2026年4月26日「はじめに神に 愛されて」

2026426日 花巻教会 主日礼拝説教

聖書箇所:ヨハネの手紙一41321節、ヨハネによる福音書133135

はじめに神に 愛されて

 

 

 

北海道・三陸沖後発地震注意情報、大槌町山林火災

 

先週420日の夕方、三陸沖を震源とする地震が発生、青森県では震度5強あるいは震度5弱を記録、私たちの住む花巻でも震度5弱の揺れを記録しました。花巻教会の会堂は特に物が落ちることもなく、大丈夫でした。奥羽教区内の教会・伝道所においても被害は報告されてはいませんが、青森県一部の地域では建物等の被害も報告されています。

この度の地震によって規模がより大きな後発地震が発生する可能性が相対的に高まったとして、「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が発令されました。皆さんもこの1週間、不安の中を過ごしてこられたことと思います。大きな地震はいまのところ発生してはいませんが、引き続き、後発地震には気を付けたいと思います。お一人おひとりの安全と生活が守られますよう祈ります。

 

 地震発生の2日後の22日、大槌町の2地区で山林火災が発生しました。2地区にお住まいの多くの方に避難指示が出され、現在も懸命な消火活動が続けられています。皆さんも大変心配しながらニュースをご覧になっていることと思います。津波警報で避難をした直後の、山林火災による避難。住民の皆様の不安、心身の疲労はいかほどのものでしょうか。どうぞ一刻も早く、鎮火へと至りますよう願います。

 

 

 

殺傷能力のある武器輸出の解禁、国家情報局法案の可決

 

この1週間、私たちの社会に重大な影響を与える政府による決定、法案の可決が立て続けになされました。

 

先週21日、高市早苗内閣は防衛装備移転三原則と運用指針を改定。武器輸出を非戦闘目的の「救難、輸送、警戒、監視、掃海」に限定する5類型を撤廃し、殺傷能力のある武器の全面的な輸出を解禁しました(戦闘機や護衛艦、潜水艦、ミサイル、弾薬など)。戦後の安全保障政策を大きく転換させる重大な改定が、国会の審議も経ないままになされました。悲惨な戦争を経て培われてきた、私たちの国の平和主義――武力による解決の恒久的な放棄(憲法第9条第1項)――の内実が、さらに骨抜きにされようとしています。

 

そして23日、「国家情報会議」とその実務を担う「国家情報局」を設置するための関連法案が衆院本会議で可決されました。国家のインテリジェンス(情報収集・分析)機能の強化のためという名目ですが、個人のプライバシーや表現の自由・報道の自由が侵害される懸念、運用上の懸念等が指摘されています。

 

「スパイ防止法」という名称は皆さんもお聞きになっていることと思います。今回の国家情報局法案はそのスパイ防止法の第一段階です。今後、②外国代理人登録法の提出、さらに③対外情報庁設置法案の提出が計画されています。アメリカにCIA(中央情報局)という情報機関がありますが、これらの法案が目指していることの一つは日本版のCIA(=JCIA)を作ることでしょう。情報機関は仮想敵を必要とします。このような情報機関が作られることで、他国との戦争を引き起こされるリスクが格段に高まる恐れがあります。情報機関が謀略によって、率先して戦争を引き起こしてきたことは、これまでの歴史が示していることです。また、情報収集の恣意的な運用により、私たちに市民に対して深刻な人権侵害が引き起こされる恐れがあります。

すでに全国でスパイ防止法反対の声が上がっていますが、岩手でもこの4月に「思想・信条を超えて国民監視の『スパイ防止法』に反対する岩手県民の会」が発足しました。私も呼びかけ人・共同代表としてこの会に加わっています。スパイ防止法の実態と危険性についても、これから皆さんと情報共有をしてゆけたらと思います。

 

 海渡雄一弁護士は「スパイ防止法は、世界を味方と敵に二分する考え方であるというのが一番重要な点」だと指摘しています。「戦争をする国ではないはずの日本が、世界を敵と味方に分けるような法律を作って良いのか、というのが一番根底にある問いになる」YouTube「スパイ防止法を考える市民と超党派議員の勉強会 第1回」より、https://www.youtube.com/watch?v=rIc56FqblGI。情報機関が常に必要とするのが仮想敵です。スパイ防止法がこのまま成立してしまうと、私たち市民社会全体もまた「敵」「味方」に二分され、分断と対立がますます深刻化し、差別や排外主義が強まってゆくことが懸念されます。

 

 人を「敵」「味方」で判断するのではなく、互いを神の目に価高く貴い「同じ一人の人間」として重んじ合う(レビ記1918節)道を私たちが歩んでゆくことができますように願っています。

 

 

 

賛美歌「はじめに神に 愛されて」

 

先ほどご一緒に礼拝の中で「はじめに神に 愛されて」という賛美歌を歌いました。本日の聖書箇所の一つであるヨハネの手紙一4章をもとに、私が作詞をした曲です。飯靖子先生が作曲をしてくださいました。季刊誌『礼拝と音楽』第20820262月、日本キリスト教団出版局)に掲載されています。改めて歌詞をお読みいたします。

 

1, はじめに神に 愛されて

わたしは愛を 知りました

神がひとり子 遣わされ

「神は愛」だと 知りました

 

2, 愛に恐れは ありません

わたしは人を 愛します 

「互いに愛し合いなさい」

神の掟を 伝えます

 

 

「神は愛」

 

1番の歌詞のキーワードは、「神は愛」です。聖書の本文にも《神は愛です》という言葉がありました(ヨハネの手紙一416節)。《神は愛です》、この言葉はどれほど人々を慰め、勇気づけてきたことでしょう。

