2018年12月9日「神の言葉はむなしくは戻らない」

2018129日 花巻教会 主日礼拝説教

聖書箇所:イザヤ書55111

神の言葉はむなしくは戻らない

 

 

アドベント第2週目

 

ここ数日、朝晩と厳しい寒さが続いています。今朝はいよいよ雪が積もりました。先週の前半は、まるで10月下旬のような陽気でした。火曜日は花巻市は最高気温17度、最低気温8度。福岡市では最高気温が26度まで上がったとのことでした。まるで初夏のような陽気ですね。それが、週の後半に一気に通常の12月の寒さに。激しい寒暖の差に、体調を崩しておられる方もいらっしゃることと思います。皆さまもどうぞお体ご自愛下さい。

 

先週の122日から「アドベント」(待降節)に入りました。本日はアドベント第2週目です。アドベントとは、教会の暦で、イエス・キリストがお生まれになったクリスマスを待ち望む時期です。 25日のクリスマスまで、自らの内を顧みつつ、ご一緒に御子のご降誕を待ち望みたいと思います。

 

 

 

 企画展「斎藤宗次郎――花巻時代の足跡」

 

 昨日から花巻市博物館にて企画展「斎藤宗次郎――花巻時代の足跡」が開かれています。《賢治とストーブを囲み 語り合っていたのは ひとりのキリスト者――神に導かれた その人生を辿る》(企画展のチラシより)。斎藤宗次郎さん18771968は皆さんもよくご存じのように、宮沢賢治さんと交流があり、『雨ニモマケズ』のモデルになっているかもしれないとされている人です。無教会という独自の考え方を打ち出した内村鑑三さんのお弟子さんでもありました。来年の127日(日)まで企画展は開かれていますので、皆さんも、もしお時間ありましたら、ぜひご覧になってみてください。

 

 昨日の午後には関連イベントとして、同博物館にて講演会が行われました。同志社女子大学名誉教授で、斎藤宗次郎氏のお孫さんのお連れ合いである児玉実英先生(ご本人からすると、宗次郎さんは義理のお父さまにあたります)によるご講演でした。主題は「祖父 宗次郎の思い出 ~3つのキーワード~」。貴重な機会だということで、私と妻とで講演を聞きにいってまいりました。

 

会場には、斎藤宗次郎さんのご親族の方々もいらっしゃっていました。冒頭では、児玉先生が実際に宗次郎さんと過ごす中で感じた人となりについてもお話しくださいました。お孫さんたちに対して、怒ることなく、いつもニコニコ笑っておられる、やさしいおじいさまであったそうです。

 

 

 

《まっすぐなクリスチャン》

 

 講演では、児玉先生は三つのキーワードに添って、お話を下さいました。一つ目のキーワードは《まっすぐなクリスチャン》。斎藤宗次郎さんがいかにまっすぐに信念を貫き通す方であったかを、エピソードを交えながらお話しくださいました。斎藤宗次郎さんは生家がお寺で、クリスチャンになった際は、当然ながら、家族との間に衝突が起こったようです。当時はキリスト教が「耶蘇」と呼ばれ、愛国主義的な視点からは敵視されていた時代でもありました。そのような中で、しかし、斎藤宗次郎さんは自身の信実を貫き通されました。

 

 斎藤宗次郎さんはひとすじに生きる姿勢をもつゆえに、周囲に摩擦を引き起こしてしまうことが度々あったそうですが、摩擦が起こった後、不思議と丸く収まることとなった、ということもお話しくださいました。対立したままではなく、何らかの和解に至ることができたのですね。児玉先生はその理由として、斎藤宗次郎さんが頑固さと共に、誠実さと、相手を思いやる心をもっていたことを挙げておられました。その心があったので、最終的には相手と関係性を修復することができていたのですね。

 

 

 

《宮沢賢治との交流》

 

