2024年7月7日「「この道」を共に歩む」
2024年7月7日 花巻教会 主日礼拝説教
聖書箇所:ミカ書7章14-20節、ヨハネによる福音書5章19-36節、使徒言行録24章10-21節
熊本豪雨より4年、九州北部豪雨より7年、西日本豪雨より6年
先週7月4日、67人の方々が亡くなった熊本豪雨(2020年)から4年を迎えました。また、翌7月5日、九州北部豪雨(2017年)から7年、7月6日には西日本豪雨(2018年)から6年を迎えました。2021年7月には静岡県、神奈川県の各地で大雨による被害が発生、熱海市の伊豆山地区では大規模な土石流が発生しました。被災された方々、いまも困難や悲しみの中にいる方々を覚え、祈りを合わせてゆきたいと思います。
この10年ほど、毎年のように7月初旬から8月にかけて記録的な豪雨が発生しています。
困難の中にある方々の上に神さまのお支えを祈ると共に、私たちも引き続き、防災への備えをしてゆきたいと思います。
創立記念日
本日は花巻教会の創立を記念して礼拝をおささげしています。花巻教会が創立されたのは1908年7月21日です。内丸教会で開かれたバプテスト東北部会において、正式に伝道所として認められました。今年で創立116年になります。これまでの教会の歩みが、神さまと多くの方々によって支えられましたことを感謝するとともに、これからの歩みのために、共に祈りを合わせてゆきたいと思います。
祖父のこと
初めに少し私個人の話をいたしますと、私が花巻教会に赴任したのは2013年4月、今年で12年目となります。神学校の学長先生より推薦をいただいて、赴任しました。私は生まれは京都、育ちは大阪で、岩手に住むのは初めてでした。ただ、父方の祖父は仙台の出身でしたので、東北とまったくつながりがなかったわけではありません。
この父方の祖父は花巻教会とつながりがございます。祖父・鈴木正弘は広島の尾道市因島にある日本バプテスト同盟 土生バプテスト教会(尾道市因島土生町)の牧師をしていました。私も花巻教会に赴任してから初めて知ったことですが、祖父はまだ神学生であった1938年に、ひと夏の間、実習(夏期伝道実習)でこの花巻教会に来ていたようです。花巻教会に赴任した年、教会の記念誌の年表の中にたまたま祖父の名前を見つけ、びっくりしました。
また、この祖父の実習を機に、祖父と神学校の同級生であった鈴木實先生が花巻教会の3代目の牧師として赴任されたということも知りました。このことは、鈴木實先生の説教集に収録されたお連れ合いの鈴木レツさんの手記に記してありました。
《花巻バプテスト教会は一九〇八年(明治四一)創立され、一九三七年(昭和一二)四月に二代目の木村文太郎牧師辞任の後は無牧であった。その翌年夏期伝道に青山学院の神学生鈴木正弘氏の応援があったのを機に、役員奥山清氏が東京に川口教授を訪ねて牧師の推挙を依頼し、實にも会い、その卒業の日を待ったという》(『神に聴く 鈴木 實の宣教』、220頁)。
長らく花巻教会を役員としてお支え下さった奥山清さんは、若き日の祖父と会っていた、ということになります。それから70数年の時を経て、孫である私が花巻教会に赴任したということにも、何か不思議なつながりを感じております。祖父は私が小学生の時に天に召されましたが、私が牧師となって花巻教会に赴任したことを喜んでくれていることでしょう。
教団新生会教師会
6月24日(月)から26日(水)にかけて、教団新生会教師会が行われました。会場は、瀬戸内海の生口(いくち)島にある日本バプテスト同盟 瀬戸田バプテスト教会(広島県尾道市瀬戸田町)と周辺の島々。瀬戸内海の伝道、特に福音丸伝道の足跡をたどることが主題の一つでした。瀬戸田バプテスト教会牧師の石塚多美子先生より、福音丸ゆかりの教会や幼稚園をご案内いただきました。
福音丸とは、日本の瀬戸内海伝道のため、アメリカのバプテスト教会から寄付された船のことを言います。1899年に献船式が執り行われました。福音丸の最大の特質は、船自体が教会であることです。福音丸は、「動く教会」であったのですね。
1927年、福音丸は一度その働きを終えますが、戦後、再び伝道が開始されます。先ほどご紹介した私の祖父は、この戦後の福音丸の運営委員長をしておりました(戦後の福音丸は1982年まで活動)。今回の教師会は祖父の足跡をたどる旅ともなり、その意味においても、私にとってかけがえのない3日間となりました。この教師会についての詳細は先週の礼拝メッセージでもお話しました(先週礼拝に参加されていなかった方は、宜しければ教会ホームページの先週の礼拝メッセージをご覧ください)。
教団新生会というのは、プロテスタント諸教派の中のバプテストの伝統をもつ教会の集まりです。プロテスタントにはさまざまな教派がありますが、バプテストはそれらの教派の中の一つです。
バプテストの語源となっているのはギリシャ語の「バプテスマ」という言葉です。日本語に訳すと「洗礼」です。動詞のバプティゾーは元来、水に浸すという意味をもっている言葉です。新約聖書が記された時代、洗礼(バプテスマ)は川に全身を浸す「浸礼」の形式で行われていました。洗礼者ヨハネもヨルダン川で洗礼を行っていましたね。現在、多くの教会は洗礼を頭に三度水を振りかける滴礼の形式で行っていますが、バプテスト教会は「バプテスマ」の元来の意味を尊重して、いまも浸礼で行っています。講壇の奥の地下には洗礼槽(バプテストリー)があり、そこに水を張り、洗礼を受ける方は水の中に頭まで浸かります。スクリーンに映していますのは、花巻教会の洗礼槽です。