 

聖書における愛は、ギリシア語でアガペーと言います。聖書がアガペーという言葉を使うとき、それは第一の意味として、「神の愛」を指します。私たちから生じる愛というより、神から生じている愛を指します。愛は神から生じているもの、なぜなら《神は愛》だからです。

 

では、私たちはどのようにして、「神は愛」であると知ることができるのでしょうか。それは、神がこの世界にお遣わしになったイエス・キリストを通して知ることができるのだ、とヨハネの手紙は語ります。4章の10節には次の言葉があります。《神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました》。「独り子」とは、イエス・キリストのことです。《独り子》という言葉には、「愛する子」という意味合いがあります。神さまにとって、イエスさまは、かけがえのない、愛する独り子である。その独り子を、神さまはご自分のもとから切り離し、この世にお遣わしになってくださった。それほどまでに、神さまは私たちのことを愛してくださっているのだとヨハネは語ります。

 

ヨハネの手紙はさらに続けます。《わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります11節)

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちのためにイエス・キリストをお遣わしになった。ここに愛がある、とヨハネは語ります。

 

改めて、聖書が語るアガペーなる愛とは、どのようなものでしょうか。私なりに表現すると、「相手の存在をかけがえのないものとして重んじ、大切にすること」です。このアガペーなる愛は、「好き」「嫌い」を超え、立場を超えて、相手の存在を重んじ、大切にするように働きます。神さまはその独り子をお与えになるほどに、私たち一人ひとりを愛してくださった(ヨハネによる福音書316節)。かけがえのない存在として重んじてくださった。ヨハネの手紙は、そして聖書全体は、その神さまの愛を私たちに伝えます。

 

 

 

「互いに愛し合いなさい」

 

2番の歌詞のキーワードは「互いに愛し合いなさい」です。《互いに愛し合いなさい》、この掟は、イエス・キリストご自身が新しい掟として私たちに与えてくださったものです。本日の聖書箇所であるヨハネによる福音書13章に記されています。《あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい(ヨハネによる福音書1334節)

イエスさまが私たち一人ひとりをかけがえのない存在として重んじ、大切にしてくださったように、私たちも互いを大切にし合うこと。これが、イエスさまが与えてくださった新しい掟です。

 

イエスさまはそのご生涯の最期、私たちのために命をささげてくださいました。私たちの存在をかけがえのないものとして重んじ、大切にしてくださるゆえに、十字架の上でその命をささげてくださいました。《ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました》。

この神の愛を示された私たちは、互いに愛し合うべきであるとヨハネの手紙は呼びかけてます。《愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです(ヨハネの手紙一411節)

 

本日の聖書箇所の結びには、次の印象的な言葉も記されています。《「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。/神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です42021節)

「神を愛している」と言いながら、目に見える兄弟(隣人)を大切にしていない人は、真に神を愛しているとは言えない。目に見える他者を大切にできていない人は、目に見えない神を大切にすることができていない。私たちはまず、目の前にいる人を大切にするべきであるとヨハネの手紙は語ります。言い換えますと、私たちは人を大切にすることを通して、神を大切にすることができるようになってゆくのでしょう。

 

 

 

《神は愛、互いに愛し合おう》

 

 本日はヨハネの手紙一4章をご一緒に読みました。ある方は、この《ヨハネの手紙一4721は、「神は愛、互いに愛し合おう」と要約され》ると述べています(津村春英先生『「ヨハネの手紙一」の研究 聖書本文の帰納的研究』、141頁)。ご紹介した賛美歌でも、「神は愛」、「互いに愛し合いなさい」をキーワードにしています。

 

《神は愛、互いに愛し合おう》、とてもシンプルで、分かりやすいメッセージです。と同時に、「互いに愛し合う」という掟を日々の生活の中で実践するのは、難しいことでもありますね。私たちは日々の生活の中で、他者を軽んじ、傷つける言動を繰り返してしまいます。私たち自身が、軽んじられ、傷つけられる経験をすることもあるでしょう。また私たちの社会全体が、ますます人を大切にしない社会になっていっている状況があります。

そのよう中で、私たちの内に徐々に生じてゆくのは愛ではなく、恐れです。人と接すること、あるいは、人と新たに出会うことへの不安と恐れが、徐々に私たちの社会を覆ってゆきます。そうして、他者を「敵」「味方」に分ける二元的な考え方が支持を得、力を奮ってゆきます。常に仮想敵を必要とし、「敵」と認定した相手を攻撃し、排除しようとする考えです。私たちの社会では現在、そのような排外主義的な考え方がますます力を強めています。けれども、だからこそ、《互いに愛し合いなさい》というイエスさまの掟を私たちが日々新たに思い起こしてゆくことの大切さを思います。

 

そしてそのためには、《神は愛》という言葉に、日々新たに出会い直してゆくことが大切でありましょう。ヨハネは語ります。《わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです419節)。「神に愛されている」「神は愛である」ことを日々新たに知らされることで、私たちは少しずつ、「互いに愛し合う」道を歩むことができるようになってゆきます。勇気と信頼を持って、他者と接し、他者と新たに出会うことができるようになってゆきます。私たちの目の前にいるのは「敵」ではなく、同じ神の目に尊厳ある存在、神に愛された「同じ一人の人間」であるからです。《愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します》418節)と語られている通りです。神さまの愛は、すべての、一人ひとりに対して向けられています。

 

イエスさまが私たちをかけがえのない存在として大切にしてくださるように、私たちも互いを大切にし合うことができますように。互いの存在を認め合い、その生命と尊厳を重んじ合ってゆくことができますように、ご一緒にお祈りをおささげいたしましょう。