2020年6月21日「命の約束」

2020621日 花巻教会 聖霊降臨節第4主日礼拝

聖書箇所:ヨハネの手紙一22229

命の約束

 

  

《反キリスト》……?

 

ホラー映画などに登場する、「アンチキリスト」という言葉を聞いたことはありますでしょうか。たとえばホラー映画の名作『オーメン』1976年)には、アンチキリストとして主人公のダミアン少年が登場します。可愛らしいダミアンが実は悪魔の子どもで、アンチキリストであるという設定です。愛くるしい子どもがアンチキリストであるというギャップのある設定がこの映画の面白いところであったと言えます。

 

「アンチ」は元来はギリシャ語で、「向かい合い」を意味する言葉です。場合によっては「敵対関係」を意味する言葉になります。「アンチキリスト」はすなわち「キリストと敵対する考え方」を指す言葉なのですね。この呼び名はもともとは、いまお読みしたヨハネの手紙に出てくる言葉です。私たちが使用している新共同訳では《反キリスト》と訳されています(ヨハネの手紙一222節)

 

《反キリスト》は手紙の著者であるヨハネが生み出した呼び名というより、当時、教会の内外でよく知られていたものであったようです。「この世界が終わるとき、イエス・キリストに対抗する《反キリスト》が現れて、人々を混乱に陥れる」という伝承が人々の間に広まっていたようなのです。ヨハネは人々の間に流布していた《反キリスト》の伝承を、自分たちの教会の状況に当てはめたのだと考えられます。

本日の聖書箇所の少し前の18節では、ヨハネはこのように述べていました。《子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります》。

 

ただし、ヨハネが《反(アンチ)キリスト》と呼んだ対象は、ホラー映画で描かれるようなおどろおどろしい存在ではなく、普通の人間です。具体的には、主イエス・キリストの理解を巡って、ヨハネと異なる考えをもつに至った人々のことを指しています。ヨハネは教会の人々を異なる教えから守るために、考えが異なる人々のことを当時流布していた《反キリスト》の名称で呼び、注意を促したのです。

 

 

 

キリストの理解を巡る対立によって

 

 この中に「アンチ巨人」の方はおられるでしょうか(手を上げていただかなくても結構ですが…!)。アンチ巨人の場合、「自分はアンチ巨人だ」と本人が認める、または公言する場合がほとんどであると思います。

 

 一方で、ヨハネの手紙における「アンチキリスト」の場合、そう呼ばれている人々は自ら「自分はアンチキリストだ」と名乗っているわけではありません。これはあくまでヨハネたちが、彼らをそう呼んだということであって、呼ばれている本人たちは自分たちがアンチキリストであるとは夢にも思っていなかったでしょう。むしろ自分たちこそが正しい信仰をもっているのだと受け止めていたかもしれません。

 

ヨハネが《反キリスト》と呼んだ人々は、もともとはヨハネと同じ教会に属していた人々でした。本来は、共に同じ教会で礼拝をしていた仲間であったのです。けれども徐々にキリストの理解の仕方を巡ってヨハネたちと考えが対立し、ついには教会を出てゆくこととなりました。

 

ヨハネは離脱していった人々について、《彼らはわたしたちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、わたしたちのもとにとどまっていたでしょう。しかし去って行き、だれもわたしたちの仲間ではないことが明らかになりました19節)と述べています。彼らはもともと、仲間ではなかった。さらに言うと、彼らこそ、かねてから聞いていたとおりの《反キリスト》であったのだとさえ、ヨハネは言うのです。

 

 

 

当時の二元的な世界観とその限界

 

このような言い方は、現代を生きる私たちからすると、戸惑いを覚えるものです。もともと仲間であった人々のことを《反キリスト》と呼んで突き放す姿勢は、明らかに行き過ぎではないか。あまりに厳しすぎるのではないか、そのように感じる方が多くいらっしゃることでしょう。ヨハネの手紙には相手の言い分を理解しようとする姿勢が欠如しているようにも思えます。

 

ヨハネの手紙においては、ものごとをはっきりと白と黒に分けて理解しようとする世界観が顕著です。いわゆる二元的な世界観です。二元的な世界観というのは、「光と闇」「善と悪」というように、ものごとをはっきりと二つに分けて理解しようとする世界観のことを言います。

 

ものごとを白と黒に区別して語るのは、当時の一般的な文学的な手法でもありました。白と黒をはっきりと分けて描くことによって、両者の違いを際立たせるという技法です。ヨハネは手紙においてその文学的手法を駆使しているわけですが、現代に生きる私たちがこのような二元的な表現をもはや文字通り受け止めることはできないのは当然のことでありましょう。

 

ものごとは本来、単純に白と黒に分けられるものではありません。そのように区別すると理解しやすくはなりますが、ほとんどのものごとは複雑に関わりあっており、白と黒にはっきりと分けられるものではありません。私たち人間を、単純に善人と悪人にはっきり分けられるものではないのと同様です。私たちの内には、長所もあれば短所もある、人を大切にしたいという気持もあれば、人を傷つけてみたいという思いもあるかもしれない。それらの複合体が、わたしたち人間の心であるというのが実際のところでありましょう。

 

 

 

同じ信仰を持つ者同士の対立

 

