2025年12月14日「荒れ野に道を備えよ」
2025年12月14日 花巻教会 主日礼拝説教
12月8日、青森県東方沖を震源とする地震が発生しました。真夜中の突然の大きな揺れ、皆さんも大変驚かれたことと思います。奥羽教区内の教会・関係施設において大きな被害は報告されておりませんが、青森県の一部地域において地震による影響・被害が生じています。
今後しばらくは後発地震の発生の可能性も指摘されています。一人ひとりの命と安全が守られますよう、引き続きご一緒に祈りを合わせてゆきたいと思います。
アドベント第3週 ~喜びの主日
私たちは現在、教会の暦でアドベント(待降節)の中を歩んでいます。アドベントはイエス・キリストの到来を待ち望み、そのための準備をする時期です。本日はアドベント第3主日礼拝をご一緒におささげしています。
アドベント第3週は伝統的に「喜びの主日」とされています。ここでの「喜び」とはもちろん、イエス・キリストがこの世界にお生まれになった、クリスマスの喜びのことを指しています。アドベントも第3週に入り、クリスマスの喜びが近づいてきていることを私たちは共に確認します。
先ほどご一緒に讃美歌242番『主を待ち望むアドヴェント』を歌いました。教会ではアドベントの時期、アドベントクランツのろうそくに毎週一本ずつ火をともしてゆく風習があります。それを歌にしたもので、3番はこのような歌詞でした。3番《主を待ち望むアドヴェント、第三のろうそく ともそう。主の恵み 照り輝き、暗闇を照らす。/主の民よ、喜べ。主は近い》(日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌21』、日本基督教団出版局、1997年)。
《主の民よ、喜べ。主は近い》――私たちはいよいよ、来週にはクリスマス礼拝の日を迎えます。
今年1年を振り返って
来週はいよいよクリスマス。今年2025年ももうすぐ終わりです。皆さんはこの1年を振り返っていかがだったでしょうか。私自身は、昨年11月に出版した本(『違いがありつつ、ひとつ――試論「十全のイエス・キリスト」へ』、ヨベル)に対して、たくさんの方からご感想や反響をいただけたということが、大きなことでした。その意味でも自分自身にとって、とても意義深い年になったと感謝をもって受け止めています。花巻教会の皆さんにも、1月に出版をお祝いする会を開いていただき感謝です。
この1年、私たち花巻教会は愛する方々を神さまのもとにお送りしました。1月7日、教会関係者のS・Sさんが天に召されました。1月10日、教会にてご葬儀を執り行いました。
6月17日、教会員のT・Eさんが天に召されました。6月21日、教会にてご葬儀を執り行いました。Eさんは6月12日に、病床にて洗礼を受けられました。
S・Sさん、T・Eさんにつながるお一人おひとりの上に、神さまの慰めとお支えがありますようお祈りしております。
また、ここに集った皆さまの中にも、この1年、愛するご家族、ご友人を神さまのもとにお送りした方がいらっしゃることと思います。皆さまの上に神さまの慰めとお支えをお祈りしています。
熊の市街地出没の増加、大船渡市山林火災、各地で大きな災害が発生
私たちの社会においても、この1年、様々な出来事がありました。ここ最近では、熊についてのニュースが特に大きなものでありましょう。一昨日発表された今年の漢字も「熊」でしたね。確かに、これほど熊の市街地出没と熊による人身被害が続くことは、これまではなかったことです。これ以上人身被害が生じることがありませんよう、一人ひとりの安全と生活が守られるように祈ります。またそして、熊と私たち人間とがいかに共生してゆくことができるか、必要な知恵が与えられるよう共に祈り求めてゆきたいと思います。
この1年を振り返って、岩手に住む私たちがまず思い起こすのは、2月末に大船渡市で発生した大規模な山林火災でありましょう。約2900ヘクタールが焼失するという、大変な火災となりました。いまも困難の中にいる方々を覚え、引き続きご一緒に祈りを合わせたいと思います。
この1年、国内外でも大きな災害が続きました。3月末にミャンマーで大地震が発生、ミャンマーとタイの首都バンコクで甚大なる被害が生じました。8月末にはアフガニスタン東部の大地震が発生、こちらも甚大なる被害が生じています。私たちの住む東北でも先週8日、大きな地震がありました。
