2021年5月16日「天に上げられたキリスト」

2021516日 花巻教会 主日礼拝

聖書箇所:ルカによる福音書244453

天に上げられたキリスト

 

 

 

緊急事態宣言が9都府県に拡大、パレスチナのガザ地区での戦闘が激化

 

本日から、新たに北海道、岡山県、広島県の3道県が緊急事態宣言の対象となります。期間は本日から今月末までです。これにより、緊急事態宣言は9都道府県に拡大されることとなりました。また本日から群馬県、石川県、熊本県の3県がまん延防止等重点措置の対象地域となり、計10県が対象の地域となっています。全国的に変異株が急激に拡大しており、大変心配ですね。どうぞ一人ひとりの健康と生活とが守られますよう、引き続き、祈りを合わせてゆきたいと思います。

 

また国外では現在、中東のパレスチナ自治区ガザ地区において戦闘が激化していることが報道されています。ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスがロケット弾を発射したことへの報復として、イスラエル軍が10日より空爆を始め、一昨日からは地上部隊による攻撃を開始しました。ガザ地区では子どもを含む市民の死傷者が多数出ているとのことで、心が痛みます。

 

 ガザ地区はヨルダン川西岸地区とともにパレスチナ自治区の行政区画となっている地域です。これまでもガザ地区においてはイスラエル軍との紛争が繰り返されてきましたが、ここ数日でまた再びハマスとイスラエル政府との対立が激化しています。

 

ガザはパレスチナの最南に位置しており、旧約聖書の時代にはペリシテ人たちが住む都市国家でした。旧約聖書の士師記のサムソンの物語などでもガザが登場します。聖書の舞台でもあるパレスチナ地域で紛争が絶えないことは、まことに心が痛みます。空爆が即時に停止され、これ以上罪のない市民の方々が傷付くことがないように切に願うものです。

 

 

 

昇天日 ~天に上げられたキリスト

 

 私たちは来週、教会の暦でペンテコステ(聖霊降臨日)を迎えます。ペンテコステはクリスマス、イースターとともにキリスト教にとって重要な祭日で、弟子たちの上に聖霊が降った出来事を記念する日です。聖霊とは神の霊のことを言います。キリスト教は古代より伝統的に、父なる神と子キリストと聖霊とを「三位一体」の神として信仰の対象としてきました。

 

 このペンテコステの10日前に、「昇天日」というものがあります。今年は513日(木)が昇天日でした。「昇天」とはイエス・キリストが復活なさって40日後に、天に挙げられた出来事のことを言います。同じ読み方の言葉として「召天」がありますが、教会ではイエス・キリストが天に上げられたことを昇天、人が亡くなって天に召されたことを召天と表記して区別をしています。

 

 先ほどお読みしたルカによる福音書244453節はこのイエス・キリストの昇天を記している箇所です。ルカによる福音書を締めくくりにあたる部分です。5051節《イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。/そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた》。

 

 ルカによる福音書は弟子たちが天に上げられた主イエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰って神殿の境内で神をほめたたえる様子を記して筆を置きます。神さまのもとに帰り主イエスのお姿は目には見えなくなってしまったわけですが、不思議と弟子たちの心は喜びにあふれています。それは、主が約束をしてくださっていたからです。ご自分のかわりに聖霊を弟子たちのもとに送るという約束です。

49節《わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい》。ここで《約束されたもの》と言われているのが聖霊です。約束通り、弟子たちのもとに聖霊が降った出来事を記念する日がペンテコステです。

 

 

 

キリストの昇天を強調するルカによる福音書

 

 ちなみに、すべての福音書にキリストの昇天の場面が記されているわけではありません。たとえば、マタイによる福音書には昇天の場面は記されておらず、復活したキリストが「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」との約束の言葉を述べて閉じられます。キリストの昇天を特に強調して記しているのは、ルカによる福音書です。四つの福音書にはそれぞれ固有の視点があり、同じ場面を記していても、その視点や表現の仕方に相違があります。それらの相違がそのままに共存しているのが福音書の特徴です。

 

 これは、ある福音書の記述が正しく、ある福音書の記述が正しくない、ということではありません。四つの福音書のそれぞれが、違う視点から、イエス・キリストの或る一側面を指し示しているのです。マタイによる福音書にはマタイによる福音書、マルコによる福音書にはマルコによる福音書、ルカによる福音書にはルカによる福音書、ヨハネによる福音書にはヨハネによる福音書の固有の視点があります。