このヨハネの手紙が書かれた時代をはじめとして、これまでの教会の歴史において、キリストの理解を巡って、さまざまな対立や争いが引き起こされてきました。時代によっては、信仰理解の異なる相手を火あぶりにするというような悲劇も起こりました。同じキリスト者同士であるのに、本来は仲間であるのにも関わらず、です。

 

そこには、それぞれが自分たちこそが絶対的に「正しい」と確信し、それを決してゆずらないという姿勢が関係していました。いま「同じキリスト者同士であるのに」と申しましたが、同じキリストを信じている者同士であるからこそ、互いの相違が認めることができなかったという部分があったのではないかと思います。同じキリストを信じる者同士であるからこそ、異なる信仰理解をもつ人々のことをどうしてもゆるすことができなかった。そうして相手をまるで《反キリスト》であるかのようにみなし、激しく攻撃した。同じ信仰を持つ者同士による対立は、場合によっては、異なる宗教同士の対立よりもさらに激しさや非道さが増すこともあります。

 

 

 

ヨハネが守ろうとしたキリスト教の「固有性」 ~「神が人となられた」という信仰理解

 

改めて、ヨハネの手紙に戻りたいと思います。ヨハネの手紙はなぜこれほど厳しい言葉を紡ぎ出さねばならなかったのか。そこには、ヨハネの手紙が記された時期が深く関係しています。これから少し、ヨハネの手紙の弁護を試みたいと思います。

 

ヨハネの手紙が書かれた時期というのは、まさにキリスト教が生まれ出たばかり、もしくはキリスト教がこれから本格的に生まれ出ようとしている時期でした。ヨハネは自らの生死を懸けて、産声を上げたばかりのキリスト教を、その「固有性」を守ろうとしていたのです。

 

ヨハネたちが毅然とした態度をもって死守しようとしたキリスト教の固有性、それは、「神が人となった」という信仰理解でした。イエス・キリストは、神が肉をとって、人となられた存在である、そうヨハネたちは信じていました。一部の人々が教会から出て行ってしまったのも、ここに関する信仰理解の違いが原因でした。

 

本日の聖書箇所では、ヨハネはそれを《初めから聞いていたこと》24節)と形容しています。《初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう。/これこそ、御子がわたしたちに約束された約束、永遠の命です2425節)

《初めから聞いていた》こととは、「神が人となられた」こと。神が人間となって、この世界に生まれてくださったこと。ヨハネは、このことをこそ心にとどめるようにと教会の人々に訴えています。

 

イエス・キリストがこの世界に来てくださったことは幻ではない。わたしたちがこの手で触れた、確かな事実である。手紙の冒頭で、ヨハネはこのように記しています。11節《初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言葉について》――。

 

 

 

生まれ出ようとするものを守るための厳しさ

 

「神が人となられた」ことを否定することは、「神が人となって、わたしたちのために死なれた」ことを否定することともなります。ヨハネたちが《初めから聞いていた》もう一つのこと、それは、イエス・キリストが十字架において、わたしたちのために死なれたということです。

これらの私たちの理解を超え出た出来事が、なぜ起こったか。それは、神がわたしたちを愛するゆえでした。

 

ヨハネにとって、「神が人となられた」ことを否定するとは、わたしたちに対する神の愛を拒絶するということに他なりませんでした。ですので、ヨハネは「神が人となられた」ことを否定する信仰理解をどうしても認めることができなかったのです。そうしてそのような異なる信仰理解を《反キリスト》という名称で呼び、徹底的に批判しようとしたのではないかと思います。

 

 ヨハネのあまりに厳しすぎる言葉は、現代の私たちからするともはや文字通りには受け止めることのできないものかもしれません。しかし、ヨハネたちのこの厳しさがなければ、キリスト教はその後の歴史において存続することはできなかったであろうと思います。キリスト教の固有性を守ろうとする信仰の先達たちの懸命なる努力がなければ、いまキリスト教そのものが存在していなかったのではないでしょうか。ヨハネの手紙における「厳しさ」とは、生まれ出ようとするものを守るための厳しさであったのだと受け止めることができます。

 

 

 

一人ひとりが神さまの愛と永遠の命に結ばれ

 

 ただし、いまを生きる私たちは、そのような厳しい姿勢をもって互いに対立しあう必要はありません。これからの時代を生きる私たちは、かつての「厳しさ」とは異なる姿勢をもって、互いの信仰理解を受け止めあってゆくことが求められています。

 

 生まれ出ようとするものを守るために、かつて切り捨ててしまったもの。全否定してしまったもの。それらのものと、再びつながりを回復する作業をしてゆくことが、これから求められているのだと私は受け止めています。

 

 ヨハネの手紙で言いますと、かつて《反キリスト》と呼んで、遠ざけてしまった人々。その人々ともう一度出会う作業をしてゆくことが必要でありましょう。その人々は、本当は一体、どのようなことを考えていたのか。どのようなことを大切にしようとしていたのか。いまなら、私たちは理解をしてゆくことができるのではないでしょうか。かつて《反キリスト》と呼ばれていた人々も、やはりわたしたちの同志であり、同じキリストに結ばれている仲間であったはずです。

 

 私たちは大きな約束――神さまからの命の約束と言えるものの中に入れられています。この命の約束は私たちの理解をはるかに超え、大きく、広く、深いものです。私たちの理解を越えた仕方で、一人ひとりが神さまの愛と永遠の命に固く結ばれているのだと信じています。