また、この数週間、東南アジア・南アジアやアメリカなど、世界各地で大雨による大規模な洪水や土砂崩れが発生、多くの人が亡くなっています。これらの一連の異常気象は、気候変動が一因となっている可能性が高いことが指摘されています。
災害によって被災し、困難の中にある方々の上に神さまのお支えがありますように、ご一緒に祈りを合わせたいと思います。
夏の厳しい暑さ
また、この1年を振り返って思い起こすのは、夏の厳しい暑さであるでしょう。6月から7月初旬にかけて、すでに真夏のような暑さが続きました。7月の終わりから8月にかけては、岩手でも連日猛暑日となり、県内各地で、観測史上最高気温を記録しました。「命に関わる暑さ」とも言われていますが、このような異常な暑さは毎年続いていくことが予想されます。今後、夏の暑さと豪雨災害への対策は、私たちの社会にとって喫緊の課題の一つです。
先ほど述べましたように、これらの異常気象は気候変動を要因としており、その気候変動は私たち人間が地球環境を意のままに、無責任に利用し続けた結果、引き起こされているものであることを心に留めたいと思います。
またそして、大きな危惧を覚えざるを得ないのが、大きな地震が各地で多発している中、新潟県の柏崎刈羽(かりわ)原発と北海道の泊原発が再稼働の方向へ向かおうとしていることです。地震大国である日本において原発の稼働はあまりにも危険であり、すべての命を破局的な危機にさらすことにつながり得るものです。目の前の利益ではなく、命と尊厳をこそ第一とする道をご一緒に祈り求めてゆきたいと願います。
教皇フランシスコご帰天、教皇レオ14世が選出
キリスト教会においては、ローマ・カトリック教会のローマ教皇が天に召され、新しい教皇が選出されるという、大きな出来事がありました。イースター(4月20日)の翌日、教皇フランシスコが召天(ご帰天)されました。5月7日から行われたコンクラーベの結果、新しくレオ14世が教皇として選出されました。レオ14世はアメリカ出身の初のローマ教皇となりました。ちょうど同時期に放映されていた映画『教皇選挙(コンクラーベ)』も話題になりましたね。
一刻も早く恒久的な停戦へ
またそして、この1年を振り返り、大きな痛みと共に思い起こさざるを得ないのは、ウクライナ戦争、ガザ戦争です。ロシアとウクライナの戦争はいまだ停戦へ至ることなく、続けられています。ガザでのイスラエル国とハマスの戦争は10月10日から停戦が発効されていますが、イスラエル軍による違法な爆撃が続けられています。ガザおよびパレスチナ全土で行われ続けているのは、イスラエル国によるパレスチナ人へのジェノサイドです。イスラエルが一刻も早く、パレスチナの人々への虐殺を止めるよう強く求めます。
また、ガザ地区でも大雨による洪水が発生し、人々が避難生活を送るテントや仮設避難所に大きな被害が出ていることが昨日のニュースで報道されていました。大変心配です。
今年は敗戦から80年の年でもありました。戦争の記憶を受け継ぎ、平和への祈りを新たにした年でした。ウクライナ戦争、ガザ戦争が、一刻も早く恒久的な停戦へと至りますように、これ以上かけがえのない命が傷つけられ失われることがありませんよう、切に願います。
私たちの前にある、喜ぶことが難しい現実
先ほど、本日アドベント第3主日は「喜びの主日」だと申しました。しかし、私たちの前には様々な、喜ぶことが難しいような現実があります。命と尊厳がないがしろにされている、悲しい、荒れ野のような現実があります。そのような中、私たちはいかにしてクリスマスの喜びを受け止めていったらよいのでしょうか。
クリスマスになると、世界中の人々が盛大にお祝いをします。クリスマスは私たちにとって、「喜びの日」であるからです。しかしクリスマスは、「悲しいことは忘れて、いまは楽しくやりましょう」という意味での喜びの日ではありません。もちろん、クリスマスを大いに楽しむこと、喜ぶことは大切なことですが、悲しいことや辛いことを忘れて無理に楽しもうとすることはクリスマスにふさわしい在りかたではないでしょう。むしろ、私たちの心の中にある悲しみや痛みを見つめる中で与えられる喜びが、聖書が語るクリスマスの喜びであると思います。
クリスマスの喜びの前提としてあるのは、私たちの悲しみの現実、痛みに満ちた現実です。喜ぶ気持ちになれない人に対してこそ、クリスマスの喜びは語りかけられています。すでに喜んでいる人々に対してというより、いまは悲しんでいる人に対して語られているのが、聖書が語るクリスマスの喜びであることをご一緒に心に留めたいと思います。
