2018年7月1日「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」

201871日 花巻教会 創立記念礼拝説教

 聖書箇所:ローマの信徒への手紙1215

喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい

 

 

ローマの信徒への手紙1215節《喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい

 

 

 

創立記念礼拝 ~110周年を覚えて

 

本日はご一緒に創立記念礼拝をおささげしています。花巻教会はバプテストの教会として、19087月に創立されました。ちょうど今年で110周年になります。これまでの歩みが神さまと多くの方々によって支えられてきましたことを感謝するとともに、教会のこれからの歩みのために、共に祈りを合わせてゆきたいと思います。

 

ちなみに、花巻教会が創立された19087月をインターネットで調べてみると、第一次西園寺内閣が総辞職し、第二次桂内閣が成立した月であったようです。また同月にはロンドンオリンピックが開催されていました。19087月に誕生した著名な人物としては、日本画家の東山魁夷氏(~1999年)、指揮者の朝比奈隆氏(~2001年)がいます。

 

秋(11月)には創立110周年を記念する講演会も予定しています。現在、110周年記念事業実行委員の皆さんと話し合っている最中です。『宮沢賢治とクリスチャン 花巻篇』(雜賀編集工房、2015年)の著者である雜賀信行さんを講師にお招きする予定です。宮沢賢治とキリスト教について、花巻教会の先達とのつながり等について、お話しいただきます。

 

賢治さんの生家の近くには当時、花巻教会の信徒の方々が住んでおり、親しい交流があったと聞いています。賢治さんは幼い頃、信徒の方々から賛美歌を教えてもらったりしていたそうです。青年の頃は、キリスト教関係の本を信徒の方から借りて、熱心に読んでいたとのことです。また、『宮沢賢治とクリスチャン』という本によりますと、賢治さんは少なくとも2回、花巻教会を訪れたことがあるとのことです(当時の花巻教会の会堂はここ仲町ではなく、吹張町にありました)。

また皆さんにも近々講演会のお知らせできるかと思います。ぜひ楽しみにお待ちください。

 

 

 

花巻教会の歩み ~2008年から2018年まで

 

 現在、110周年記念事業実行委員会の皆さんで分担して、この10年間の年表の作成もしています。100周年を迎えた2008年から今年2018年の10年間の年表です。この10年の間、私たち花巻教会においてもさまざまなことがありました。

 

20113月には東日本大震災と原発事故が起こりました。2013年には牧師の交代がありました。前任の山元克之先生はこの花巻教会を20064月から20133月まで牧会くださいました。

 

この10年の間に、新しい生活の地へと旅立ってゆかれた方々もいます。神さまのもとへ召された方々もいらっしゃいます。この10年間、私たちは幾人もの愛する方々を神さまのもとにお送りしました。深い悲しみを経験すると共に、大きな喜びもまた与えられました。受洗者が起こされ、新しく教会に集う方々も与えられました。さまざまな別れがあり、出会いがありました。

 

私たちがどこにいようとも、私たちはいつも主によって結ばれているということを心に留めつつ、これからも共に歩んでゆきたいと思います。

 

 

 

2018年度主題聖句《喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい

 

私自身は20134月に花巻教会に赴任し、今年6年目となりました。神学校を卒業して初めての任地であり、牧師としての働きも初めてでいまだ手探りの状態で進む中、皆さんにさまざまに支えていただき、歩んでこられたことを感謝しております。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

 

牧師として働きはじめて6年、この数年間を通して心に刻まれていった御言葉が、本日の聖書箇所の《喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい(ローマの信徒への手紙1215節)でした。今年度の花巻教会の主題聖句ともなっている言葉です。牧師として働く中で、折に触れこのみ言葉を想い起こしています。

 

牧師としての喜びは何かと考えたときに、教会に集う方々と喜びも悲しみも共にする経験をさせていただいていることが、自分にとっての喜びであると感じています。

 

思い起こすのは、牧師になることをまだまったく考えていなかった20代前半の頃のことです。20代前半の頃、独り部屋に閉じこもって、文章をばかり書いていた時期がありました。どうしても伝えたいことがあって小説や詩や論文を執筆していたのですが、他者との関わりが希薄なそれら生活は、自分にとって大変辛いものでもありました。

 

その頃の苦しい心境を思うとき、いまこうしてたくさんの方々と関わる仕事をできていること自体が喜びであり、有り難いことだと思っています。このことによって私自身も生かされ、支えられているのだと感じています。

 

 

 

個人的な経験 ~人と関わることへの願い

 