 

 

 

違いがありつつ、一つ ~四福音書の固有性と相互補完性

 

皆さんも、自分としては特に四つの中でもこの福音書の指し示すキリスト像に共感を覚える、ということがあるでしょう。たとえば、ルカによる福音書は復活した主イエスが天に上げられる場面で終わり、マタイによる福音書では復活した主イエスが「世の終わりまでいつも共にいる」と約束してくださって終わります。前者のルカによる福音書において主イエスと私たち人間の「遠さ(隔たり)」が強調されており、後者のマタイによる福音書においては主イエスと私たちの「近さ」がむしろ強調されています。どちらの終わり方がしっくりくるかは、人によって異なることでしょう。そのように、福音書を読む人それぞれにも受け止め方に相違があります。そして、そのように相違があって、よいです。大切なのは、相手の受け止め方を尊重し、互いに互いを否定しあわないことです。それぞれのその感じ方の中に、信実なるものもまたあるからです。

 

そしてもう一つ、心に留めたいことは、それらの異なる視点が合わさることによって、私たちの前により立体的なイエス・キリスト像が立ち現れてゆくことです。ある一方の視点からだけではなく、四方向の視点から語られることによって、私たちはより多面的に、イエス・キリストの存在を受け止めることができるようになってゆくのです。四つの福音書に相違があることは否定されるべきことではなく、むしろとても大切な意味をもつことであるのですね。

 

四福音書にはそれぞれに固有性(=かけがえのなさ)があり、相互補完性がある。言いかえますと、四福音書は「違いがありつつ、一つ」の関係性にあるのです。このあり方を改めて提示してゆくことは、キリスト教会においてのみならず、私たちが生きる社会においても重要な力になり得るものなのではないかと思っています。

具体的に四福音書の間にどのような固有性と役割分担があるのか、私なりの考えがありますが、またゆっくりと皆さんにお伝えしてゆけたらと思います。

 

 

 

天におられるキリストに向かって成長してゆく

 

いま、四つの福音書の間に役割分担があると述べました。それはまた、私たちの間においても同様です。聖書は、神さまは私たち一人ひとりにかけがえのない役割を与えて下さっていることを語っています。そしてそのことを実現して下さっているのが、聖霊なる主です。聖霊には様々な働きがありますが、その大切なお働きの一つに、私たちそれぞれに大切な役割を与えて下さることがあります。

 

 先ほどお読みいただいたエフェソの信徒への手紙4116節でも一人ひとりに大切な役割が与えられていることが述べられていました。エフェソの信徒への手紙41113節《そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。/こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、/ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです》。

 

「違いがありつつ、一つ」である在り方が、ここでは「体」のイメージを用いて語られています。私たちの体の各部位はそれぞれに異なった働きをしつつ、互いに足りないところを補いあっています。私たちもまたそのような相互補完の関係性にあるのだと言われているのですね。私たちはそのようにして共に《キリストの体》を造り上げてゆくのだ、と手紙の著者は語ります。

 

 ここで前提とされているのが、キリストの昇天です。天に上げられたキリストに向かって、私たちは共に成長している――そのようなイメージで語られているようなのですね。いまは天におられるキリストに向かって、私たち《キリストの体》はそれぞれ自分固有の役割を果たしながら、成長してゆく。赤ん坊がだんだんと成長し大人になってゆくように、私たちも天におられるキリストに向かって少しずつ成長してゆくのだと語られています。壮大、かつ心に残る表現ですね。

 

 

 

愛に根ざして

 

 そしてそのように共に成長してゆく際、最も大切なことは「愛に根ざす」ことだと述べられています。15節《……愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます》。

ここで言われている愛とは、「相手の存在をかけがえのないものとして受けとめ、大切にしようとすること」を指します。好き嫌いかを超えて、相手の存在そのものを重んじ、大切にするように働くものが聖書における愛です。この愛こそが、私たちを互いに結びあわせ、成長させてゆく力です16節)

 

 

どうぞ私たちが愛に根ざして、互いを受け止めあい、尊重しあってゆくことができますように。そうして互いに働きを補い合いつつ、いつかキリストの満ち溢れる豊かさになるまで成長してゆくことができますように、ご一緒に神さまにお祈りをおささげいたしましょう。