イザヤ書40章より ~《慰めよ、わたしの民を慰めよ》
先ほど礼拝の中で旧約聖書(ヘブライ語聖書)のイザヤ書40章を読んでいただきました。アドベントの時期によく読まれる言葉です。改めて、冒頭の1-3節をお読みいたします。
《慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。/エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。/呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。…》。
このイザヤ書の言葉の背景にあるのは、「バビロン捕囚」という出来事です。当時強大な大国であったバビロニアによって、イスラエルの南ユダ王国は滅ぼされました。一部の人々はバビロニアに強制的に移住されられました。紀元前6世紀に起こったこの出来事は、イスラエルの人々が経験した最も大きな民族的悲劇となりました。
捕囚状態になって実に50年近く経ったある時、イスラエルの民の心に向かって語られたのが、このイザヤ書の預言の言葉です。《苦役》の時は、もはや終わった。あなたはその苦しみから解放される。この預言の言葉の通り、その後、イスラエルの民は実際にバビロニアでの捕囚状態から解放されることになります。このイザヤ書の喜びの知らせもまた、いま苦難の中にいる人々、悲しみの中にいる人々に対して語られたものであることが分かります。
洗礼者ヨハネ ~「荒れ野に道を備えよ」
このイザヤ書の言葉と深いつながりがある新約聖書の人物として、洗礼者ヨハネがいます。洗礼者ヨハネは、イエス・キリストが公の活動を始めるより先に、ヨルダン川にて人々に「悔い改めの洗礼(バプテスマ)」を授ける活動をしていた人です。
本日の聖書箇所の一つマルコによる福音書はこのように記します。《預言者イザヤの書にこう書いてある。/「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。/荒れ野で叫ぶ者の声がする。/『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」/そのとおり、/洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた》(マルコによる福音書1章2-4節)。
神のために「荒れ野に道を備えよ」という先ほどのイザヤ書の言葉が引用されていますね。イザヤ書においてその「道」とは、イスラエルの民の捕囚の《苦役》からの解放と帰還の道を意味していました。マルコによる福音書においては、すべての人のためのイエス・キリストの救いと平和の「道」として新しく解釈し直されています。洗礼者ヨハネはその「道」を準備する者として位置づけされているのです。
神の真理と正義の道
ヨハネが準備したイエス・キリストの道。その道とは、神の真理と正義の道であると本日はご一緒に受け止めてみたいと思います。先週の礼拝メッセージの中で、神の真理とは、「神さまの目から見て、一人ひとりが、価高く貴い存在である(イザヤ書43章4節)」ということ。神の正義とは、「尊厳がないがしろにされることを、神は決しておゆるしにならない」ことであるとお話をしました。この地に、神の真理と正義を実現するべく来てくださる方、この世界にまことの平和とその喜びをもたらすために来てくださる方、その方がイエス・キリストです。イエスさまはそのご生涯をかけて、その命を懸けて、この世界に真理と正義の道を示してくださいました。いまも示し続けて下さっています。
私たちの近くに遠くに、命と尊厳がないがしろにされている荒れ野のような現実があります。その現実の中にあって、私たち一人ひとりにもまた、洗礼者ヨハネのように、キリストの道を整え、その道筋をまっすぐにする役割が託されていることをご一緒に心に留めたいと思います。
《荒れ野で叫ぶ者の声がする。/『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』》。
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