10代や20代の頃は、自分は、人と関わるのはどちらかというと苦手だと思っていました。なかなか自分の想いや考えを人にうまく伝えることができない、というもどかしさをずっと感じ続けていました。口ではどうもうまく言えないけれども、しかし文章なら――時間をかけて言葉を整えれば、自分の想いや考えを少しは人に伝えることができるかもしれないと想い、自分なりに文章を書き続けていました。と同時に、人と関わることへの願い、渇望のようなものは、その頃からずっと自分の内にあったような気がします。

 

そのような中、何人かの友人がこのようなことを言ってくれたことがありました。「鈴木君は文章もいいけれど、こうして話しているときのほうが、自分が言ってほしい言葉を言ってくれる」。一対一で話をしているときに、ふと、このように言ってくれる友人がいたのです。

 

友人たちの言葉は、私にとっては意外に思える言葉でした。私自身は、人と直接コミュニケーションをするのは苦手だと思っていたからです。しかし人の話を聴くのは好きだし、直接人とコミュニケーションをすることも、少しは自分にもできるのかもしれない、と徐々に思うようになりました。

 

友人たちの言葉をきっかけに、少しずつ、直接人に関わることにも関心が湧いてくるようになりました。文章にして伝えるのもいいけれど、いま目の前にいる人と同じ場を共にして伝えることもいいな、と。直接伝えるからこそ、伝わるものもあるのではないか、とも思うようになりました。けれども、そのときはまだ、牧師になりたいとはまったく思ってもいませんでした。

 

牧師になろうと思ったきっかけは、友人がそう勧めてくれたからです。2008年のある時、一人の友人が、「ずっと話そうか迷っていたけど、鈴木君は牧師なったらいいと思う」と言ってくれたことがありました。言われた瞬間、その言葉が、ストンと腑に落ちました。「ああ、そうなのか」と納得した気持ちになりました。心の深いところでずっと願い続けていたことを具体的に実現する道筋が、目の前に示されたように感じたのです。この一言をきっかけにして、私は自分が牧師になる道を考えるようになりました。

 

そうして翌年、神学校に3年次編入で入学し、4年間の学びを経た後――この時期に、妻との出会いも与えられました――、初めての任地としてこの花巻教会に派遣されました。

 

 

 

神の愛を互いに伝えあう ~共に喜び、共に泣くことを通して

 

20代の頃に部屋に閉じこもって文章を書いていたときも、牧師として働いている現在も、伝えたいことは変わっていません。大切な人々に伝えたいとずっと願って来たこと、それは、「あなたが、あなたそのもので、あって、よい」という福音です。神さまの目から見て、一人ひとりの存在がかけがえなく貴いのだ、という福音です。

 

旧約聖書のイザヤ書434節に「わたしの目にあなたは価高く、貴い。わたしはあなたを愛している」という神さまの言葉があります。私たち一人ひとりがいま、神さまからそう語りかけられている、その福音の喜びを、神さまの愛を伝えたいという想いはずっと変わっていません。

 

 この神の愛を、文章を書くだけではなくて、私たちが実際に共に生きてゆくことを通して――共に喜び、共に泣くことを通して、互いに伝えあって行けることを願っています。

 

また、人と関わる経験が与えられている現在だからこそ、書ける文章もあるのかもしれない、とも思っています。いま改めて、自分なりの文章(小説と神学論文です)を再び書きはじめています。

 

 

 

主イエスのお姿に学び続け

 

本日の聖書箇所と関連し、本日は少し個人的なこともお話しいたしました。20代の頃の経験もあるので、《喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい》という御言葉の大切さを、その喜びを、日々実感しています。私自身、この言葉に支えられ、生かされているのだと感じています。創立110周年を迎えた今年、ご一緒にこの言葉を胸に、歩んでゆきたいと思っています。

 

イエス・キリストは生前、痛みや苦しみを抱える人々のところに自ら赴き、その痛み苦しみを共にしてくださいました。そのことを通して、人々に神さまの愛を伝えてくださいました。また復活した主イエスはいまも私たちと共にいてくださり、私たちと喜びも悲しみも共にしてくださっているのだと信じています。

 

慌ただしい生活の中で、私たちは気が付くと自分だけの力で生きているように感じてしまうものです。また、他者の痛み苦しみを感じる心を見失ってしまうことが多いものです。他者の喜びを共にする心が希薄になってしまうことが多いものです。そのような私たちであるからこそ、主のお姿に立ち還り、主のお姿に学び続けてゆきたいと思います。

 

どうぞ私たちが互いを痛みを受け止めあい、喜びも悲しみも分かち合ってゆくことができますように。私たちが自分自身を愛し、隣り人を愛し、神さまを愛する生き方を実現してゆくことができますように、共に祈りを合わせてゆきましょう。