 二つ目のキーワードは《宮沢賢治との交流》。これは花巻の方々によっては、特にご興味があるテーマであると思います。先日の110周年記念講演会で講師の雜賀信行さんもお話しくださったように、斎藤宗次郎さんと宮沢賢治さんとの間には、深い心の交流がありました。先ほど触れましたように、斎藤宗次郎さんが『雨ニモマケズ』のモデルではないかという説もあります。講師の児玉先生は比較文学がご専門でもあり、文学作品に影響があったかなかったかについての研究には慎重さが大切であり、簡単に述べることはできないということで、この件についてはあえて見解を述べることは控えておられました。そのことを踏まえつつ、やはり斎藤宗次郎さんと賢治さんは単なる友人ではなく、心を通わせあう関係性であったこと――日記からその事実が読み取れること――をお話しくださいました。

 

妹のトシさんの死を詠った『永訣の朝』を賢治さんが一番はじめに見せたのも宗次郎さんであったそうです。次に述べますように、宗次郎さんは日記を欠かさずつけておられましたが、その『永訣の朝』を読んだ日のことも日記に記されているそうです。まるで賢治さんの悲しみをわが悲しみとするような、主語が賢治さんと一体となるような文章となっているとのことでした。《「若き兄妹の永訣の朝の真情」に接し「予は心臓の奥の轟きを覚えた」。そして、「一椀の雪」が天上で「美味なるアイスクリームになれよと祈った」》(『二荊自叙伝』第14416423頁。講演会で配られた児玉実英氏「斎藤宗次郎略年譜」より。斎藤宗次郎著/児玉実英・岩野祐介編『没後50年記念 復刻 聴講五年――晩年の内村鑑三に接して』所収、2018年、教文館)。自叙伝の文章からも、二人がいかに心の深い所で共鳴し合っていたかを感じとることができます。

 

 

 

《時代の記録人》

 

三つめのキーワードは《時代の記録人》。先ほど述べましたように、斎藤宗次郎さんは青年の時から亡くなるまでのおよそ70年間、詳細な日記を欠かさずつけておられたそうです。宗次郎さんは晩年に『二荊自叙伝』という膨大な分量の自伝を記されています。その自伝の資料となっているのが、70年間欠かさずつけてきた日記であるそうです。

 

宗次郎さんはその時代の様々な情報、文化の記録人でもあったということを児玉先生はお話しくださいました。個人的な出来事や知人友人の消息はもちろん、当時の花巻の様々な出来事がそれら日記には記録されているのですね。当時の花巻を知るという意味でも、大変貴重なものだ、ということを花巻市博物館の館長さんがはじめのご挨拶でお話されていました。《宗次郎は大正151926)年に上京するまでの約50年間を花巻で過ごしました。斎藤宗次郎資料からは、明治・大正期の花巻の様子や、宮沢賢治をはじめとする花巻の人々との交流を知ることができます》(出典目録の案内文より)

 

これら日記を含む斎藤宗次郎さんの資料は、これまでは児玉先生やご親族の方々が保存されていましたが、近年、そのすべてを花巻市博物館に寄贈してくださったそうです。この度の花巻市博物館の特別企画展は、斎藤宗次郎研究のプロローグとして開催されたとのことでした。この度寄贈された日記を参照することによって、今後、斎藤宗次郎研究がさらに発展してゆくことでしょう。また、宮沢賢治研究や花巻の歴史研究にとっても、大変貴重な一次資料になることと思います。

 

内村鑑三氏のお弟子さんの多くは内村のもとを離れてゆきましたが、斎藤宗次郎さんは最期まで離れなかった数少ない弟子の一人です。内村鑑三の周囲の人々から、宗次郎さんはひそかに「記録魔」と呼ばれていたそうです。内村先生に関して、何でも気づいたことはメモをし、そして日誌に書き残していたのですね。「本当の内村の姿を書き残すのだ」という使命感をもっていたのではないかと児玉先生は述べておられました。特に私が心に残ったのは、内村鑑三氏の最期の日のエピソードです。宗次郎さんはずっと師のそばに寄り添いつつ、時間ごとに呼吸の数まで数え、記録していたそうです。そのエピソードを聞いて、私は宗次郎さんの内村先生に対するすさまじいまでの、燃えるような愛を感じました。

