2021年10月31日「初めから聞いている教え」
2021年10月31日 花巻教会 主日礼拝説教
聖書箇所:創世記4章1-10節、マルコによる福音書7章14-23節、ヨハネの手紙一3章9-18節
「初めから聞いている教え」
降誕前第8主日礼拝、宗教改革記念日
本日はご一緒に降誕前第8主日礼拝をおささげしています。降誕前節は聖書の言葉に学びつつ、イエス・キリストのご降誕に向けて準備をする時期です。
また本日10月31日は、キリスト教では「宗教改革記念日」にあたります。10月31日というと、日本ではハロウィンを思い浮かべる方が多いことでしょう。クリスマス前のイベントとして私たちの社会でもすっかり定着していますね。ハロウィンはキリスト教由来の行事ではなく、古代ケルトを起源とするお祭りです。もちろん、ハロウィンを楽しむことは何ら悪いことではありません。かぼちゃをくりぬいてお化けかぼちゃ(ジャック・オー・ランタン)を作ったり、皆で仮装したりするのは楽しいですよね。と同時に、キリスト教にとっては――特にプロテスタント教会にとっては10月31日は宗教改革を記念する日であると記憶しておくことも必要でしょう。
いまから504年前の1517年10月31日、宗教改革者のマルティン・ルターが「95か条の提題」と呼ばれる文書を発表しました。ローマ・カトリック教会が「贖宥状(免罪符)」を発行したことなどに対して問題を提起した書です。伝承では、ルターはこの「95か条の提題」をヴィッテンベルクの城教会の門の扉に貼り出したと言われています。ルターのこの問題提起は印刷され多くの人の手に渡り、ドイツ全域で大きな反響を呼び起こしてゆくこととなります。このルターの問題提起をきっかけの一つとして、ヨーロッパで同時多発的に本格化してゆくのが宗教改革運動です。この改革運動によって、カトリック教会から様々なプロテスタント諸教派が分離してゆくこととなりました。プロテスタント教会は宗教改革が本格化するきっかけとなったルターの「95か条の提題」が発表された日として、今日10月31日を記念日にしているのですね。
ちなみに、ルター自身は当初、新しい教派を作る意図はなく、贖宥状について神学的な討論の場を持ちたいとの理由で提題を発表したようです。しかし、「95か条の提題」はルターの当初の意図を超えて、大きな反響を呼び起こしてゆくこととなりました。ルターも自分の提題が呼び起こした反響の大きさに驚いたことでしょう。
ルターの宗教改革とペスト
宗教改革に関し、とても興味深い本を読みましたので、ご紹介したいと思います。石坂尚武氏著『どうしてルターの宗教改革は起こったか[第2版]――ペストと社会史から見る――』という本です(ナカニシヤ出版、2021年。第1版の出版は2017年)。石坂氏は中近世のヨーロッパのペスト(黒死病)の歴史を研究している方です。ヨーロッパでは14世紀の初頭からペストが猛威を振るうようになりますが、ペストによる苦難がルターの心と思想にいかに影響を与えたかを論じた本です。ルターの宗教改革をペストと社会史の視点から捉え直すことを試みた本で、新型コロナのパンデミックを経験したいま、大変興味のある主題ですよね。
ルターが生きたのは15世紀末から16世紀半ばにかけてです。ルター自身、その生涯の中で何度もペストの危機に直面したそうです(同書、6~7頁)。1505年にドイツのチューリンゲン地方をペストが襲った際には、愛する弟二人を失う経験もしています(80~81頁)。石坂氏によると、当時のドイツの各都市において、壮年期や老年期まで生きた人の場合、その生涯の間におよそ5~7回(あるいはそれ以上の頻度で)、直接的・間接的にペストの流行を経験していたことになるそうです(68頁)。短くて5年周期、長くても10年周期で訪れるペストの苦難。人々が感じた恐れと不安、社会に与えたその影響はいかばかりのものだったことでしょう。私たちはこの度、2年近くに渡って新型コロナによる困難を経験しているわけですが、もしもそのような非常事態がこの先も何度も周期的に繰り返されるとしたら……恐ろしい心持ちになりますね。