現在、教団新生会に属する教会・伝道所は日本全国で23あります。少数と言えば、少数ですね。岩手では、私たち花巻教会、内丸教会、遠野教会、新生釜石教会の4教会が教団新生会に属しています。
日本バプテスト連盟、日本バプテスト同盟、教団新生会
教団新生会に属する教会は少数ですが、バプテストの伝統をもつ教会は全国にたくさんあります。その中に、日本バプテスト連盟と日本バプテスト同盟があります。この二つと教団新生会は、もともとは同じグループでした(1918年、日本バプテスト教会 形成。1940年、日本バプテスト教団 設立)。
1939年、諸宗教を合同させ、国家の管理下に置くことを目的とした法である宗教団体法が公布されました。この宗教団体法の施行を直接の契機として、1941年6月24日、34のプロテスタント諸教派が合同した日本基督教団が成立しました。その際、バプテストの伝統をもつ諸教会も日本基督教団に合同しました。
戦後、バプテストの教会の中では日本基督教団から離脱する選択をした教会と、とどまる選択をした教会とに分かれました。離脱することを選択した教会が設立した(1947年)のが、先ほどご紹介した日本バプテスト連盟です。日本基督教団にとどまることを選択した教会は日本基督教団 新生会を形成しました(1948年)。
後者の日本基督教団 新生会はその後、さらに二つのグループに分かれます。日本基督教団から離脱することを選択した教会は、日本バプテスト同盟を設立し(1958年)、現在に至っています。日本基督教団にとどまることを選択した教会は教団新生会を結成し、現在に至っています(1959年)。口頭の説明ではちょっと分かりづらいかと思いますが、先日の6月24日から26日にかけて開かれた集まりというのは、この教団新生会の集まりであったわけですね。
私の祖父は、日本基督教団から離脱し、日本バプテスト同盟を設立する選択をした一人でした。私たち花巻教会は、教団に残る選択をした教会の一つです。歴史のある時点で異なる選択をしましたが、もともとは同じバプテスト教会であり、同志であったことを心に留め続けていたいと思います。
今後は教団新生会の諸教会のみならず、もとは同じグループであった日本バプテスト連盟、日本バプテスト同盟の諸教会の皆さまとも、交流を深めてゆけたらと思っております。
《この道》
メッセージの冒頭で使徒言行録24章10-21節をお読みしました。使徒言行録はイエス・キリストが復活して天に挙げられた後の、弟子たちの言行(言葉と振る舞い)を記録した書です。残された弟子たちの働きを通して、キリスト教がどのように誕生していったかが描かれています。ですので、使徒言行録を読みますと、最初期のキリスト教がどのようなものであったかを伺い知ることができます。
たとえば、本日の聖書箇所の少し前のところには、誕生して間もない頃のキリスト教が一部の人々から《ナザレ人の分派》と呼ばれていたことが記されています(24章5節)。ナザレ人とは、ナザレ出身のイエス・キリストのことを指しています。当時、キリスト教はあくまでユダヤ教の《分派》とみなされていたのですね(24章14節も参照)。ユダヤ教徒の人々からすると、誕生して間もないキリスト教は、「ナザレのイエスを救い主(=キリスト)として信じる」おかしな《分派》として見えていたのでしょう。
本日の聖書箇所を読みますと、誕生して間もない頃のキリスト教は、自分たちのこと《この道》と形容することがあったことが分かります。24章14節をお読みいたします。使徒パウロが総督フェリクスという人物の前で弁明をした際の言葉です。《しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています》(他に9章2節、19章9節、23節、22章4節、24章14節、22節など)。
《この道》という言葉で自分たちのことを言い表しているのが印象的ですね。当初は小さなグループであったキリスト教はその後世界各地に広まり、現在は世界宗教の一つとなっています。けれども、イエス・キリストの教えは、「宗教」である以前に「道」であると受け止めることもできます。イエス・キリストを信じることは、イエス・キリストが体現してくださっている神さまの愛と真理の道を歩むこと。具体的には、日々の生活の中で「互いに愛し合う」(ヨハネによる福音書13章34節)という掟を実行してゆくこと。その歩みを通して、私たちは神のもとに至ることを聖書は語っています。その意味で、キリスト教は、キリスト「教」ではなくキリスト「道」と表現した方が良いのではないかと言う人もいます。
「この道」を共に歩む
旧約聖書(ヘブライ語聖書)のイザヤ書に、「わたしの目にあなたは価高く、貴い。わたしはあなたを愛している」という言葉があります(43章4節)。神さまの目から見て、一人ひとりが、かけがえなく貴い存在であることを伝える言葉です。イエス・キリストは、この神さまの愛と真理とを私たちに伝えてくださいました。いまも伝え続けてくださっています。
「かけがえがない」とは、「替わりがいない」ということです。あなたという存在の替わりになる人は、誰一人いません。だからこそ、神さまの目に、あなたは大切な存在であるのです。
神さまが私たちをかけがえのない存在として大切にしてくださっているように、私たちも互いを大切にして生きてゆくこと――これが、イエス・キリストの「道」です。この愛と真理の道を共に歩むようにと、私たち一人ひとりが招かれています。
創立記念礼拝をささげるにあたって、「この道」を共に歩む想いをご一緒に新たにしたいと願います。