 

 

 

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」心

 

 さて、昨日のご講演の内容について皆さんとも分かちあいたいと思い、簡単にではありますがお話をいたしました。講演でお話しくださったように、斎藤宗次郎さんはひとすじに、まっすぐに生きた方であったそうです。周囲と摩擦が生じることがあっても、自分の信念を曲げなかった。と同時に、ただ自分の信念を相手に押し付けるということはしなかった方であると感じました。児玉先生は、宗次郎さんが周囲と摩擦を引き起こしつつ、最後は丸く収まることが多かったのは宗次郎さんに相手を思いやる心があったからだと述べておられました。私もその姿勢がまことに大切であると思います。相手を思いやる心、聖書の言葉を引用すると、斎藤宗次郎さんは「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」(ローマの信徒への手紙1215節)豊かな心を持ってらっしゃったのではないでしょうか。

 

その心は、『永訣の朝』を読んだ日の日記にも表れています。最愛の妹トシを失った賢治の悲しみを、まさに我が悲しみのようにして思いやっていたことが日記から汲み取ることができます。それはまた、宗次郎さん自身がその人生の歩みにおいて、様々な痛み、深い悲しみを経験されてきたからこそ、他者の痛みを我が痛みのように思いやることができていたということもあったのではないかと思います。

 

 

 

神さまの「まっすぐさ」 ~人となられて私たちに寄り添い

 

 本日の聖書箇所に、次のような言葉がありました。預言者イザヤという人が神さまの想いを取り次いで語った言葉です。《雨も雪も、ひとたび天から降れば/むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ/種蒔く人には種を与え/食べる人には糧を与える。/そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす(イザヤ書551011節)

 

 ここでは、神さまの言葉は、むなしくは神さまのもとに戻らないことが力強く語られています。《それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす11節)。神さまの言葉がひとすじに、まっすぐであることが語られています。神さまは決してその願いを途中で放棄することをなされない。

 

 と同時に、神さまはその想いを私たちに無理に押し付けることはなさらない方であることも、これら言葉から汲み取ることができるのではないでしょうか。神さまの言葉をイメージさせるものとして、雨や雪の在り方が出て来ました。雨も雪も天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、植物に芽を出させ、成長させ、私たちに人間に種を与え、糧を与える。神さまの言葉も同じように、必ず望むことを成し遂げるのだと語られていますが、その間、様々な紆余曲折があることが前提とされています。一度大地に沁み込み、植物を育み、そうしてやっと種となり糧となり……何だか回りくどいと言えば回りくどい在り方かもしれません。けれどもここに大切なメッセージがあるのだと感じます。

 

聖書が語る神さまの「まっすぐさ」とは、相手に無理やり自分の想いを押し付けるという「まっすぐさ」ではありません。神さまの願いはとこしえに変わることなく、しかしその願いの実現のためにご自身のかたちを変え続け、私たちの歩みにとことん寄り添い続けてくださる、そのような神さまのお姿を聖書は証しています。

 

 この神さまの「まっすぐさ」は何より、御子イエス・キリストのお姿を通して、私たちにはっきりと示されています。新約聖書はイエス・キリストを、「人となった神の言葉」として捉えています。神さまは私たちのためにかたちを変え、ついには人間となられた。そうまでして、私たちに徹底的に寄り添うことをしてくださった。私たちの痛みを我が痛みとして、私たちの悲しみを我が悲しみをしてくださった。そのように私たちと共に生きることを通して、神さまは私たちにその切なる願いを語りかけ続けてくださっています。

 

 私たちと共に喜び、共に泣いてくださる愛なる主に、いま、私たちの心を開きたいと思います。