ヨーロッパにおいてペストが収束したのは18世紀初頭です。1720~21年にかけて南フランスのマルセイユで発生したペストがヨーロッパの最後のペストとなったと言われています(8頁)。ペストが発生した14世紀初頭から、実に4世紀にわたって、西欧諸国はいわゆる「ペスト禍」の中にあったのだと言えます。石坂氏はこの4世紀を「ペスト期」と呼んで他の時代と区分しています。《ペストの被害ぶりは当時の戦争以上に悲惨なもの》(9頁)であり、社会そのものがダメージを受けたのだ、と。確かに、ペストが当時の人々に与えた影響は、現代を生きる私たちの想像を絶するものがあるでしょう。
ちなみに、ペストの原因が特定されたのはずっと後の1894年のことです。北里柴三郎氏とアレクサンドル・イェルサン氏の顕微鏡を用いた研究によりペスト菌が発見され、500年以上にわたって不明であり続けたペストの原因がようやく特定されました。
《峻厳な神》への変貌
『どうしてルターの宗教改革は起こったか』という本で興味深いのは、ペストの苦難が当時の人々の神のイメージに影響を与えたと分析しているところです。著者の石坂尚武氏は「ペスト期」は人々に厳格な神のイメージ(《峻厳な神》の意識)をもたらしたと述べています(27~30頁)。それ以前の時代(12~13世紀)、人々がイメージしていた神は《慈愛深い、愛に満ちた穏やかな神》であり、《善き神》でした(32頁。ドイツの研究者P・ディンツェルバッハーの言葉の引用)。それが、「ペスト禍」の中で、突然神はそのお姿を一変された。怒る神、自分たちを罰する神、《峻厳な神》として変貌し、自分たちの前に立ち現れたかのように当時の人々は感じたのですね。
中世末期・近世の時代を生きた人々は、ペストの苦難は神の怒りによるものだと受け止めていました。ペストの原因も特定されることはない中、自分たちのこの苦しみは「神の罰である」との意識が生じていたのです。そして若き日のルターもこの同時代の意識を共有していた、と石坂氏は分析しています。その《峻厳な神》への恐れが、ルターの宗教改革を刺激する主要な要因の一つとして作用したのではないか、と(30頁)。興味深い分析ですね。
ルターはその後、恐れと不安から解放される救いの道筋を聖書(パウロの手紙)の中に再発見し、その福音理解を土台として宗教改革運動にまい進し、多くの人々からの支持も得てゆくわけですが、その背後にペストの深刻なる影響があったかもしれないことを踏まえると、ルターの宗教改革がまた新たな一面をもって立ち現れて来るような気がいたします。
「コロナ禍」を経験して思うこと
いま、中世末期・近世の時代を生きた人々は、ペストの苦難は神の怒りによるものだと受け止めていたと述べました。これは当時の人々にとって切実なる感覚であったと思いますが、いまを生きる私たちはもはやそのような受け止め方をする必要はありません。ペストや新型コロナウイルスなどの感染症は決して、神の怒りによるものでも、罰なのでもありません。神さまはいま困難の中にある人々と共に苦しみ、共に涙を流してくださっているのだと信じています。
そのことを心に留めた上で、私たちには問われていることもあるでしょう。困難の中で、どういう姿勢で生きてゆくか、生活してゆくか、ということです。
ここ1か月ほど、全国的に新型コロナの感染はかなり落ち着いた状況にあります。ウイルスの感染拡大・収束のメカニズムについても、また新たなことが分かり始めています。このまま状況が沈静化へと向かうことを切に願うものですが、この2年近くの「コロナ禍」を経験して改めて私が思わされていることは、非常時だからこそ、人間としての尊厳を失わないことが大切であるということです。隣人愛の精神にしっかりと立とうとすることが大切だということです。切迫した状況にあるとき、私たちはつい尊厳についての感受を見失ってしまうものですが――人として当たり前の権利が失われても仕方がないと――、困難の中にあって尊厳についての感覚と隣人愛の精神を失わないことの大切さを思わされています。
「神さまの前で、隣人と共にいかに生きるか」という問い
