イスラエルの人々は、大空にかかる虹に、武器が置かれた様子をイメージしている、というのですね。武器が置かれた様子は、戦いがもはや終わったこと、もはやその弓が引かれることがないことを意味し、だからこそ、それは平和を意味するイメージとなっているようです。

 

 

 

聖書における虹 ~②神の約束のしるし

 

 また、本日の聖書箇所である創世記では、虹は神さまと私たちの間に立てられた《契約のしるし》であるとされています。《わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる(創世記913節)

 

「契約」とは少し難しい表現ですが、言い換えれば、「約束」ということです。雲の中に現れた虹は、神と私たちとの「約束のしるし」だ、というのですね。その約束とは、この世界とそこに生きる一つひとつの生命をいつまでも祝福するという約束です。この約束はいまを生きる私たちに対してだけではなく、未来の世代に対する約束であることが述べられています。また、私たち人間に対してだけではなく、この地上に生きるすべての生命との間に立てられた契約であるということも私たちは忘れてはならないでしょう。

 

わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。/あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる(同910節)

 

 この「祝福の約束」の言葉は、「ノアの箱舟」の物語の締めくくりとして語られた言葉です。神が大洪水を起こし、箱舟に乗ったノアたちと動物たちは助かった、というよく知られた物語ですね。神はもうこのような大洪水を二度と起こすことはしない、とノアに約束をします。あなたたちとその子孫を、この地上に生きるすべての命を、いつまでも祝福する、と。その祝福の約束のしるしが、雲の中に現れた虹でした。神は今後、この世界を弓の矢で射る=洪水を起こして裁く、ということを決してなさらない。雲の中に置かれた弓はその約束のしるしである、ということになります。

 

 

 

《肉なるものをすべて滅ぼすことは決してしない》

 

 虹のお話からは少し逸れますが、ノアの箱舟の物語について述べておきたいことがあります。それは、大災害についての受け止め方です。

 

旧約聖書の中には、大災害を神の裁きとして受け止める、という考え方があります。ノアの箱舟の物語でも、洪水という大災害が神の怒りによって引き起こされたという風に描いています。これらはあくまで古代イスラエルの人々の受け止め方であって、このように、大災害を神の裁きと受け止めるという考え方は、現代の私たちからするともはやそのままには受け止めることができないものです。

 

今年も日本各地で、また世界各地で大きな災害がありました。それを神の裁き(天罰)であるとみなす人がいるならば、私はそれは誤った考え方であると思います。私たちはむしろ、本日の創世記の言葉を心に刻まねばならないでしょう。11節《わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない》。15節《わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない》。

 

ここでは、洪水のような大災害が起こして地を滅ぼすことを「二度としない」という神の約束の言葉が語られています。私たちはこの言葉にこそ強調点を置くべきでしょう。私たちが苦しむことを神は決して願ってはおられません。

 

 

 

現代社会における虹 ~「多様性のしるし」

 

 聖書における「虹」がどのような意味をもっているかについてお話しました。聖書において虹は「平和のしるし」であり、神さまの「約束のしるし」でした。現代の社会においても、やはり虹は大切なイメージとなっています。現代では特に虹は「多様性のしるし」となっています。一人ひとりには違いがあり、その違いが尊重されるべきことのシンボルとなっているのです。

 

 レインボーフラッグという旗があります。いま私が手に持っているものです。御覧になったことがある方もいらっしゃることと思います。このレインボーフラッグは今年の91日に盛岡で行われた「いわてレインボーマーチ」で実際に使用したものです。

 

 レインボーフラッグはLGBTをはじめとする性的マイノリティ(少数者)の方々への差別に反対し、「性の多様性」への理解を訴える意図から生まれたものです(LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーを指す言葉です)。近年は「性の多様性」のみならず、あらゆる差別や暴力の解消と多様性と人権の尊重を訴えるための、共通のシンボルともなっています。

 

レインボーフラッグは現在、7色ではなく6色構成のバージョンが定着しています。虹を何色の色で表すかは地域によっても違いがありますが、大切なのは、そこに「多様な色がある」ということでありましょう。私たちは一人一人、違いがあり、個性があります。一色や二色でくくることはできないものですよね。

