2021年12月19日「神に栄光、地には平和」

20211219日 花巻教会 クリスマス礼拝説教・教会学校と合同

聖書箇所:イザヤ書91節、56節、テトスへの手紙347節、ルカによる福音書2120

神に栄光、地には平和

 

 

クリスマス礼拝

 

 本日はご一緒にクリスマス礼拝をおささげしています。クリスマスは、皆さんもよくご存じのとおり、イエス・キリストの誕生を記念し、礼拝をささげる日です。日付としてはクリスマス当日はまだですが、日曜日である今日、多くの教会がクリスマス礼拝をささげています。

 

 クリスマスは「イエス・キリストの誕生日」と言われることがあります。正確には、「イエス・キリストの誕生を記念する日」です。イエス・キリストが1225日に生まれたかどうかは聖書には書いておらず、イエス・キリストが実際にいつお生まれになったのかははっきりとは分からないからです。いまから1700年くらい前の紀元3世紀頃、イエス・キリストがいつ生まれたのかを決める必要が出て来て、様々な経緯を経て、325年に開かれた教会の会議(ニカイア公会議と呼ばれます)にて「1225日」をクリスマスにすることが正式に決定されました(参照:クリスマスおもしろ事典刊行委員会編『クリスマスおもしろ事典』、日本キリスト教団出版局、2003年、17頁)。いずれにせよ、イエスさまがこの世界に来て下さったことを記念する大切な日が、このクリスマスです。

 

 クリスマスは英語でChristmasと書きます。この単語を途中で区切ると、Christという言葉が浮かび上がってきます。Christmas Christ(キリスト)とMass(ミサ)の語が合わさって出来ている言葉です。私たちはいま、イエスさまの誕生を記念し礼拝をささげるために教会に集まっています。

 

 

 

クリスマスのメッセージ ~この地上に平和を

 

クリスマスの大切なメッセージの一つとして、「平和」があります。イエス・キリストは私たちの世界に平和をもたらすため、この世界に来て下さったのだとキリスト教は受け止め続けてきました。

 

先ほどお読みしたルカによる福音書の中に、次の言葉がありました。《すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカによる福音書21314節)

夜通し羊の群れの番をする羊飼いたちの前に天使が現れ、イエス・キリストが誕生したことを告げる場面での言葉です。突然の天使の出現に驚く羊飼いたちの頭上で、天使たちの大群は高らかに歌いました。《いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ》。

前半部では「天の神さまに栄光がありますように」と謳われ、後半部では「この地上に平和がありますように」と謳われています。私たちの間に、私たちの生きるこの世界に平和がありますようにと謳われているのです。

 

「この地上に平和を」――。これは、キリスト教徒であるか否かを超えた、クリスマスの普遍的な(すべての人に共通の)メッセージであると言えるでしょう。

 

 

 

平和とは「一人ひとりが大切にされること」

 

改めて、平和とは、私たちにとってどのようなものでしょうか。

「平和」の反対語として、一般に、「戦争」を思い浮かべることが多いと思います。戦争がない状態、それが平和であるということができるでしょう。

と同時に、平和は戦争がない状態だけを指すものではありません。国と国との間に戦闘行為が生じていない場合でも、平和ではない状態というのは起こり得ます。たとえば、誰かが誰かにいじわるをし、その心と体を傷つけている状況があったとしたら、それは平和ではない状況ですね。ある人が周囲から誹謗中傷や差別を受けて苦しんでいるとしたら、それも、平和ではない状態です。そのように、私たちの近くに遠くに、平和ではない状態は生じています。たとえ戦争は起こっていなくても、私たちは普段、様々な場面において平和ではない状況に直面していると言えます。

 

そのことを踏まえますとき、平和とはただ戦争がない状態を意味するだけではなく、より積極的に、「一人ひとりが大切にされること」を意味する言葉であると受け止めることができます。一人ひとりが大切にされること、一人ひとりの生命と尊厳が尊重されること、それが平和の意味するところです。

もしも誰かが大切にされず、軽んじられている現実があるならば、そこには平和はありません。一人ひとりの生命と尊厳とがおびやかされている現実があるならば、そこでは、平和は見失われてしまっています。

 

 

 

イエス・キリストのメッセージ ~神の目から見て、一人ひとりが、かけがえなく貴い

 

 いま、「尊厳」という言葉を用いました。少し難しい言葉ですが、私たちにとってとても大切な言葉です。尊厳とは、言い換えれば、「かけがえのなさ」ということです。私たち人間には尊厳がある、それは、私たち人間は「かけがえのない=替わりがきかない存在である」ということ。だからこそ、大切な存在であるのです。

 

イエス・キリストが私たちに伝えてくださっているメッセージがあります。それは、「神さまの目から見て、私たち一人ひとりの存在が、かけがえなく貴い」ことです。神さまの目から見て、一人ひとりが、かけがえなく大切であること、神さまは私たち一人ひとりを大切にしてくださっていることをイエスさまは伝えてくださっています。  

一人ひとりの存在は、かけがえがないものである。尊厳のある、替わりがきかないものである。この私自身も、私の周りにいる一人ひとりも、尊厳ある、替わりがきかない存在である。このことを私たちが心に刻み込むところから、少しずつ、平和が創り出されてゆくのだと信じています。

 

 

 

《御心に適う人》 ~平和を実現する使命

 

クリスマスの大切なメッセージの一つとして、「平和」があること、イエスさまはこの地上に平和をもたらすために来て下さったことを述べました。平和とは一人ひとりが大切にされることであり、神さまは私たち一人ひとりをかけがえのない存在として大切にしてくださっていることをお話ししました。そのように、神さまが私たちを大切にしてくださっているように、私たちもまた互いを大切にすること、それが神さまの願いです。

 

 天使の歌の後半部《地には平和、御心に適う人にあれ14節)の《御心》とは、この神さまの願いのことを指しています。神さまが私たちをかけがえのない存在として大切にしてくださっているように、私たちも互いを大切にし合うこと。この神さまの願いをしっかりと心に留め、日々の生活の中で実行しようとする人、それが《御心に適う人》です。私たち一人ひとりには、イエスさまの後に従い、この地に平和を実現する使命が与えられています。

 

 

 

それぞれの生活の場で ~主の弟子として

 

 礼拝の中で読んでいただいた旧約聖書のイザヤ書の中に次の言葉がありました。伝統的に、イエスさまの誕生について預言しているとされてきた箇所です。《ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。/その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる(イザヤ書95節)

 最後のところでは、お生まれになった赤ん坊は《平和の君》と呼ばれています。ここでも、イエスさまはこの地上に平和をもたらすために来てくださった方であることが告げられています。イエスさまは、この地に平和を実現するため、私たちのもとに来てくださった《平和の君》、救い主。私たち一人ひとりは、その主の後に従って歩もうとする弟子たちです。

 

いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ》。神さまの栄光のため、この地上に平和を実現するため、それぞれの生活の場で、自分にできることをしてゆきたいと願います。どうぞ私たちが自分を大切にし、隣人を大切にし、そして神さまを大切にする道を共に歩んでゆくことができますように。

 

ここに集った皆さんの上に、またご事情によってここに集うことが叶わなかった皆さんの上に、クリスマスの恵みが共にありますようにお祈りいたします。