先ほど、ルターはその生涯の中で何度もペストの危機に直面したと述べました。「95か条の提題」を発表してから10年後の1527年には、当時住んでいたヴィッテンベルクでペストが流行し、ルターもその脅威に直面しました。その年、ルターはいわゆる「ペスト書簡」と呼ばれる公開書簡を執筆しています(正式名称:『人は死から逃れることができるのかどうかについて』)。「キリスト者はペストから逃げてよいかどうか」を問われ、ルターなりの考えを記した手紙です。文中には《不要不急の外出を避け、人に会うのも避けなさい》という、コロナ禍を経験した私たちにとってなじみの深い(?)表現もあります(多田哲訳、『ルター研究 第17巻 特集〈宗教改革と疫病〉』所収、ルター研究所、2021年、22頁)。
ペストに直面したとき、キリスト者は逃げてよいのか、逃げてはいけないのか――。このルターの手紙で印象的なのは、この難しい問いに対してルターが単純な「イエス」か「ノー」かで回答していない点です。ルター研究者の宮本新氏は、ここでは《逃げるか否かの単純化は脇へ押しやられて、問いそのものが変更を余儀なくされている》と述べています。それぞれ、置かれている状況は異なっているのであり、逃げることが許されるかどうかは本質的な問いではないのだ、と。説教者や牧師、市長や裁判官などの責任を負っている人々はとどまるべきだとは述べられていますが、それも各自が置かれている状況によって異なることも慎重に付け加えています。突き詰めていうと、逃げても逃げなくても、私たちが神さまから問われていることは変わらない。それは、信仰と愛について、です(参照:宮本新『ルターの「ペスト書簡」を読む』、『ルター研究 第17巻 特集〈宗教改革と疫病〉』所収、35-59頁)。「ペスト書簡」においてルターは、この「ペスト禍」の苦難の中で、キリスト者一人ひとりが「神さまの前で、隣人と共にいかに生きるか」が問われているのだと語っています。
私たちもこの度の「コロナ禍」において、様々な難しい問いに直面しました。「イエス」か「ノー」かで簡単に答えられない難しい問いに直面しました。様々な受け止め方の違い、考え方の違いにも直面しました。しかしたとえ置かれた状況や考え方は違ったとしても、私たちにとって、大切なことは変わらないのでしょう。それは、ルターが述べる「神さまの前で、隣人と共にいかに生きるか」ということです。私なりに言い換えますと、神さまを大切にし、自分を大切にし、隣人を大切にして、いかに神の目に尊厳ある存在として生きてゆくことができるかということです。私たちはいかなる状況にあったとしても、神さまと自分自身と隣人とを大切にし、尊厳ある生を送ることをあきらめてはならないでしょう。
《初めから聞いている教え》 ~互いに愛し合いなさい
礼拝の中で、新約聖書のヨハネの手紙一3章9-18節を読んでいただきました。その中に、《初めから聞いている教え》との文言がありました。この《初めから聞いている教え》とは、「互いに愛し合いなさい」というキリストの掟のことを指しています。
3章11-12節《なぜなら、互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えだからです。/カインのようになってはなりません。彼は悪い者に属して、兄弟を殺しました。…》。
創世記のカインとアベルの物語(創世記4章1-10節)を引き合いに出しつつ、「互いに愛し合う」姿勢を堅持することの大切さを語っています。《子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう》(ヨハネの手紙一3章18節)。
時代が違っても、立場や考え方が違っても、私たちにとって「互いに愛し合う」ことの大切さは変わりません。そしてこの掟は、イエス・キリストが命をかけて伝えてくださった掟です(16節)。この愛の掟はいまも、私たち一人ひとりの内に刻まれています。
たとえ困難の中にあっても、いや、困難の中にあるからこそ、互いに尊重し大切にしあうための道、一人ひとりが神の目に尊厳ある存在として生きてゆくことができる道をご一緒に祈り求めてゆきたいと願います。