 

しかも、そこにはグラデーションがあります。デザインにするときは便宜的に色分けがなされますが、実際の虹というのは色と色との間にはっきりとした境界線はありません。数え方によっては、何十、何百、何千、何万という色を見出してゆくことも可能でしょう。虹色には、無限の色が含まれているというのが実際のところです。私たち一人ひとりの性のあり方というのも、そのように多様性があります。一人ひとりに違いがあるのであり、それがかけがえのない「その人らしさ」を形づくっています。

 

かけがえがない、ということは、替わりがきかない、ということです。私たちはそれぞれ、世界にただ一人の存在です。互いに違いあり、多様性があるというのは当然のことです。だからこそ私たちはかけがえのない存在であるのです。神さまの目から見て、一人ひとりがありのままに、かけがえのない=替わりがきかない存在であることを私は信じています。

 

 

 

岩手初「いわてレインボーマーチ」の開催

 

 先ほど述べましたように、今年の91日に盛岡で「いわてレインボーマーチ」が開催されました。性的マイノリティの方々への差別や暴力の解消と、一人ひとりが生きやすい社会の実現を願って行われたパレードです。もりおか歴史文化館から、商店街を通って、岩手公園まで、およそ1.6キロの距離を、「多様性のしるし」であるレインボーフラッグを振りながら行進しました。岩手県では初の開催でした。

 

誰でも参加大歓迎。LGBTの当事者の方だけではなく、共に連帯をしていきたいと願うたくさんの方も集まっていました。岩手県内外から、約160名の参加があったということです。スクリーンに映しているのは、その時の写真です。県内の教会からも十数名の牧師・信徒の方々が参加しました。

 

 チラシの案内文をご紹介いたします。《IWATE RAINBOW MARCHとは? 

 LGBTへの差別や暴力を解消し、「誰もが生きることをENJOYできる岩手」を目指すためのプライドパレードです。多様性の象徴であるレインボーフラッグを振りながら、それぞれの想いと共に歩きます。年齢、セクシュアリティ、所属、国籍、宗教、障害の有無は不問。「生きることをENJOYしたい人」や「そう生きる人を岩手に増やしたい人」であればどなたでも参加可能です。一緒に歩きましょう!》。

 

 来年も開催する予定ということですので、ぜひ参加したいと思います。皆様の中でもご都合宜しい方がいましたら、ぜひ一緒に歩きましょう。

 

 

 

平和の虹をこの地上に

 

 虹は「平和のしるし」であり、神の「約束のしるし」であり、現代においては「多様性のしるし」であるということをお話しました。

 

 この大切な虹を、私たちは見失ってしまうことがあります。武器を置くのではなく、手にとって、互いに殺し合ってしまうことが今日も世界の各地で起こっています。また武器を実際に手に取らなくても、私たちは心の中で、弓の矢を誰かに向け、傷つけてしまうことがあるでしょう。「平和のしるし」である虹を見失ってしまっている現実があります。

 

 また神さまの「約束のしるし」である虹を見失い、私たち身勝手さにより未来の世代への責任を放棄し、自然環境を破壊している現実があります。子どもたちの命を傷つけ、また他の動植物の命を傷つけ続けている現実があります。

 

 また、「多様性のしるし」である虹を見失ってしまうこともあるでしょう。一人ひとりが神様の目から見てかけがえのない存在であることを忘れ、他者を自分と同じ色にしてしまおうとしたり、自分とは違う色の人を、差別や偏見のまなざしで見てしまうこともあります。また私たち自身が、そのような差別や偏見に脅かされ、傷つけられることもあるでしょう。このように、平和ではない現実が、私たちの生きる社会の至るところにあります。

 

 平和の虹、神さまの約束の虹、多様性のしるしである虹を、どうぞ私たちが見失うことのないようにと願います。命と尊厳が大切にされるための虹を、この地上にもっと目に見えるものとしてゆくことができますように、共に祈りを合わせてゆきましょう。